以って玉を攻むべし
副題『めろめろ君パート2』。
アーロンの子育てにカワードがちょっかいを出す話。
王太子殿下の守役、というのは、すなわち教育係、という意味ではない。しかしやはり行動の規範となるべき立場にあるのは自明の理であって、たとえそれがまだ十代の少年であっても、羽目を外した愚かな振る舞いは許されない。
その点に関して、アーロンが守役となったのは、本人にとっても周囲にとっても幸いだったと言えるだろう。生来が真面目な気質であるから、無理をせずとも模範的な教師になり得るのだ。
もっともそんな彼であるから、遊びの誘いをすげなく断って
「つくづくおぬしは面白味のない男だな」
などと呆れられることもしょっちゅうだったが。
もさもさ頭の発言者を横目で睨み、アーロンは「それで結構」と冷たく言い放つ。カワードはため息をつき、口をへの字に曲げた。そして、相手が小脇に抱えている分厚い書物をうんざり顔で見やって、やれやれと頭を振った。
「そのように四角四面では殿下も窮屈な思いをされるぞ。遊びたい盛りであろうに。厳しくするばかりが守役の仕事ではあるまいが」
その台詞だけを聞けば正論であるが、この場合、まるで効果はなかった。アーロンは余計に険しい表情になって、不機嫌もあらわに言い返したのだ。
「貴公の言う『遊び』とやらが、十一歳の子供に相応のものであるとは、到底信じかねる。殿下をだしにして遊興にふけろうなどと、厚かましいことを企むな」
「聖人ぶるなよ」思わず苦笑するカワード。「女に興味がないわけでもなかろう。初潮がきたばかりの小娘みたいに、潔癖症なことを言っ……」
最後まで言う前に、剣の柄が腹にめりこんだ。奇声を上げつつ腹を押さえてしゃがみこむと同時に、とどめとばかり頭に本が振り下ろされた。
ばこん、と小気味良い音が響き、視界が揺れる。頭上から刃のような声が降ってきた。
「貴公の言う通り、私は面白味のない男だ。ゆえに品のない冗談は通じぬものと心得ておかれよ」
「……承知した」
カワードはうめいたきり、規則正しい足音が遠ざかっていくのを黙って聞いているよりほか、なかった。
仕方がないから一人で遊びに行こう、とカワードが決めたのは数日後。
王宮から街へ出ると、いつものように賑わう大通りを歩く。市の立つ日ではないので、さほどの混雑ではないが、それでも酒場や茶店には市民が大勢たむろしていた。
呼び込みなどの大声が響く中、はしゃぎながら駆け回る子供たち。女たちはそこかしこで小さな集団になって、面白おかしい噂話に興じ、時折どっと笑い崩れる。猥雑な賑わいの中を歩いていたカワードは、娼館の並ぶ方面に足を向けかけて、ふと立ち止まった。
小さな広場で、なにやら子供たちの一団がわあわあ騒いでいる。その中に、どうも聞き覚えのある声がまじっていたような気がしたのだ。
「やぁやぁ我こそはアルーディー家の勇者ウィシュターシヤなり!」
可愛らしい子供の声がそう名乗るのを聞いて、カワードは思わず失笑した。ティリスに伝わる古い英雄譚だ。子供たちのごっこ遊びの定番である。
やあ、とお、覚悟しろ魔物め、と勇者の仲間役らしき子供たちの声が続く。どれどれ、とカワードは何気なく子供たちの後ろから首を伸ばし――
「………………」
絶句した。手に手に棒きれの剣を構えた幼い少年たちが、次々と飛び掛っていく相手は、魔物役であろう年かさの少年ひとり。素手ではあるが、何しろ年齢が違うため、子供たちは軽くあしらわれている。そうでなくとも、
「軍人が相手では、話にならぬも道理だな」
ぼそりと呟いてカワードは頭を掻いた。あろうことか、ぽいぽいと子供たちを投げたり転ばしたりしているのは、あの堅物アーロンであった。しかもやたらと楽しげに。
(なんだ、あんな顔もできるのではないか)
とことん無邪気な笑顔を眺め、カワードは呆れてしまった。と同時に、勇者役の金髪の子供が棒を振り上げて仲間たちを集めた。
「怯むな、神々は我らに力を与え給うぞ!」
勇ましく仲間を励ましたかと見るや、不意に勝利を確信した笑みを広げた。
「今だ!」
さっ、と棒が群集の一部を指し示す。咄嗟にアーロンがそちらを振り向いたが、そこにはきょとんとした顔の見物人がいるだけ。
しまった、と慌てて向き直ろうとしたが、もう遅い。わっと飛び掛ってきた子供たちにあえなく押し倒され、アーロンは小さな手足の下敷きになってしまった。
「どうだ、参ったか!」
「やっつけたぞ!」
子供たちが口々に歓声を上げ、容赦なく魔物にとどめを刺す。髪を引っ張られたり棒でつつかれたりして、アーロンは笑いながら降参したのだった。
遊びが終わったのを見計らったように、誰かの母親らしい女が、帰りますよ、と声をかける。それを機に、子供たちは「またね」と互いに手を振りつつ、てんでに散っていった。
残されたのは、アーロンと金髪の子供だけ。
「やれやれ、今日はすっかりやられてしまいましたね。お見事でした、殿下」
笑いながらアーロンが言ったのを聞き、カワードは目を丸くした。ではあの金髪の子供が、王太子エンリル殿下なのか。
(そういえば、王宮に来たばっかりの頃に、あんなちび助が庭でぎゃんぎゃん泣いてた事があったような……)
しかもそれに対して、えらくぞんざいな対応をしてしまった気がするのだが。
