嘘吐きの嘘の恋
「私は、君のことが好きだよ」
そう嘘をついた。いや、今もつき続けている。
私の恋人は病気だ。治る見込みもなく、ただただ無駄に生き続けている人間。
いつ死んだっておかしくないのに、私がそういう度に笑うんだ。
「嬉しいね。君が好きだと思ってくれる限り、僕は生き続けるよ」
悲しみのこもった声で。悲しみだけの声で、いつも。
だから変わらず冗句のように返している。
「じゃあ、君は死ぬことはないんだね。なら、私は君のことを好きなままでいるよ」
ごめんね。もう死んでしまうかもしれないって思ったら、好きでなくてもこんなことができるんだよ、私って。
愚かだよね。奇妙だよね。異常だよね。
――ずるいよね。
それでもさ。私の一言で喜んだり、笑ってくれたりしてくれる君を見ていると、ちょっとだけ、好きだった頃の感覚を思い出せる気がするんだ。今は無くなってしまったはずの感覚なのに。
君に本音を気付かれないように、毎回気を使っている私。自分の為にしか、何かをすることはできないんだよ。君の為に、なんて到底思えない。
でも、君が寂しそうに、それでも嬉しそうに笑ってくれたら、やめることはできないんだよ。そういう君を、少しでも見ていたいから。
だから、今はまだ続けている。続けられている。
だけど君が笑わなくなったり、私が飽きてしまったりしたら、きっとやめて、多分言ってしまうと思う。
「ごめん、実は君のこと、好きでも何でもないんだよ」
本当は君の入院が決まったときにつたえるつもりだったんだけど。
こんな風にだらだらしてしまっているのはどうしてだろう。
君は死んで、私は新しい恋人でも見つけるつもりだったのに。
今考えてる君の事だって、ただの思い出にするはずなのに。
これまでの感謝ってことで、最後くらいは君に幸せでいてほしいのかな。
よく分からないよ。
今日もこの病室に来るまでに、家から駅に向かって、そこから電車に乗って、ここから一番近い駅からバスに乗ってきた。
覚えてるかな。君と一緒に電車に乗って出かけたことがあったよね。バスで偶然会った、なんてこともあった。
人が一人、生死の境目にいるっていうのに、いつも通りにバスが動いてた。みんなの日常は変わらないみたいだってことだよ。だからやっぱり普段と同じように、二時間くらいしか掛からなかった。
でもその間に、いろいろと考えた。いつもとは違うことを。
やっぱり君に早く言いたくて、君を解放したくて――いや、私自身が解放されたくて、伝えられないままに死んでもらっては困る。私は早く次ぎに進みたい。
望んでなんていないんだ、こんな束縛。
何に、かは分からないのに、縛られている。何かが、私を捕まえて話さないんだ。
――違う、縛っているのも、縛られているのも私なんだ。
こういうのって、不思議な感覚。まるで首吊り自殺だ。
階段を上りながら思う。
君の病室は、変わらず二階。飛び降りても、打ち所が悪くなければ死ぬことはなさそうな高さ。
もしかしたら君が、今日にでも死んでいる、なんて可能性を考えずにはいられない自分が、少しだけ面白おかしかった。
踊り場を過ぎて、独特な匂いのこもった廊下を歩く。
すれ違う人々の顔はいつだって疲れている。
それでも何故か、私は笑顔だ。顔に貼付けただけの笑顔ではあるんだけど。
ネーム・プレートを一瞥し、名前を確認する。理由もなく、やけに自分の鼓動が高まるのを感じた。
病室の扉を開く前に、軽く深呼吸。そしてノックを二回。
「私だよ。お見舞いに来た」
返事が無いのは押さえておくべき基本事項。だから扉をくぐるのに躊躇はしない。
あ、でも、何処かに行っているなんてこともあるのかな。
――いや、そんなことは無いか。君はこの病室から出たがらないから。
やっぱりいた。個室のベッドの上に、その痩せこけた体を乗せて。
仰向けになったまま、横目で私を見た。
「やぁ、君か」
視線を、私から病室の天井へと移した。君は笑顔だった。無理をして、いっぱいいっぱい、って笑顔。ここまでだと笑顔とは言わないのかもしれない。表情の中には絶望だけが詰まっているみたいだ。
――笑顔と呼べないのなら、それは私も同じことか。
気付かれないように、そっと、笑顔を作り直しておく。
少し近づき、ベッド横のパイプ椅子に腰掛ける。ベッド脇の台の上には、相も変わらず真っ赤なドライフラワーがおいてある。私が君に頼まれて買ってきたものだ。
普通はそんなことしない。ちゃんと生きている花を普通は置いておく。
わざわざ普通の花を避けたのは、水をやるのが億劫だからなのだと、私は思ってる。
何故だろう。唐突に、君はこのドライフラワーと似ているような気がした。
ただそこにいる、というだけの存在。飾りにしかならないもの。
死を待つだけの君、生きることすら叶わないドライフラワー。
似ているというのは勘違いなのかもしれない。
だが、皮肉なものだ。
「調子はどう?」
いつものように、会話を始める。
「そこそこ、だよ。大したことはなかった」
肩をすくめ、やはり天井を見つめたまま君は言った。いつも通りの、当たり障りの無い返答だった。
だから私は、いつも通りに返すんだ。
「そういう曖昧な君が、やっぱり好きだよ」
私は笑顔で。君も笑顔で。
なんと君の悪い告白なのだろう。
この繰り返す言葉と日常は、いつまで続くのだろう。
言葉はいつも通りだった。
けれども君は、いつもと違って何かを言うようだった。
「残念だ」
私の目をまっすぐに見た。
「君が好きだと言ってくれる限り、僕は生き続けてしまうよ」