57.ふたりの救世主
地上に出ると、すぐ侍女たちに見つかり、ユナは湯浴みに連れていかれた。
一方、ウィリアムは城にあった客人用の部屋を貸してもらった。濡れた衣服を脱ぎ、体を洗った後、部屋に用意されていた紳士服に着替える。
着替えた後は、中庭へ向かう。噴水前で待つようにとユナに言われたのだ。会うのが待ちきれず、ウィリアムは即座に来てしまった。
人の姿は見当たらず、辺りは静かだ。おかげで昼間とは違って、噴水の水音が澄みわたるように聞こえた。周りに生えた草花からはさわやかな香りが漂う。色とりどりの花々は太陽に照らされて輝いていた。非常に心が和む場所だ。
「お待たせしました……ウィリー様」
草花の間の小道をゆっくりと歩いてきて、ユナはウィリアムの前に立ち止まる。5年前に旅していた時に着ていたような黒い外衣に身を包んでいた。
なぜかうつむいていて、体を震わせている。耳元は真っ赤だ。地下水路での疲労もまだ残っているだろうから、発熱したのかもしれない。
「だ、大丈夫、ユナ? 具合が悪いなら部屋で休んだ方がいいんじゃ?」
「……読んだのですか?」
ウィリアムの問いには答えず、ユナはか細い声でたずねてきた。
「え? 何を?」
「わたくしの手記です……」
そう言われて、はっと息を呑んだ。読んでからはたしか、部屋の扉の前に置いたままだった。彼女をいち早く探さねばと焦っていたから。
「ご、ごめん! ユナがどこにいるのか分からなくて……それで、あれを読んだら何か分かるかと思って……!」
かつてのカルニアのように嫌われて当然だろう。非常事態だったとはいえ、断じて勝手に読んではいけないし、放置したままにするなど言語道断だ。
「だから、ウィリー様はわたくしの病のことも、知っていたのですね……」
「うん。黒聖山の洞穴の時……だよね。ほんとにごめん。あのときの血が君をこんなにも……」
「決してウィリー様のせいではありません! わたくしがはしたない行動をしたせいです。手記を読まれてしまったのも……全て、わたくしの責任です……」
両手でユナは顔をおおった。
相当、読まれたくなかったものらしい。ちくちくと胸に罪悪の棘が突き刺さる。
「いや、あれは読んでてすごく嬉しかったよ? 3冊ともオレのことがたくさん書かれてて……というか、オレのことばっかり書かれてて」
手記には、筆を弾ませたような文面もところどころにあった。本人が楽しそうに書く光景が頭に浮かび、急いで読んでいたにもかかわらず、少し笑みがこぼれたほどだ。
「うぅ、それ以上は言わないでください……」
赤く染まりきった両耳を塞ぎ、ユナはその場でうずくまってしまった。
少しでも彼女の気持ちが楽になればと思ったが、どうやら逆効果だったようだ。新しい棘がさらに心に刺さる。
「恥ずかしがることないって。ソスの言語で書かれてたから、オレぐらいにしか読めないよ!」
「でも、誰にも読まれたくなかったのです。……お、お願いですから、全部忘れてください。でないと、また石になってしまいそうです……」
顔を隠したまま、彼女は途切れそうな声を出した。魔眼がもう1度開いて治せるとは限らないのだから、再び石になられたら大いに困る。
「……でも忘れられないよ。いや、忘れたくない」
はっきりと、ウィリアムは言い切った。
「ど、どうしてですか?」
「ユナとした初めてのキスを、覚えていたいから」
手記を読むまでは、まさかあの洞窟でユナと唇を重ねていたなど思いもしなかった。だが、読んだおかげで知れたのだ。もし知らなければ、ウィリアムにとっては、実質的になかった出来事となる。そう考えると、何だか虚しい。
あのときだけではない。手記に綴られていた彼女の思いが、この身に刻みこまれていた。忘れるなど不可能だ。
「ウィリー様……! でしたら、もう1度しましょう? 何度もすれば、5年前のわたくしの不祥事は忘れていただけるかと」
ユナは口元をほころばせた。ウィリアムの両肩をつかんで、つま先立ちになり、ぐいっと顔を近づけてくる。
