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55.誰が為に剣を振るう

 角を曲がると、石畳の道が続く。先ほどまでの4倍は道幅が広い。

 そのとなりには、幅のある水路が川のように横切っていた。まばらに壁に取りつけられた燭台(しょくだい)が辺りに淡い光を照らしている。水路際にはひびのある石柱が等間隔にそびえ、暗くて見えない天井まで伸びていた。

 誰もいないかのように思われたが、しばらく走っていると、道の先に机が見えてくる。場にそぐわないそれに、妙な居心地の悪さを覚えた。

 だが、机の前に人が、こちら向きに座っていると気づく。

 近づくにつれ、それが誰だか分かった。


 忘れもしない――ウィリアムの最愛の人だ。


「ユナっ!!」


 ウィリアムはユナのそばへ駆ける。

 薄々としたドレス姿の彼女は椅子に座っていた。頭には、花の意匠をあしらった黒い王冠を乗せている。ややうつむいて、机の上に広がる数々の紙に目を向けていた。


「ウィリー、様? やはり、先ほどしたお声は……」


 ひどく憔悴した様子で、ユナは顔を上げた。

 右目は眼帯に覆われており、左目だけがわずかに開く。5年前も華奢だった体は、今ではさらにやせ細っている。

 近づくと、高い(えり)におおわれた彼女の首元の一部が灰色を帯びているのが目についた。

 それに気づき、彼女の前で足を止める。


「ユナ……ごめん! オレの、オレのせいで……」


 体の内側が少しずつ石化していく苦悶は、魔女の血を飲まされたときに実感して知っている。あの苦痛をずっと味わっていると思うと、自分が感じたときよりも胸が苦しくなった。


「……もしや、わたくしは夢を見て、いるのですか?」


 だんだんと目を大きくして、ユナは柳眉を曲げる。


「夢じゃないよ、ユナ! それより早く安静にしてなくちゃ……!」


 そう言いかけた時だった。


「待たれよ、プレッツェル(きょう)


 厳然とした声が突如としてとどろき、ウィリアムは反射的に柄へと手を伸ばす。

 同時に、冷たい石床をたたく足音が木霊する。カルニアのものでも、先ほどの騎士のものでもない。

 蝋の光がとぼしくてユナの背後は暗くなっており、その奥から誰かが歩いてきた。豪勢な藍色の外衣(がいい)をまとった姿が暗闇から浮かび出る。

 ウィリアムも知る男だった。


「スミス、公爵? なんでここに?」


 そこにいたのは、チャーリー・セントリック・スミス――この場にいるはずのない人物だった。


「王城の地下水路に興味があってね。光栄にも陛下に案内していただいたのだよ。いやはや、あちこちに水路が張り巡らされていて圧巻だね」


 共に食事をしたあの日と変わらぬ軽い調子で、スミスは言った。

 昨日は評議会が開かれていたから、彼がこの城にいることに違和感はない。それでも、釈然としなかった。


「案内? なら、ユナは今ここで何を?」


 そうであれば、机に座って彼女は何をしているのか? 

 少なくともスミスを案内しているようには思えなかった。


「さあ、それは私にも分かりかねますな」


 ユナの真横に立ち、スミスは両肩を軽く上げる。

 その飄々とした態度からは彼の真意はうかがい知れない。けれども何かを隠している気配はありありと伝わった。


「とぼけないでください! あなたは何か知ってるんでしょう!?」


「はっは、さすがに誤魔化しきれないか。困ったものだ。陛下の他に、誰もここに来る予定はなかったというのに」


 額に指を押さえたまま、スミスは首を横に振った。


「誰も? でも、向こうの道にいた騎士は?」


「ああ、あれは私の配下でね。遠くで声がしたから急いで様子を見に行かせたのだが……プレッツェル卿だったとは驚きだ。貴公がここにいるということは、まさか彼が敗れたのかな?」


