08.出会い
「ふぅ……」
胸元を押さえて息を整えていると、剣の達人である黒髪の女性が歩み寄ってきた。達人の後ろには、彼女が戦っていたふたり組の男が倒れている。血は流れていないので、死んではいない。
ウィリアムは剣をしまい、彼女に戦意がないことを示す。
「見事な腕だよ! こんなに強い騎士は初めて見た!」
高揚を抑えつつ、素直な感想を述べる。
彼女は反応せず、ウィリアムの目の前で立ち止まり、細長い剣を構え直した。頭上から差しこむ木漏れ日が、その姿を幻想的に照らしている。
「貴方は何者ですか?」
冷たい声が投げかけられた。
やや幼さが残る美貌からは何の感情も読み取れない。深い外衣と髪の漆黒とは反対に、肌は神秘的なほど白かった。
成り行きで味方してしまったが、彼女はデルボキラ人だ。魔女の手先である可能性もある。慎重に言葉を紡がなければならない。
「……ウィリアムと言います。怪しい者じゃないですよ?」
苦笑しながら、ウィリアムは頭をかく。
「いいえ、とても怪しいです。身分を明かしてください」
彼女はこちらを見つめ、有無を言わせぬ強い口調でウィリアムに命じた。
「えっと……旅人です。この辺りを観光中でして。あはは」
「このような何もない森を?」
しまった。余計に怪しまれたようだ。笑って誤魔化そうとしたが、顔が引きつる。身分を偽るのは難しい。
「空気が澄み渡っていて、心地いいんですよ!」
ウィリアムは両手を左右に広げ、深呼吸をする。
「変わった方ですね」
彼女が目を細めると、長いまつ毛が美しく揺れた。瞼からは淡い瑠璃色の瞳が覗いている。見ていると、その奥に吸いこまれそうな奇妙な心持ちになった。
知らぬ間に彼女に見入っていたと気づいたウィリアムは、はっとして頭を激しく横に振った。
「そ、そうですか? オレって変わってます?」
「ええ、とっても。でも、貴族軍の騎士様にも見えませんし――」
そう言いかけて、彼女は言葉を止めた。
黙ったままこちらを凝視してくる。
「ど、どうしましたか?」
不気味な沈黙に耐えかねて、ウィリアムは相手の様子をうかがう。依然として、彼女の美顔からは感情が読みとれない。
「もしかして、貴方……異国から来ましたか?」
そう問われて、ウィリアムはぎくりと身を震わせる。
「いや、まあ……」
弁解の言葉も思い浮かばず、うなずく以外になかった。
「やはり、そうでしたか」
達人は剣を構えて、こちらを鋭く睨みつける。
「ちょっ、待って! 落ち着きましょう! さっきの奴らの仲間がまだ近くにいるかもですし!」
この人を助けたのは間違いだったかもしれない。魔女だけでなく、デルボキラ人は皆、血も涙もない人種なのだ。
ウィリアムは後悔に苛まれた。
「いいえ、反乱軍の方々はもういません」
「反乱軍? それって一体……」
「異国の方に教えることはありません。ですが、ひとつだけ答えてください。どうして、わたくしを助けてくれたのですか?」
目を細くしたまま、彼女は質問してきた。
「そりゃあ、あなたが殺されそうだったから!」
あの時、彼女は弓矢の標的にされていた。ウィリアムが危険を伝えなければ、彼女は矢に射抜かれていたはずだ。
「見ず知らずのわたくしが死んでも、困らないのではありませんか?」
彼女は首を傾げた。長い黒髪がさらさらと揺れる。
「いやいや、目の前で綺麗な貴婦人が殺されそうだったら見過ごせませんって! 騎士を志す者として当然です」
女性と子供が危険にさらされていたら、何としてでも助けるべし。師匠からの教えだ。
だから、相手がこの国の人間だったとしても、放ってはおけなかった。けれども、今ではその判断が正しかったのか怪しい。
「貴婦人……今のわたくしはそのような大層な人間ではありません。先ほどはこみ入った事情があって追われていただけです」
「こみ入った事情……?」
彼女の容姿を注意深く観察すると、とてもそうは思えない。
足首まで丈のある外套の生地には、厚みがあるように見える。その下にちらりと覗く衣服は、まるで貴族のお嬢様のようだ。少なくとも庶民には見えない。ほぼ人がいないこの森からは、明らかに浮いている。