しかし、ウィリアムはすっと顔をそらした。
「そうだね。今度はユナが寝てる間にするよ」
「そんなっ! どうかお許しください、ウィリー様!」
ユナは腕にすがりつき、震えた声で頼んでくる。
つい悪戯心がくすぐられてしまったのだ。さすがに可哀想に思えてきたので、彼女の長い黒髪をすくうように撫でる。
「じゃあ、約束してほしい。もうひとりで色んなことを抱えこまないで。オレ以外にも、君が苦しんでると悲しむ人がたくさんいるんだ」
ウィリアムの顔を見上げるユナに目線を合わせ、真剣に語った。
一見したところ、ここ半年以内に書かれた手記の頁には、自分自身を戒めるような硬い内容しか書かれていなかった。読む方まで息苦しく感じたほどだ。
「約束、します。あの子からも常日頃から言われていますし。もっと周りを頼るようにと……」
「あの子?」
「オリビアという侍女の子です。彼女はわたくしの身をいつも案じてくれていました。スミス卿と交渉して、薬を得ようとしてくれていたのです」
「あの人か。でも、部屋で倒れてて……」
「はい。先ほど様子をうかがいに行ったときはお部屋で眠っているようでしたが、お医者様によれば大事はないとのことでした」
「そっか、よかった……でも、どうして部屋で倒れてたの?」
「気負わせすぎて、しまったからかもしれません。オリビアは、寝込むわたくしを毎日のように励ましてくれました。でも、そのときの彼女は、まるで自分が助けなければいけないと……追いこまれているようで」
「ユナのこと、とっても大切に想ってるんだね」
「……おそらく。今日も、スミス卿がわたくしを帰さないと言った途端、あの子はひどく動転してしまって……」
「たぶん怖かったんだと思う。あのままスミスがユナを帰さなかったら……って」
大切な人を失いたくない。それはウィリアムにも分かる気持ちだ。
あのスミスだって、家族とこの国の未来のために、残虐の数々を行った。けれども、それはひどく救いようがないように思える。
「かもしれません……そこまで大切に想ってもらえるだなんて、この上なく光栄なことです」
ユナは胸元にそっと両手を置いた。
あの侍女がどのような複雑な思いで、どれほど大きな苦悩を抱えていたのかは想像できない。だが、ユナを案じる気持ちは本物だろう。その気持ちが、結局のところスミスのいいように利用された。やはり、やりきれない話だ。
「ユナは誰からも愛されてる。だから、みんなが助けたくなるんだ」
「愛されるとは……とても罪深いことですね。自分のために誰かが傷つくのは、悲しいです。悲しくてなりません。彼女に無理をさせてしまったのは、わたくしの責任です。ウィリー様やお師匠様にもご迷惑をおかけしてしまいました」
「大丈夫、大丈夫。さっきも言ったけど、少なくともオレは迷惑なんて思ってない。ユナは気負い過ぎだよ」
「いえ、わたくしは女王ですから。もっとしっかりしないといけないんです」
「女王なら、むしろ堂々としてるべきだ。オレや周りの人たちに頼ってほしい。なんでも命令していいんだ」
彼女の背をやんわりとたたき、笑いかける。
「なんでも……。でしたら、これからも……わたくしのそばに、いてくださいますか?」
「もちろんだよ! 苦しいことも責任も一緒に背負いたいし、楽しいことがあったら笑い合いたい。もし、嫌じゃなかったらね」
「嫌なはずがありません! とっても嬉しいです。いえ、嬉しいなんて言葉では、この気持ちを言い表せません……」
ユナはウィリアムの胸に顔をうずめた。
彼女の頭の後ろに手をそえて、ゆっくりと抱き寄せる。小さな頭だった。いつもはここに冠を乗せているのだ。雑草で作られたものではなく、本物の王冠を。
「オレもまた会えて、こうして元気なユナと一緒にいられるだけで幸せだよ。でも君は女王、オレは一介の貴族だ。こんなところを誰かに見られたらまずいでしょ?」
