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私はコーヒーを入れ、朝刊を隅から隅まで熟読する男の前に置いた。
‘如月誠法律事務所‘
事務所のドアの外にはこう書かれている。
そう、朝刊を熟読する男がこの事務所の主である、弁護士の如月誠。頭に寝癖をつけ、ネクタイはいつも曲がっている。どこか頼りない風貌である。ラベルに光る弁護士バッチがなかったらリストラ寸前の、しがないサラリーマンにしか見えない。ただ、スーツにはこだわりがあり、いつもいいものを着ているらしい。銀座の老舗のテーラーでオーダーメイドだそうだ。まぁ、スーツに詳しくない私には激安スーツも高級スーツも違いは判らないが。
私、宮月菜々は三日前からこの法律事務所で働き出したばかりだ。
リーマンショックで世界に激震が走った頃、私にもその影響が直撃した。いわゆる、派遣切り。
私は派遣社員として自動車のショールームで受付として働いていた。だが、平成二十年の年の瀬、派遣先の自動車メーカーから突然に契約を打ち切られたのだ。
目の前が真っ暗になり、不安に駆られた。
コンビニ、居酒屋、ヒーローショーの司会・・・その後はバイトを掛け持ちする日々。
自分の人生に期待なんてしていない。
この先もバイトを転々として、適当に楽しく生きる。その日を好きなように生きて、いずれは好きな人と結婚して家庭を持てればいい。私の人生、それができれば十分だ。
そう、思い込んでいたのかもしれない。
‘法務事務員募集‘
ドンキ・ホーテの帰り道、目黒川沿いを歩いていると、雑居ビルの前にある電信柱に張り紙を見つけた。
「法律・・・」
あまり思い出したくないことが私の脳裏を過った。
「働きたいのか」
私の真後ろから突然に低い声が聞こえた。
「えっ」驚いて後ろを振り返ると、コンビニの袋をぶら下げたスーツ姿の男が立っている。
「ちょうどいい、これから昼飯だ。食いながら面接してやるよ」
「・・・」
男は雑居ビルに入り、階段を上って行く。私が後から来ないことに気づいて後ろを振り返った。
「働きたいんじゃなかったのか」
「・・・働かせてください」
男はまた前を向いて階段を上って行く。私はそのあとを追った。
それが如月先生との出会いになった。