見つからない内に逃げるべきだろうか。迷うカワードの視線には気付かず、アーロンは服をはたいて砂を払っていた。その横で、彼の仕草をそっくり真似て、エンリルもぱたぱた砂を払いだす。それがあまりに可愛らしくて、思わずカワードはふきだした。
「――!」
途端に、アーロンがハッと振り返った。一瞬で警戒の表情になったのは、流石に千騎長と言うべきか。
カワードは咳払いでごまかしつつ、曖昧に「よう」と片手を上げた。先日あんなやりとりがあったばかりなだけに、街中で顔を合わせたからには痛烈な皮肉が飛んでくるのでは、と、やや身構えたのだ。が。
アーロンは一瞬、なんとも複雑な表情を見せ、次いでどうやら無表情を作り損ねたらしく、見る間にかあっと赤くなった。その反応にカワードは呆気に取られ、
「おい、おぬし……」
言いかけたものの堪えきれず、爆笑してしまった。
「なんだ、随分楽しそうだったではないか! 確かに健全な遊びだな、守役殿。おぬしもこういう遊びの方がお好みとは知らなんだ。いや、失礼つかまつった!」
げらげら笑いながら皮肉を飛ばすカワードに、アーロンは応酬する術もなく唸るばかり。と、不意にエンリルがカワードを見上げて呼びかけた。
「そなた、カワードだな」
いきなりそなた呼ばわりされ、カワードは慌てて笑いを飲み込んだ。片膝をついて王太子殿下の前に頭を下げる。
「ご存じでしたか。光栄でござる」
「畏まらずとも良い」エンリルは楽しげに笑った。「そなたのことは父上やアーロンからよく聞かされているし、そう言えば一度会うたこともあったな」
「う……」
忘れてくれてりゃ良かったのに、とも言えず、カワードは唸ったきり黙りこむ。
「殿下、この男とお会いになられたのですか?」
いかにも不審げにアーロンが問うた。その口調があまりに露骨だったので、流石にカワードもむっとなって立ち上がった。
「なんだその声は。触れるも汚らわしいと言わんばかりではないか!」
「事実、殿下には悪い手本としかならぬであろうが」
「おぬしは過保護なのだ、小姑のようにがみがみ言いおって、それでも男か!」
「真昼間から娼館にしけこむような輩に指図されたくはない」
ぴしゃりと言い切られ、カワードは渋面になった。つい先刻、可愛げを見せたかと思えばもうこれだ。もっとも彼自身、幼い王太子に女遊びの味を教えてはまずい、と判断する良識ぐらいは備えているので、この非難には返す言葉がない。
「しょうかん?」
幼い声が不思議そうに問うたのを聞けば、なおさらだった。返答に窮して苦笑いを浮かべたカワードに代わり、アーロンがため息まじりに説明した。
「……女と遊ぶ場所ですよ」
「カワードは女と遊びたいのか?」
「そのようです。殿下は真似をなさらぬよう」
諭されて、エンリルは少し真面目に考える様子を見せた。それからちょっと残念そうに口を尖らせて「わかった」とうなずく。おや、とカワードは要らぬ遊び心を出した。
「殿下も、女どもと遊びたいと仰せられますかな?」
それに対してアーロンが叱責の声を上げるより早く、エンリルは無邪気に「うん」とうなずいた。唖然とした二人に、エンリルは真顔で言った。
「女たちは、よくお菓子をくれるから」
「…………」
白けた沈黙。そして、アーロンのため息。
続いてカワードが爆笑し、道行く人々がぎょっとして振り返った。アーロンが、甘味の食べ過ぎは良くないだとかなんとか、母親よろしく懇々と説き聞かせている間、カワードはどうにも笑い止められず、しまいにそこらの屋台に突っ伏してしまった。
ようやっと笑いをおさめたカワードは、エンリルに向き直ると、悪戯っぽく教えた。
「お菓子をねだるなら、王宮の女官たちにしておかれるのが良いでしょうな」
「でも……」
「なぁに、相手がケチるようなら、尻でも撫でてやればいいんですよ」
「カワード!」
今度こそ、怒声と共に拳が飛んできた。危ういところでそれを避け、カワードは慌てて逃げ出す。あんな男の言う事を真に受けてはいけません、などと必死に諭す声を遠く背中で聞きながら、彼は一人ほくそ笑んだ。
王太子が女官の尻を撫でたりすれば、当然守役の責任が問われるだろう。せいぜい困るがいいのだ。そうすればあの小面憎い無表情も、少しは崩れるに違いない。
(面白くなりそうだな)
幼い王太子の無垢で素直な態度を反芻し、今後の計画を密かに練るカワードだった。
――なお、数年後の談であるが。
いつもの皮肉の応酬から、互いに昔のことを掘り返し始め、
「おぬしは不埒な事ばかり殿下に吹き込もうとしていたではないか」
けしからぬ、と非難したアーロンに対し、カワードは応じていわく。
「おぬし一人に任せておいたら、まるで面白味のない堅物が出来上がっておったわ。俺がおらなんだら、殿下はかほどに人心を掌握する術に長けた方にはならなんだぞ」
そんな二人の論争を面白そうに聞いていた、当の王太子殿下はというと。
「そうだな、そなたの言動も大いに役立った。父上がよく諭し聞かせて下さった通りだ」
そこでにっこり笑って一言、
「無価値な石でも、玉を磨く役には立つ」
そう仰せになって、年長者二人を絶句させたのだとか……。
他山の石以て玉を攻むべし:
(よその山から出た粗悪な石でも、自分の宝石を磨くことができる意)
よそのできごとや自分に対する批評が、自分の知徳を磨く助けとなるということ。
(終)