幸いにも、今は中庭にユナ以外は誰もいない。しかし地位の低い男と親密にしている様子が他人に見つかれば、彼女に良からぬ評判が立つ恐れもある。
「でしたら、ウィリー様。もうひとつ、貴方様に命じてもいいですか?」
胸に押しつけていた顔を上げ、ユナは真剣な眼差しをこちらに向けた。
「ん? うん、そりゃもちろん。なんなりとお申しつけください、女王陛下」
彼女の願いに応えられることは至福に他ならない。どのようなことでもするつもりだ。
答えを待っていると、女王は意を決したかのように口を動かす。
「わたくしの、王配になってください」
ウィリアムの目をしっかりと見据え、確然とした口調で告げた。
「え? オレ、が?」
つい驚きの声を上げてしまった。
混乱した頭の中をどうにか整理する。王配と言うことはつまり、女王の配偶者となることだ。配偶者ということはつまり、結婚することだった。つまり、今、ユナに求婚されたのだ。
「はい! わたくしにしては名案だと思うのです。この王城に住んでいただけますし、ウィリー様は政治にも精通しておられます」
「で、でも、オレはそこまで、まつりごとに向いてない。……その命令に応えるには、ちょっとだけ時間がほしい。今のオレと君とじゃ釣り合いが取れないし」
「そのようなことはありません。ウィリー様は地方の暮らしの改善に多大なる貢献をされたり、暗殺者の騎士を捕縛されたりとご評判です」
「そう? たしかに、そんなこともしたけど……」
「心配なさらないでください。女王がお慕いする御方を、釣り合わない人だなんて誰にも言わせません」
頬を染めた彼女の視線が、まっすぐと向けられる。
「ですから、ウィリー様。正式な立場としてわたくしのそばに、いてくれませんか……?」
ユナはウィリアムの手を取り、そっと自身の手を重ねた。ほほ笑みながら首を傾けているが、手はわずかに震えている。
本当に卑怯な命令だ。断れるはずがない。
地位のことや、魔眼を持っていること。問題をあげれば数え切れないが、それらは全て決断から逃げる言い訳に過ぎない。
「……分かった。恐縮ながら、ありがたくそのご命令にお応えするよ」
ウィリアムは深くうなずいた。
人の真価を認めるのは、自分自身ではなく他人だ。他でもない女王様が認めて選んでくれたのだ。自己否定をしている場合ではない。彼女の期待に沿えるよう最善を尽くそう。
「ありがとう、ございます!」
再びユナはウィリアムの体を強く抱く。
「まだ君のとなりに立つには至らないとこばかりかもしれない。けど、死力を尽くして頑張るよ」
「ふふ……心配はいりません。ウィリアム殿下は十分に貫禄がおありですから」
「う、殿下って慣れないな」
ウィリアムは身をすくませた。王族になるなど全く実感が湧かない。
「そのうち慣れますよ。そうと決まれば、すぐに式を挙げなければなりません」
ウィリアムから身を離し、彼女は声を弾ませた。
瑠璃色の瞳には期待の光が宿っていた。さすがは女王様だ。その目はまだ見ぬ未来を映していた。
「早速だね。でも、緊張するなぁ」
「そうですね。わたくしも胸がどきどきしてきました。ずっと夢見てきましたから」
ほんのりと頬を染めて、待ち遠しそうに彼女は告げた。
「夢?」
「はい。お恥ずかしい夢ですが、いつか恋い慕う人とここで婚礼をしたくて。だからとっても楽しみなのです」
そう言われて、ウィリアムはここ――手入れの行き届いた庭園をもう1度見渡した。
噴水の周りに、多彩な花々が緑の草たちと共に咲き誇っており、その上に蝶が羽ばたいている。心のやすらぐ場所だった。
「この中庭か……綺麗なお花に囲まれて式をあげるなんて幸せ者だな」
「わたくしもそう思います。近辺にある国々の王侯貴族から送られたもので、大切に育てているのです」
「へぇ、他の国からもらったんだ」
ソスで見たことのある植物も見受けられた。
灰色一色で淡々としたデルボキラの森よりも、ずっと美しくて生命力に満ち溢れている気がする。
