06.デルボキラ王国へ
どれくらい歩いただろうか。
意識が戻ってくると、じんわりとした痛みを全身に感じる。
身を起こすと、辺り一面には草原が広がっており、朝の日光によって黄緑色に照らし出されていた。
水たまりが残る1本の土の道が、草原を両断するように、まっすぐと続いていた。ウィリアムはその道脇に倒れていた。
歩いているうちに、気を失ってしまったようだ。
(どこだ……? ここは?)
視界に人の姿はない。ところどころに見える木々には、鮮やかな実がいくつもなっており、そよ風が草花を揺らしていた。
覚えのない場所だが、おそらく砦からは遠く離れているだろう。
昨夜は、矢が刺さった脇腹の激痛で全身がばらばらになりそうだったが、今は痛みが嘘のように治まっている。
「まさか、夢?」
湿気の含んだ冷たい風が肌を撫でる。
濡れた胴着の下を確認すると、右の脇腹が腫れていた。しかし、傷はひとつもない。散々に殴られた顔はまだ痛むが、体の方はまるで何事もなかったかのような状態だった。
(やっぱり、オレは体の治りが早いみたいだ)
日々の鍛錬でできたかすり傷や打撲の痕も、すぐ回復するのだ。特に胴体の怪我は瞬時に元通りになる。昔から、周りに羨ましがられていた。
だが、心の痛みはなくならない。かつての仲間たちに浴びせられた罵声も、彼らを騙していた罪悪感も、記憶にくっきりと残っていた。
腰の剣帯には剣がおさまっていたが、昨夜の騒ぎの間に鞘の固定がゆるんでしまったのか、遠くに落ちていた。
(でも、あの指輪はちゃんと指にはまってる。どう考えても、あれは現実のはず……)
思案していると、馬に乗った騎士が道の先から走ってきた。雨でぬかるんだ地面から立ち上がり、ウィリアムは服に付着した泥を払う。
「どうしたのです? このような場所で」
馬に乗ったまま、彼は眉をひそめてこちらを見る。
軽装備の若い騎士の男だった。推察するに、彼はウィリアムより少し年上だ。
「……住んでたところから追い出されちゃったんです。悪いことを、してしまって」
抑揚のない声で答え、ウィリアムはうつむく。この先、どうやって生きていけばいいのか分からない。自分の未来がうまく想像できなかった。
「何やら、こみ入った事情がありそうですね。良ければご相談に乗ります」
顔を上げると、馬に乗った彼は優し気にほほ笑んだ。その笑顔が、今のウィリアムにとっては、ひどく眩しかった。
「ありがとうございます……でも、いいんです。ここがどこだか教えてくれますか?」
問いかけると、騎士は丁寧に説明してくれた。ここは、砦から3里ほど北に離れた草原らしい。
「残念ながら、この辺りには人の集落がありません。少し離れたところにある村に宿があると思いますから、そこまで私めがご案内いたしましょう」
騎士の男は、片手を腹部に軽く当てて一礼する。その姿は高潔な騎士の鑑だった。
「いえ、自分で歩いていて行けます。お気遣いありがとう」
迷惑をかけたくない、という思いから言葉が走る。
そのようなウィリアムの真意を見透かしたかのように、騎士は不安げな様子でこちらの顔色を覗きこんできた。
「そうですか? ご遠慮はいりませんよ?」
紳士的な彼を見れば見るほど、自分がちっぽけな存在に思えてくる。彼は剣の腕もきっと凄いのだろう。若くして一人前と認められる騎士は、実力に秀でている場合が多いのだ。
「大丈夫です。呼び止めてしまってごめんなさい」
「いえいえ構いません。では、道中お気を付けて。貴方に幸福があらんことを」
そう告げた後、彼は砦のある方角へ走り去った。
「幸福、か」
ウィリアムは地面に落ちていた鞘を拾い、腰のベルトに装着する。
今更、砦には戻れない。たとえ戻っても、誰も許してくれないだろう。デルボキラ人を憎悪する感情は誰よりも分かる。
未来に幸福などない。あるのはただの暗闇だけだった。
騎士が去っていた方向の逆、北東へと向き直る。
(あっちが……北東だよね?)
この先を進めば、魔女の支配する国、デルボキラ王国にたどり着く。ウィリアムがずっと行きたいと願っていた場所だ。父と母が石にされた国だった。
しばらくウィリアムはその先を見据えたまま、呆然と立ち尽くしていた。心臓の起伏が激しくなり、不思議とあの国に呼ばれている奇妙な感覚がした。
風に揺れる草のざわめきを聞きながら思考を巡らせる。デルボキラへ行けば、両親のことだけでなく、自分自身のことも分かるかもしれない。
深く息を吸いこみ、一気に吐き出した。
(ここまでみじめに逃げてきたんだ。どうせ行く当てもないし、思うようにやればいい……!)
大勢の人を傷つけたのは百も承知だ。騎士見習いの分際であの国に行くのは、無謀以外の何ものでもない。
それでも、あそこへ行くために、今日まで骨身を削るような努力を重ねてきた。それら全てを無駄にはできない。このまま犬死するのだけは耐えられない。
大きく頷いて、ウィリアムは重い一歩を踏み出した。