「助けていただいたことには深く感謝いたします。ですが、異国からの侵入者を見逃すわけにはいきません。ご同行ください」
剣を構えたまま、彼女は1歩、2歩と寄ってくる。
ウィリアムはゆっくりと後ずさった。
「いや、待って! 落ち着いて! オレはあなたに訊きたいことがあるんだ!」
逆らえば、この剣の達人とやり合う羽目になる。そうなると勝算は低い。
だが、まだ大人しく捕まるわけにはいかない。
「……いいでしょう。何ですか?」
抑揚のない声で、彼女は告げた。
ウィリアムは慎重に言葉を切り出していく。
「この国の……女王様って、今はどこにいますか?」
魔女と呼ばれし女王、アスティアーナについて問うと、彼女は黙ったまま、こちらを見つめた。睨まれているようだ。
辺りの空気が張り詰めていた。
「なぜ、そのようなことを訊くのですか?」
「会い、たいんです。どうしてもね」
「会ってどうするのです?」
「知りたい」
「何を知りたいのですか?」
達人はわずかに眉をひそめた。
風が葉を通り抜け、静かな周囲を騒がせている。得体の知れないこの人物に、あまり自分の情報を開示したくはない。しかし、彼女が魔女について何か知っている可能性がある。
しばし逡巡した後、ウィリアムは振りしぼるかのように声を出した。
「理由を知りたい。オレの父さんと母さんは石に、されたから」
「石に……?」
彼女は息を呑んだ。
「そう。名前も顔も覚えてない。だから、殺した本人に直接、聞きたいんだ……! 殺された理由も!」
「……理由? 貴方のご両親は戦地に赴かれたのではないのですか?」
「いや、戦争で殺されたんじゃない! オレの父さんと母さんはこの国で石にされたんだ!」
ウィリアムが生まれた20年前も、ソスとデルボキラは休戦状態にあった。それ以来、両国の間で戦争は起きていない。
「でしたら、おそらく神罰が下ったのです。あの方が戦場と処刑台以外で誰かを石にすることはありません」
「神罰? まさか父さんと母さんが罪を犯したってこと?」
「はい。この国に不法侵入したのでは?」
「ふたりがそんなことするわけ……」
否定の言葉を口にしようとするが、両親がどういう人間かは全く知らない。
彼らに、わざわざ魔女の国に侵入する理由があったのか。たとえ、あったとしても、息子であるウィリアムを危険な異国に連れて行くはずがない。
「いずれにせよ、真相は不確かです。申し訳ありませんが、話は以上にしましょう。ご同行を願えますか?」
こちらに刃先を向けられる。穏やかな口ぶりだったが、声は刃のように無機的に聞こえた。
「ま、待って! お願いだから剣を下げてよ! 何か魔女のことを知ってるなら教えて欲しいんだ!」
ウィリアムはまくし立て、達人に訴えかける。
彼女は貴族の反乱軍と戦っていた。となれば、反乱軍に敵対する人間のはずだ。魔女の手先である可能性もある。
「わたくしは急いでいるのです。それに、存じていたとしても魔女様に関することはお答えできません」
彼女は強く断言した。
デルボキラ人も肯定的な意味で女王のことを魔女と呼んでおり、崇拝していると聞いていたが、どうやら本当のようだ。
信仰上の理由で、詳しく語れないのかもしれない。だとしても、答えてくれなければ困る。
「そこをなんとか頼むって! オレは父さんと母さんのことを何ひとつ知らないんだ! どんな人なのかも! なんで殺されたのかも!」
ウィリアムは胸の内にある疑問の数々を、吐き出すようにまくし立てた。
「手遅れです。知ったところで、完全に石となった人間は砂になってしまいます。元には戻りません」
淡々と告げられた彼女の言葉に、ウィリアムは重い物を頭に落とされたような衝撃を受けた。
理解はしていた、できているつもりだった。でも、心のどこかではまたふたりに会えるのではないかと期待していた。石像の姿となった師匠の体が元通りになるではないかと夢想する自分がまだいたのだ。
しかし、こうもまっすぐ現実を突きつけられると胸苦しい。
(石になった人間は、戻らない……)
20年前に石にされた両親、先日に見た師匠の最期、それらの記憶が蘇ってくる。
