51.読み終えて
手記を持っている手が痙攣していた。
そこから先は3か月前に書かれたものになる。しかし、文字が乱雑に書かれていて、ほぼ読めなかった。幸いにも「病」「侵入経路」「薬」「治す」など途切れ途切れに単語を拾えたが、彼女の思考をくみ取るのは難しい。
文字の崩れは体調の悪化が要因だろう。彼女の苦悩が文面ににじみ出ていて、心が締めつけられる。
「……っ!」
3冊目の手記を手に持ったまま、ウィリアムは絨毯の上にへなへなと座りこんだ。
口元に指をあてる。5年前、頂上での魔女との応酬によって唇を切らした。その後は黒聖山の寒冷な空気によって唇が乾き、さらに傷が悪化した。あの時の血が残っていたのだ。
「なんてことだ……この化け物め! この血のせいで!」
ユナの病の原因は魔女の血ではなかった。この体に流れる忌まわしい血が、今も彼女を苦しませているのだ。
廊下の石の壁に拳を何度も打ちつける。冷たくて硬い感触が返ってきた。
彼女に愛される資格などない。やはり、あの時、黒聖山の頂上から飛び降りていればよかった。彼女を苦しませるぐらいなら、死んだほうがましだ。ウィリアムにとって最も辛いのは、ユナが苦しむことだから。
「くそっ、オレのせいでっ……! くそっおおお!」
何度も壁を殴りながら吠える。叫び声が長い廊下に響き渡った。
「どうした!? おい、何があった!? ユナティアーナのことが分かったのか!?」
カルニアが寝室から飛び出てきた。ウィリアムの叫びを耳にして驚いたのだろう。
「ええ、まぁ」
かすれた声で、ウィリアムは答えた。彼女の蒼ざめた顔をちらりと見てから、再び目を落とす。
「いったい、あの子はどうしたってんだ!? 化け物とか物騒なことを叫んでいたが……!」
厳しい目つきでカルニアはこちらを見つめる。
彼女に手記の内容を全て明かすことはできない。特に、ウィリアムが魔眼を持つことは、誰にも明かしてはならないのだ。そうでないと、ユナの立場が不利になってしまう。
「いえ……それは、関係ないです」
唇を噛みしめながらウィリアムは言った。
カルニアの忠告を思い出せ。今すべきことは、取り乱すことではない。ユナがどこにいるのか、早急に突き止めるのだ。この血が彼女の命を奪う前に。
「んだよ、変な奴だな。それで、手記はちゃんと読んだのか?」
「全部は読めてませんが、書かれてる内容はだいたい分かりました。ですけど、今月の分は文字が乱れてて、ところどころしか判別できません」
ウィリアムは最も新しい頁を開いてカルニアに見せた。
「これって、崩れた文字だったのか。ってことは……おいおい、何も手がかりがなかったのかよ?」
両手で顔をおおって、カルニアは嘆いた。
「いえ、でも、おおまかな内容は把握できたんです。ここ1か月のユナの興味は、主にふたつあるみたいでした」
「ふたつ?」
「はい。ひとつ目は暗殺事件の侵入経路を突き止めること、もうひとつは病を治す薬を見つけることです」
本当はあとひとつ、ウィリアムのことについても多く書かれていたが、今はそれを口にする気分ではなかった。
これらの情報がユナの居場所を探るのに役立つかは分からない。しかし、ユナが自らの意志で姿を消したのなら、彼女を見つける重要な足がかりとなるはずだ。
「ふーん、なるほどな……薬か。そういや、お付きの侍女とそんな話をしてた」
カルニアはあごに手を当てた。
「お付きの? それって、オリビアさんって人のことですか?」
「そいつだ。なんで知ってんだ? 手記に書いてたのか?」
「はい。熱心にユナの看病をしてるみたいですね」
「そうだな。そいつとユナティアーナは10年以上の付き合いで、あの子の容態も知ってるんだ。だから治す薬を探してるらしい」
治療薬があるかもしれない。たしかに彼女はそう言っていた。あの文面からすると、ユナ本人はあまり期待していないようだけれども。
「薬が……でも」
「そう。あれは病じゃなくて呪いだ。町中で売ってるような薬じゃ治せん。でも、あの侍女は絶対に手に入れるって意気ごんでる。多分、ユナティアーナを元気づけたいんだろうな」
「元気づける……いい人ですね。ユナと親しい人なんですか?」
「そうだな、親しいよ。というか、近頃あいつと毎日会ってるのは、あいつの看病をしている限られた侍女だけだ。特にあのオリビアっていう侍女とは、たまに中庭で一緒にいるのを見かける」
「そんなに仲がいいんですか……。 団長さんよりも、親しいんじゃ?」
「……あんたはつくづくあたしを苛立たせてくれるな。でも、その通りだよ。本当はあたしがずっとそばにいて世話したかったんだが、本人から自分の職務をおろそかにするなって叱られてな」
彼女は肩を力なく落とした。
「きっとユナは団長さんに心配をかけたくないんです。弱ってる姿を、見せたくないんでしょう」
手記に書かれていたことを思い出す。
『このような不甲斐ない女王になりたいわけではなかったのに』
ユナはいつでも強くあろうとしている。
カルニアに対して申し訳なく思う気持ちも綴られていたから、彼女の心情が、薄々と想像できた。
「慰めんな。もっと苛々するだろうが。んなことより、そのお付きの奴を探すべきじゃないか? 城のどこかにいるだろ」
「そうですね。急いで探しましょう! ユナとよく一緒にいる人なら、彼女の行方を知ってるかもしれません!」
ウィリアムの言葉に、カルニアはうなずき、すぐに来た道を引き返した。
薄暗い廊下を走りながら、ウィリアムは眼帯に覆われた右目を押さえた。この下にある魔眼は固く閉じられている。
だが、もし再び開いたら彼女の病を治せる。いや、無理やりにでもこじ開けて治さねばならない。