「いいえ。この国で一番強い騎士と今も戦ってます」


「お師匠様まで、ここに……?」


 顔をしかめたまま、ユナは小さな声を漏らした。


「ほぉ、なるほど彼女が。だが、私の騎士も勇猛な男でね。かつて私と共に激戦区を駆け抜けたこともある。たとえあの剣才を相手にしても、しばらくは耐えてくれるはずだ」


 答えるスミスに、焦りも動揺もない。

 彼の異様な落ち着きが、かえってウィリアムの不安を募らせる。


「スミス公爵……何を企んでるんですか? 陛下に何するつもりだ!?」


「安心したまえ。陛下を傷つけるつもりはない。ただ書類を読んで書いていただこうと思ってね」


 目の前のくすんだ木の机の上には、紙の巻物がいくつか置かれていた。羽根筆とインク瓶もある。


「紙って、いったい何の?」


「……スミス卿を、次期国王に推薦するための……誓約書、です」


 彼女は机の上に目線を向けたまま、力なく答えた。


「スミス公爵、を? なんで? クリフォード家の誰かが王位を継ぐはずじゃ……まさか、あんた。王位を狙ってるのか!?」


「私としてもこのような乱暴な真似は本意ではなかったのだがね。やむを得ぬ事情があるのだよ。ご理解いただきたい」


 腹に手を添え、スミスはユナに向かって慇懃に一礼した。


「スミス卿。わたくしは貴方との約束を信じていました。薬をいただけると……ですから……ここに来たのです」


「薬、だって?」


 反射的に声がこぼれる。てっきりウィリアムは、彼女が侵入経路を探すためにここを訪れたのだと推測していたから。


「……今のわたくしはその……軽い病に、かかっています。以前お会いしたときに、スミス卿にはそのことを気づかれてしまって……」


「ああ、そうでしたな。もう1年ほど前にもなりますか。あの頃から、陛下のお顔の色も芳しくなく、動くのも苦し気なご様子でしたからねぇ」


 軽い病……それはまごうことなくウィリアムが彼女にかけてしまった魔眼による呪いだろう。

 だが、スミスも彼女の病状について知っていたとは予想外だ。


「それで、よい薬が見つかったと……」


「ええ、ここにありますとも。名高い薬師に作らせた希少な万能薬でね。陛下が患われている未知の病も治癒できるでしょうな」


「……万能薬!」


 その言葉の中に希望の光を見え、ウィリアムは高揚する。


「ただし、まだ完成度が低く、周りに悪影響を及ぼす恐れがある。だから、人のいないこの場所にお招きした次第です。そのついでに、私の望みを叶えてくださりませんかね?」


 スミスは薄緑色の液体が入った小瓶を見せた。

 彼にとっての“ついで”は、治療薬の方に違いない。次の国王として認めてもらうのが、間違いなく真の目的だ。

 白々しい態度に苛立ちを覚えるが、もし彼の話が本当ならば、ユナの命が助かる。


「薬があるなら早く渡してあげてください! お願いします!」


「ええ。私のお頼みを聞き入れていただければ、すぐにでも」


 微笑しながら、スミスは小瓶を外套(がいとう)の内側にしまった。


「それは……できません。……貴方は優秀で人望もある方だと存じておりますが、戦争を望む方に、王位は譲れません……」


 スミスの方を見て、ユナは切実に訴えかけた。


「陛下、あなたのおかげでデルボキラの国力は驚異的な回復を見せた。軍事力も以前とは比べ物にならぬほどに上がっている。私が王となった暁には、国の総力を上げてソス王国との長年の因縁に決着をつけると誓いましょう!」


「戦争、だって? ソスと?」


 ひんやりとした湿った空気を首元に感じ、胸のあたりがざわつく。


「ええ、プレッツェル卿には前にも少しお話したはずだ。かつてのソスとの絶え間ない国境紛争で、付近の住民も巻きこまれてね。私も、愛する妻、息子、そして多くの戦友を失った……」


「だから、復讐を? 下手に攻めたら、また意味のない戦をくり返してしまうのに!」


 とむらい合戦を開戦するために、彼は王位を欲しているのだという。

 彼の怒りと悲しみは分かるが、だからと言って私情で国の平和を脅かすなど許されるはずがない。


「しかしだね、プレッツェル卿。奴らが我が国の資源を欲している以上、あちら側から攻めてくるのは明白だ。再戦を止める唯一の方法は、ソスに再起不能の打撃を与えることだよ」