心臓がばくばくと暴れ始めた。力強く拳を握る。魔女に対する果てしない憎悪が身からあふれ出そうだ。
「魔女め! 必ずこの手で殺してやる!」
達人は黙ったままこちらを凝視する。目を少し大きくしているようだった。
それを見たウィリアムは慌てて片手で口元を押さえる。火に油を注いでしまった。魔女に対する侮辱はこの国では許されないはずだ。これでは、彼女に自分は敵だと自ら明かしているようではないか。
息を詰まらせていると、彼女はゆっくりと口を開く。
「黒尚石の……指輪。黒髪の青年……!」
言われて、彼女の視線がウィリアムの右の握り拳に釘付けになっていると気づいた。両親の形見である指輪に目を向けているようだ。
「救世主様! 非礼をお許しください!」
突如として身を低くし、彼女は頭を垂れた。その拍子に長い髪が流れ落ちる。
何が起こったのか瞬時に理解できず、目をぱちくりとさせる。ふり返るが、誰もいない。森に生い茂る雑草が風に煽られるままに揺れているだけだ。
「え? 何だって? 救世主?」
自分の顏を指さしながら、ウィリアムは首を傾げる。
どう考えても人違いだ。あるいは、からかわれているのだろうか。
「わたくしたちは長らく貴方様のご来訪を待ち望んでおりました。どうか、この国のためにお力添えしていただきたいのです」
片膝を地面についたまま彼女は顔を上げる。とても真剣な表情をしていた。
何を言われているのか今ひとつ分からなかったが、少なくとも冗談とは思えない。
口が半開きになっていたと気づき、ウィリアムは目を覚まさせるかのように大きく首を振った。嫌悪する魔女の国のために力を貸すなどばかげている。
「人違い、だよ。オレは救世主じゃない」
「そんなはずは……いえ、やっぱりそうです」
外套に隠れていた鞘に、彼女は剣をしまった。こちらに近寄り、ウィリアムの右手を握る。
予想外の大胆な行動にウィリアムはうろたえ、身を固くした。戸惑う彼女の顏が目と鼻の先にある。澄んだ上品な芳香がした。
「あの、もしかして、この指輪について何か知ってる? 両親の形見なんだけど……」
ウィリアムにとってはたったひとつの両親との繋がりであり、何物にも代えがたい物だ。彼らを見つける唯一の手がかかりでもある。一方で、砦にいたかつての仲間たちはこの石を「デルボキラの魔石」と言っていた。
よく見ると、彼女の身に着けている首飾りの石と似ている。花形の黒い石がチェーンに5つほどついていた。
「魔女様が受けたご神託によれば、この指輪は救世主様の証と言われています。黒髪の青年がこれを持って、デルボキラを救いに来られるのです。長年、魔女様は貴方様の到来を待ち望んでいました」
ご神託というと、予言のようなものか。いや、魔女の妄言だろう。たしかにウィリアムは黒髪の青年だが、この王国を救うつもりは全くなく、むしろ滅びてしまえばいいのにと思うほどだった。
「オレは別に、あなたたちのことなんて助けるつもりはないけど」
「それでは困ります。貴方様には、この国を救っていただきたいのです!」
ウィリアムの下から離れ、彼女は再び深く頭を下げる。そして祈るように合掌した。
困るのはこちらの方だ。デルボキラ人は相当に信仰深いらしい。
「オレはただの人間だよ。魔女みたいに特別な力が使えるわけでもない。悔しいけど、君ほど強くもないし」
「ただの人間であるはずがありません。救世主様はソス王国からいらしたのですね?」
「救世主じゃないけど、そうだよ」
ここからだと、南西にあるソス王国との国境が最も近い。そう考えるのは自然だ。しかし、誰かに信仰される覚えはなかった。
「魔女様に会いたい、とおっしゃいましたね?」
「言ったね」
ウィリアムは力強く頷いた。
「では、会わせて差し上げます。ついて来てください」
「うん……。ん? え?? ちょっと、ちょっと!」
思いがけない言葉に、声が裏返る。
すたすたと歩き始めた彼女の背を慌てて追う。
「本当に会わせてくれるの? 本当に?」
ウィリアムは口元をゆるませた。この人について行けば魔女に会える。両親のことを聞き出し、仇を討てるのだ!