「はい。寂しげなこのお城も、花々があると賑わうでしょう?」
ユナに手を引かれ、ウィリアムは中庭の砂利の小道を歩いて回る。暖かな空気に包まれ、思わず目を閉じてその心地よさに浸ってしまった。瞼を閉じていても、花々の甘い匂いと繋いだ手に伝わる温度を感じていられる。
かけがえのない安らぎだった。
「そうだね。本当に、いい場所だ。ここに住みたいぐらいだよ」
歩くたびに砂利がざらざらと鳴り、ふたり分の足音を奏でる。
この色とりどりの花たちがなければ、この石の古城は寂寥としていただろう。
「同感です。ここでしたら、久しぶりに野宿したいですね」
「はは、懐かしいな。じゃ、そのときはまた子守唄を歌ってくれる?」
ウィリアムは目を開けて、ユナに笑いかけた。
「そ、それはお城の皆さんに聞かれてしまいますから……」
うつむいたユナはウィリアムの手をにぎりしめて、そっと身を寄せてくる。
「そう? みんな、あの美声には聞き入ると思うけどな。みんな喜ぶと思うよ」
「本当ですか? それなら……いつかやってみます。この国の人たちを笑顔にするのが、女王のお仕事ですから」
「優しい女王様だ。なら、オレは国中を花でいっぱいにしたい。そうすれば、デルボキラに住むみんなが笑顔になると思うし」
ウィリアムの領地では木々や雑草が生い茂っている。自然が多くて居心地のいい場所なのだが、どこか物足りない。
「さすがはウィリー様です。素晴らしいお考えだと思います! ……そうなれば、この国は楽園のようになりますよ!」
ユナは手放しに褒めてくれた。
そうされると、女王の夫として胸を張れる気がする。
「楽園か……そうだね。魔眼がなくても、この国はみんなが愛する楽園になる。そしたらさ、あの魔女も喜ぶはずじゃない?」
それが魔女の、母への真の復讐となるだろう。あの人の願望を、魔眼や暴力に頼らずに叶えるのだ。
愛する彼女がとなりにいてくれたなら、あっという間に成し遂げられる気がする。
「そうですね……魔女様もきっと驚かれるはずです。そして気づかれるでしょう。特別な力などなくとも国は変えられると」
「うん、オレたちふたりなら、絶対にできる! そんな新しいデルボキラを、オレはユナと一緒に守っていきたい」
「わたくしもです! きっとできますよ。わたくしたち、ふたりなら!」
ユナは満面の笑みでうなずいた。表情には一点の曇りも見られない。
にぎられた手からは、確かな自信が伝わってくる。
かつては嫌悪していたデルボキラ――魔女によって支配されていた悲しい王国――だけれども、今はこの国を作り変えるべく、かけがえのない人と一緒に闘志を燃やしていた。
この国がより豊かになれば、魔女だけではなく、亡きクリフォードの苦労も報われる。過去の悲しみに囚われたスミスや旧王国騎士団の人たちも考えを改めるはずだ。
今のウィリアムとユナは、不屈の意志と活力に満ちていた。
後日、結婚の儀を執り行い、晴れてふたりは正式に結ばれた。
あの地の新しい領主となったシェリックは泣いて祝ってくれ、カルニアは何やら別の意味も交じった涙を流していた。
多くの人々から祝福を受け、新たなデルボキラの歴史が動きだした。
長らく敵対関係にあったソス王国との和平交渉には、多大な時間がかかったが、定期的な資源の交換を約束し、ついに国交が始まる。デルボキラは瞬く間に豊かさを増し、やがては世界で一番の幸せな国と言われるほどになった。
中でも、女王夫妻は万人に愛され、理想的な夫婦として民の憧れとなる。
デルボキラの救世主とも呼ばれた彼らは、成しとげた功績の数々を、その名とあわせて未来永劫に語り継がれた。
ここまでお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。<(_ _)>
まだまだ拙い面ばかりですが、本作を少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。