 スミスは首を横に振った。


「戦は……いけません。失うだけで、何も得られません……」


 机の上に視線を落とし、ユナは消え入るようにつぶやく。


「それでは、死んでいった者たちが報われぬでしょう! 陛下、私に彼らの死を無駄にしろとおっしゃるおつもりか!?」


 ユナを批判するように、スミスは怒りに声を荒らげた。


「それでも……まず話し合いをすべきです」


「いいえ、ソスに住む者は皆、下劣な野蛮人。話し合いなど不可能だ。先に動かねば、いつか野蛮人どもに奪われてしまう」


「奪われるだって?」


「ええ。プレッツェル卿にも大切な人がおられるはずだ。私にも唯一無二の宝である愛娘がいる。ゆえにですね。野蛮人どもに隙をつかれる前に、こちらから攻ねばならないのですよ」


 スミスの心には、失った怒りと再び失う恐怖がくすぶっているのだろう。彼の焦燥がひしひしと感じられた。ウィリアムにもその気持ちは痛いほどわかる。

 だが、だからといって彼を支持するつもりはない。


「そんなことしたら、この5年の回復が全て無駄になるじゃないですか」


「無駄にはならないさ。いや、私がさせない。敵国を堕せる未来は鮮明に頭に浮かんでいる。デルボキラに真の平和が訪れる未来がね!」


「おやめ、ください、スミス卿……そのようなこと、承認できません」


 ユナは静かに羽根筆を手放し、机の上に置いた。


「困りますな、陛下。それでは、薬をお渡しすることはもちろん、陛下を帰すことさえできない」


「何と言われましても……認めません」


 きっぱりとユナは言い放ったが、声音には苦痛の色が混じっている。


「それでいい。薬をもらって早く城へ戻ろう、ユナ!」


 ウィリアムは彼女に近づこうとする。


「おっと、困りますな、プレッツェル卿!」


 スミスが立ち塞がった。ユナの座る机の前に。

 かと思えば、素早く剣を抜き放ち、こちらに振り下ろしてくる。

 腰に携えた剣をひき抜き、ウィリアムはどうにか身を守る。しかし動くのが遅れた。不意を突かれたせいでウィリアムはじりじりと後方に押される。


「ウィリー様っ……スミス卿、お願いですからおやめ、を」


「では、今すぐに約束していただきたい、陛下。次回の評議会でこの誓約書を公開し、またその場にて自らのお言葉で、私を次期王に推薦すると。あなたの承認が早急に必要なのだ」


「そんな、こと……」


「どうかお願い申し上げる。これが終わればお帰りいただく予定ですので。あの若い侍女も、外で待っているはずです。たしかオリビアとか言いましたかな?」


「オリビア? それってまさか、お城の部屋で倒れてた……?」


 スミスの剣を受け止めつつ、ウィリアムは顔をしかめる。


「倒れ……?」


 ユナの蒼白な顔が、スミスの後ろに見えた。


「ほぅ。なんと、そうでしたか」


 彼も控えめに眉を上げている。


「スミス公爵、あなたもあの人を知ってるんですか?」


 ウィリアムは眉間にしわを寄せて剣の柄を握りしめる。


「知っているも何も、陛下とこの場で落ち合えたのは、彼女の協力があってこそでして。彼女を介し、陛下とたびたび連絡を取り合っていたのですよ」


「え? あの侍女が……」


「そう。それで、地上へ先に戻るよう言ったのですがねぇ。陛下の失踪が知られて騒ぎにならないよう見張らせようと。ですが、ひどく混乱した様子でしたからな!」


 真顔でスミスは告げ、剣を交えたまま、こちらに体重を乗せてきた。

 ウィリアムは体をずらし、彼の剣を受け流す。

 後退して間合いを取った。息を落ち着かせて、剣を構え直す。


「混乱……だって?」


 反省の色が全くうかがえない彼の態度に苛立ちを覚え、ウィリアムは声を低くした。


「ええ。書類の署名を陛下にお願いした途端に、血相を変えてね。何を動揺したのか知りませんが、足を滑らせて水路に落ちてしまった。それが祟って体を冷やしてしまったのでしょうな」


