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如月先生はとにかく無口だ。必要最低限のことしか口を開かない。いつも黙って仕事をしている。困るのは、如月先生が何も言わずに外出をするときだ。事務所を出るなら、せめて一言声をかけてから出かけてもらいたい。二人しかいない薄暗い事務所には、奇妙な空気を感じることさえある。
この事務所で働いて三日間、私は今までコピー取りと掃除しか仕事をしていない。早くも、ここでの私の必要性に疑問を感じてきた。
自然とため息かこぼれる。
窓際に立ち、外の景色をぼんやりと眺めた。目黒川の水面が桜色に染まり、キラキラと光る。
私の目の前に茶色い物体が突然飛び込んできた。
‘六法全書‘
その茶色く分厚い物体にはそう書いてある。そして、私の横に立つ如月先生に気づいた。
「これを全部読め」
六法全書を受け取ると重みがずっしりと私の手にのしかかった。
「・・・全部・・・ですか」
デスクに戻る如月先生の背中を目で追う。
「・・・」
如月先生は何も答えずに席につく。私も静かにデスクに向かい座った。
本を読むのは昔から苦手だった。本を開く手が重い。
表紙を開く。
ー日本国憲法前文ー
ページを進める。
ー日本国憲法第一章 第一条
天皇の地位・国民主権・・・
あくびがでる。
細かい文字を読むだけで眠気が襲う。これだから本は嫌いだ。
窓から注がれる春の日差しが心地よい。
電話が鳴った。
その音に気付いて、私は飛び起きた。
「はい、如月誠法律事務所です」
居眠りをしてしまったようだ。頭を横に振って眠気を覚ます。
‘あの、相談に乗ってもらいたいのですが・・・‘
若い女のか細いの声。
「ご相談ですね。少々お待ちください」
「如月先生!」
事務所に如月先生の姿がない。
「申し訳ございません、弁護士の如月はただ今出ておりまして・・・」
‘そうですか・・・‘
電話の向こうで女は黙り込んだ。
「あのー」
‘・・・お金、貸したのに返してもらいないんです・・・‘
女の声は今にも泣き出しそうな声だった。