「はい。魔女様はおそらく黒聖山にいらっしゃいます。急ぎましょう」
前を向いて歩きながら、彼女は聞き覚えのない単語を口にした。
「こく、せい?」
「北にある大きな山です」
「へぇ」
ウィリアムは進行方向の北に目を向けるが、銀灰色の葉の屋根に覆われて、そのわずかな合間からは薄暗い曇り空しか見えなかった。
「1週間ぐらいで着くかと」
「1週間!? 冗談でしょ!?」
「ついて来て」と軽く言われたから、案外、近くにいるのだと思っていた。
「歩くとそれくらいはかかります。元々は馬を所持していたのですが、残念ながら矢に射抜かれまして」
ウィリアムはふり返り、地面に横たわった綺麗な1頭の白馬に目を向けた。先ほどの武装した男たちの仕業だろう。
美しい白い毛に赤が広がっているのを見ると、心が痛む。
「可哀想に……」
「仕方のないことです。今、国内は戦乱の最中ですから。状況によっては到着までもう少しかかるかもしれません」
「戦乱、だって?」
「はい。今、この国では大規模な反乱が起きているのです。王都は貴族の反乱軍に包囲されています」
彼女の説明によると、デルボキラの貴族たちは、暴君たる魔女を打ち倒すために反乱を起こしたようだ。
あの騎士たちも、たしかに王都に侵攻するとか言っていた。そう考えると、国境の警備の手薄さも納得できる。
「なるほど。だから魔女はその北の山に籠ってやがるんだ」
「いいえ、あの人が黒聖山に行かれたのは守るためです」
「守る? なんで山なんかを? お宝でも埋まってるの?」
「いえ、黒聖山は聖地。魔女様が最も重要視している場所です」
「聖地? なんだか神々しいね」
「はい。王家の血を引かれている方々は、そこで魔眼を授けられます」
「魔眼だって!?」
思わず、身の毛がよだった。
悪夢で見た光景が回想される。悲鳴を上げながら石に変わりゆく両親の姿は何百回と見た。だが、どのような場所であれ、魔女に会えるのなら行くしかない。
「どう、されました?」
「あ、ごめん、大丈夫。ありがたく案内をお願いするよ。ただ、その前に聞きたいことがあるんだ」
「何ですか?」
前方を向いたまま、彼女は答えた。
「結局のところ、あなたは何者なの?」
ここまで話しても、彼女については杳として知れない。
もしかすると魔女に仕える騎士かもしれない。そう考えると、反乱軍の騎士たちと応戦していたことにも合点がいく。
魔女に会うという目的さえ果たせるのなら、彼女の正体は知らないままでもいい。それでもこれから行動を共にするのならば、可能な限り彼女のことを知っておきたかった。
しばらくの沈黙の後、彼女は短く名乗った。
「……ユナ。観光中のただの旅人です」
彼女も身分を偽るのは苦手のようだった。