「何を人事みたいに! すぐ薬を渡さなかったあんたのせいだろ!」


 ウィリアムは怒りに身を任せ、スミスの方へ剣を叩きつける。

 ユナの近くにいては彼の剣先が誤って当たる可能性がある。それだけは絶対に避けなくてはならない。


「私を信じなかった彼女が悪いのだよ、っと! 書類の記入が終われば必ず薬を渡すと説明したのにね。陛下の助けになりたいという思いは私も同じですから!」


 剣を立て、直立不動の銅像のように、スミスはウィリアムの猛攻を防ぐ。次も、その次の攻撃も。


「このぉぉ!」


「だが、私も彼女には感謝している。おかげで、クリフォードを排除できたからね!」


 彼の剣が、縦一直線に降りかかる。信じがたい言葉と共に。

 ウィリアムは剣でそれらを受け止めた。


「今、なんと?」

 

 ユナが息を詰まらせたような声を出した。


「言葉の意味通りですよ、陛下。私の周りに優秀な薬師がいると知っていた彼女は、私に頼んできましてね。陛下を救うためならどのようなことでもすると。

 だから彼を消す際にも、彼女に協力してもらったわけです」


「まさか……あの旧王国騎士団の男をけしかけたのは……!」


 全身の筋肉が硬くなった。穢れたものを見るかのように、ウィリアムは目前の男を睨みつける。


「ああ、その通り。熟練の鉱夫たちにこの水路まで続く穴を掘らせ、あの侍女にクリフォードを人気のない場所まで呼び出してもらってね。『陛下が呼んでいる』と声をかけたら何の疑いもなく来たそうだよ。まったく、かつての威光はどこへやら。平和ボケしてしまったようだ」


 呆れたようにスミスは首を左右に動かす。


「そんな……」


 ウィリアムは唖然とした。


「後はご存じの通り、あの騎士崩れの男に殺させたのだ。残念ながら、彼の親族はうまくいかなかったがね」


 目の前にいるのが同じ人間だとは思いたくなかった。彼の口から平然と真実が語られ、耳を塞ぎたくなる。彼に憧憬の念を抱いていたかつての自分を思い返すと、吐き気を催す。

 入念に計画されていたからこそ、事件は起きてしまったのだ。クリフォード家の他の者たちの暗殺未遂も、同じく彼が裏で糸を引いていたらしい。


「……なぜ、そのような、ことを?」


 ユナは肩を落としたまま、弱々しく問いかけた。黒いレースの向こうに透けて見える両肩は、声と共に小さく震えている。


「愛する妻と息子を失った時、固く心に誓ったのです。私はソスを焦土と化すと! その悲願を叶えるべく、王位を手にできる時機を待ち続けていた!」


 スミスの剣の(やいば)が、燭台の淡い光に照らされて鋭く光る。その刃はウィリアムの首元まで迫りくる。

 ウィリアムは上半身を後ろに傾けて回避した。

 後退して呼吸を整え、剣の柄を持ちなおす。


「どうして……どうして? クリフォード様は貴方の大切な戦友、でしょう?」


 ユナはかすれた声で問いかける。


「戦友とは、同じ未来を目指す者。戦う気のない彼とは相容れません。私に賛同してくれない陛下も、魔眼で国を狂わすことしか能のなかった魔女もね。故に、私が王になってソスに攻め入るしかないわけだ!」


 剣を首の横で構え、剣先をウィリアムの方に向けてくる。


「させない。あんたを王になんて、させるものか!」


 腹の底から否定を吐きだし、再びスミスの間合いに入ろうとした。

 だが、踏みとどまる。

 ユナが重々しく椅子から身を起こしていたのだ。


「スミス卿、直ちに武器を手放してください……。さもなくば……貴方をこの魔眼で石にせねば、なりません」


 そして、眼帯に震えた手を伸ばす。


「はは、御戯れを。あなたは魔眼を持っていない」


 スミスは一笑に付し、ユナを全く恐れる様子がなかった。余裕のある表情が薄気味悪い。


「そ、そのようなことは……」


「では、恐れながら陛下。眼帯を取って魔眼の力をお見せいただきたい。この地下水路にはそこら中に石ころが転がっておりますのでね。それらを自由自在に操れば、私を黙らせるなど造作もないでしょう?」


「極力、使いたくはないのです……わたくしはこの力を嫌っておりますし、今は体力がありません、から」


「さようか。やはり、あなたは魔女の血を引いておらぬのだな」


 そう聞いて、ウィリアムは胃袋を鷲づかみにされるような感覚がした。この男に何もかも見透かされているようで、ぞっとする。


「どうして……うっ……」


 ユナは胸を押さえて石畳にうずくまった。

 慌てて彼女の方に目を向ける。今も病は進行しているのだ。彼女に無理をさせてはいけない。


「ユナ!!」


 注意がそがれた。

 その好機を逃さずスミスの剣が迫りくる! 鋭い突きだ。

 身を屈めて避け、再び起きあがると同時に彼の剣に目がけて斬り上げた。

 スミスの剣は大きく上に跳ね、隙が生まれる。


「はぁあっ!」


 彼への猛烈な憎悪を剣先にこめ、彼の胴に渾身の突きを繰り出した。

 しかし、それは当たらない。

 彼は後ろに下がってウィリアムの間合いから離れ、体勢を立て直す。


「おやめなさい……でなければ、わたくしは貴方を……」


 石の床に座りこんだまま、彼女はのどから振りしぼるかのように声を出す。眼帯をおぼつかない手で外した。


「ユナティアーナ女王陛下、あなたは十分にお役目を果たされた。私を次期王と認めて、じっくり療養されるがよろしい。後のことは全て私にお任せくだされ」


 子供をあやすように優し気に、スミスはユナを諭そうとする。


「いけません……致しかねます……」


「ならば仕方ない。拒否を続けられるのであれば、プレッツェル卿の首をもらい受けるとしましょうかね」


「や……」


 ユナは絶句した。唇をわなわなと震わせている。

 心優しい彼女のことだ。すぐそこで他人が危険に晒されていれば、じっとしていられないはず。


「オレのことは気にしなくていい。必ず、薬をうばって君を城につれて帰る!」


 ウィリアムは剣を胸の前に構えた。

 彼女のためなら、いかなる苦行も辞さないつもりだ。たとえスミスを殺してでも救い出す。


「です、が……」


「大丈夫、大丈夫。オレに全部任せて」


 ユナの憂いに満ちた目に、ウィリアムは笑いかける。

 目の前にいる男は、強い。けれども彼女がすぐそこにいる。だから決して負けられない。敗北する未来など全く思い浮かべなかった。


「これはこれは。ずいぶんと甘く見られたものですな」


 愉快そうに一笑し、スミスは再び剣先を向けてくる。

 それに呼応するかのように、ウィリアムも胸の前で剣を立てた。目をつむり、すっと息を吸って吐く。

 再び目を開けると同時に、地面を強く蹴った! 稲妻のごとく剣を振り下ろす。スミスに剣で防がれるが構わない。すぐさま、次の攻撃に繋げる。


「手は抜きませんよ!」


 今のウィリアムは、目の前の相手を倒すことだけに集中していた。

 しだいにスミスの顔からも余裕がなくなり、無我夢中でウィリアムの攻撃に応え続ける。剣と剣のぶつかる重い音が、くり返し響き渡った。


「さすがは救世主様! 貴公は生粋の騎士だ!」


 スミスは応戦しながらも朗々と叫んだ。

 腹立たしいが、スミスの腕も流石と評さざるを得ない。彼の剣の特徴は正確性だった。少しの隙も見逃さない。追い詰められながらも、こちらの急所を狙ってくる。守りも固く、容易に攻め込めなかった。

 攻撃をさらに速めねばならない。しかし、久々に体を激しく動かしたせいで、その疲労が襲ってくる。


「くっ!」


 湿った水路横の石畳は滑りやすい。それに足を取られ、ウィリアムは体勢を崩す。

 その隙をスミスは見逃さなかった。


「ウィリー、様……!」


 ユナのかすれた悲鳴を聞いて、身が強張った。

 スミスの鋭い突きが迫りくる。体を反らして紙一重で(かわ)すが、次なる斬撃がウィリアムに降りかかった。歯を食いしばって受け止める。だが、完全に劣勢に立たされた。

 ウィリアムは、上段から迫るスミスの剣を受け止めたまま、水路のそばに膝をつく。上から押さえつけられて動けない。


「ウィリアム・プレッツェル。貴公の秀でた剣の才覚は、非常に惜しいね。その剣を私の妨害ではなく、我が愛娘を守るために役立ててはくれないかね?」


 額に汗をにじませながらも、スミスは穏やかに話しかけてくる。


「お断りする! オレには他に守るべき想い人がいるんだ! オレはその人のためだけに剣を振るう!」


 歯を食いしばって腹の底から叫んだ。ウィリアムは救世主でも何でもない人間だ。ただの人殺しであり、取るに足らない存在だ。しかしそのようなことはどうでもいい。

 やりたいことを、やるべきことを、自らの信念を貫き通すまでだ。


「ご立派な騎士道精神をお持ちのようだ。益々、殺してしまうのが惜しい。だが、私も騎士のひとり。敵に容赦は致しかねる!」


「いけま、せん……」


 思わず彼女の方を向いた。

 机を支えにして、ユナはふらつきながら起き上がる。頭から冠を降ろし、スミスを両目で鋭く見据えていた。膝下まであるドレスの裾が、陽炎のように揺らめいている。


「ユナ……?」


「わたくしには魔眼が、あるの……その人を殺したら、貴方を石にします……」


「見苦しいですぞ、陛下。あなたが魔眼を持っていないことは承知している」


「……わたくしは魔女様の血を引いて、います。だから……この目は、この目は、魔眼なのです……!」


 スミスの言葉を否定し、その美しい両目を大きく開いた。

 しかし、煌びやかな涙がぽつりと落ちただけで、何も起こらない。


「無理はなさらない方がよろしい。あの侍女から聞き及んでいる。本当の魔女の第1子は国外へ逃亡して今も行方知れずだと」


「なんで――」


 そう言いかけて、ウィリアムは口をつぐむ。たしか、彼女に仕える侍女たちは、ユナが王家の血筋の人間ではないと知っているのだ。


「違い、ます……」


 ユナはゆっくりと首を横に振る。


「そ、そうだ! でたらめなことを言うな!」


 ウィリアムもとっさにスミスの言葉を否定した。

 だが、スミスは全く持って動じない。


「いいや、王家の血が途絶えた事実を隠したいのだ。病気ごときに体を蝕まれた脆弱な人間が、王族であるはずがない!」


「いいえ、わたくしは女王、です。この国も、ウィリー様も。わたくしの愛するものは誰にも傷つけさせない……!」


 彼女は足を引きずって、こちらに寄ってくる。


「き、来たらいけない、ユナぁぁ!」


 それでも、ユナは歩みを続ける。そして立ち止まり、ウィリアムを上から押さえこんでいるスミスの腕へ手を伸ばし、つかんだ。


「スミス卿。剣を、納めてください」


 静かな、だけれども強い口調で、ユナは彼に命じた。薄く開かれた目から、彼女の固い決意の片鱗が見える。


「血迷いなさったか、陛下! 早急に離れられよ!」


 スミスも、女王の大胆不敵な行動に気が動転していた。


「では、わたくしを殺しなさい!」


 ユナは叫んだ。

 懐かしかった。5年前にカルニアへ勝負を挑んだあの勇ましい姿が、そこにあった。だからこそ罪悪に身を焼かれそうだった。彼女を苦しませた男を助けるために、その勇気を使わせてしまったのだ。

 これ以上、ユナに無理をさせてはならない。

 自身の腕をつかむ女王に気を取られていたスミスは、剣にこめていた力を弱めていた。

 その隙に、ウィリアムは足に力をこめて立ち上がろうとする。


「なんと愚かな……。とにかく落ち着きなさられ……ちっ!」


 だが、それに気づいたスミスは、再び強く押さえつけてきた。


「もうやめましょう、スミス卿。もう……諦めてください……」


「ははは、私に諦めろと? 諦めるのは陛下の方だ。私の邪魔をしてもお体を害するだけですぞ?」


「構いま、せん。……このままわたくしがいなくなれば、貴方が王として正式に認められることなど、ありえないでしょう」


 ユナはスミスの腕をつかみ続け、戦闘を中止させようと試みる。

 しかし、彼は全く応じない。


「ははは、なるほど。よくご存じで。……全く憎たらしい女王だ!」


 スミスは苛立たし気に叫び、片足でユナを大胆に蹴り飛ばした。


「……うっ!」


 ユナの身は大きく飛ばされる。その先にあったのは忌々しいことに水路であり、彼女は水の中に音を立てて転落してしまう。


「お前っ、よくもぉぉ!」


 己を焦がすほどの怒りと共に、勢いよく身を上げる。同時に、スミスを払いのけるように剣を振り上げた。スミスの体勢が崩れてのけ反る。そこにウィリアムは大きく踏み出し、渾身の突きを放った。

 スミスは身を反らして回避しようとした。だが、浅く肉を貫く。


「……が、っ」


 言葉にならないうめきを発して、スミスは剣を落とした。

 ふらつきながらも彼は立ったままだ。衣服には血がどんどん広がっている。その部分に手を添え、彼は表情を歪めていた。


「オレの勝ちだ、スミス」


 静かに告げて、石床に落ちた彼の剣を遠くへ蹴とばす。

 自分の剣は鞘にしまった。彼に構っている場合ではない。


(ユナっ……! どうか無事でいて!)


 ユナを助けるために水路の方へ向かう。彼女の体は水の中に沈んでいるのだ。すぐに救い出さねばならない。

 だが、その判断は早すぎた。


「はは……私は諦めの悪いことが取り柄でね。この程度の痛み、妻子を亡くした苦痛に比べれば、かすり傷さ!」


 振り向くと、スミスは短剣を隠し持っていたようで、それを逆手に握っていた。肩を左右に揺らしながら、電光石火のごとく迫りくる!

 驚く暇はなかった。とっさに避けたが、水路際まで追い詰められる。

 構わず、スミスは短剣を振りかざす。


「もう止めましょう、これ以上はっ!」


「いいや、私は止まらない! 我が国に永久不滅の安寧をもたらすまではぁ!」


 鋭い両目がウィリアムの姿を捉えて離さない。

 乱暴に振り回すスミスの短剣を避けていると、(びん)が落ちた。パリンと高らかな音が耳をつんざき、その音が体中を貫くようだった。ユナの病を治す薬……希望の瓶があっけなく割れたのだ。


「なっ……そんな……」


「よそ見をしている場合かぁ!」


 スミスが体重を傾けてくる。瓶に気を取られたせいで、ウィリアムは彼の勢いに押される。足を滑らして体勢を崩した。


「わっ!」 


 ウィリアムは水路に落ちてしまった。底は存外に深く、肩までどっぷりと水に沈んだ。水の冷たさが全身に染みこむ。


「ウィリアム・プレッツェルぅぅぅ!」


 それを追うべく、スミスも叫びを上げて、短剣を手に持ったまま水路に飛びこんできた。


「なんてことを! 傷が痛んでしまう!」


 彼の傷口には血が滲んでいる。水中に入れば、鋭い痛みを感じることだろう。どうかしているとしか思えない。


「ごこで死ぬものがぁぁぁ! デルボキラにぃぃ! 我が愛娘に、安寧な未来を与えねばぁっっ!」


 目をひん剥き、狂人のようにスミスは手足をばたつかせて赤色の混じった水しぶきを飛ばす。

 短剣を手に持つスミスが、乱雑に斬りかかってくる。その攻撃を避けると、水面が大きく波打つ。ウィリアムに目を釘付けにし、なおも執拗に迫りくる。


「止めてください、スミス公爵!」


 理性的な普段とは打って変わり、スミスは狂ったかのようにウィリアムを追い求めてくる。

 通路の方へ退避しようと、水を押しのけるように体を動かす。

 だが、スミスは獲物を狩ろうとする肉食獣のように狙いを離さない。

 早くこの男をどうにかせねばと焦るが、対抗する武器もなく、その急接近からは逃れられない。


(けど、まだ死ねない。ユナを助けるまでは絶対に!)


 ウィリアムは水路際の通路に落ちていた石ころをつかみ、それをスミスの頭部へ打ちつける。

 小さな鈍い音が聞こえると、スミスは短剣を手放して動きを止めた。彼は水の中に身を沈める。

 慌てて襟首をつかみとり、水面から顔を上げさせた。額は腫れているが血は流れていない。目は閉じていた。


「気を、失ったのか」


 一息ついている暇はない。彼の体から手を放し、急いでユナが沈んだ方に向かう。


「早く――助けないと! ユナぁぁ!」


 眼帯をはぎ取って水面に潜りこみ、暗い水の中を一心不乱にかき分ける。どこだ、どこにいるのだ。

 絶対に見つけなければならない! 一刻も早く見つけなければ!

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