48.1冊目
もう5年も前になります。わたくしは長い長い旅をしました。旅の途中は紙や筆、それに余裕もなかったものですから、これから思い返しつつ、あのかけがえのない日々の想い出をここに記しておこうと思います。
初めて見る景観、初めて口にする食べ物、初めてお会いする人々、たくさんの経験がありました。これまで外出の機会がほとんどなかったものですから、どれも新鮮で興味深いものでした。
最も印象に残っているのは、ウィリー様のことです。彼との出逢いがなければ、あの旅の1日1日がこれほど心に刻まれ、忘れられないものにはならなかったでしょう。
ウィリー様と初めてお会いしたのは、反乱軍に追われている真っただ中のことでした。死に物狂いで追っ手と交戦していると、そこに彼が来てくださり、危ないところを助けてくださいました。まさにわたくしにとっては救世主様でありますが、ウィリー様は魔女様が探している本当の救世主様でもあったのです!
そうとは露知らず、異国から来た彼に、剣を向けてしまいました。
痛恨の失態です! すぐさま無礼を謝り、救世主である彼に、反乱を鎮めてこの国を救ってほしいとお頼みしました。
今にして思えば、自分が情けなくなります。なんて他人任せな王女だったのでしょうか……。王族たる者、あのような怠惰は2度と許されません。
ウィリー様は魔女様を強く憎んでおられるご様子だったので、わたくしは身分を隠し、緊張しつつも彼と一緒に黒聖山を目指すことにしました。
彼は明るくて素敵な御方です。一緒に旅をするうちに、彼に対する警戒心など、あっという間になくなっていました。
色々なお話をしたり、盗賊たちと戦ったり、不注意で溺れかけたわたくしを助けていただいたたりしました。最後のは記憶から抹消したいほど、恥ずかしい思い出です……。(本当に!)もうあのような恥はかかないよう、泳ぐ練習しておかなければなりません。
けれど、彼に自分のことをいっさい打ち明けずにいると、しだいに申し訳なくなってきました。
神罰が下ったのか、わたくしの正体は望まぬ形でウィリー様に知られてしまい、彼から強く敵意を向けられました。
ああ、あのときの胸が張り裂けるような痛みは、今でも忘れることができません。大切な物を失ったかのような初めて持つ感情に、ひどく混乱してしまいました。
近くで戦っていた王国騎士団の下へと、ウィリー様は走り去ってしまいます。彼の背が遠ざかるのを見て、言いようのない焦りがこみ上げてきました。深く考えるよりも先に、彼を追いかけていました。
しかし、向かった先には、信じられない光景がありました。
魔女様の騎士たちが罪のない方や子供たちを殺めていたのです。
彼らを救わなくては! ウィリー様をお守りしなければ! そのことで頭がいっぱいでした。あのときのことは、鮮明に覚えていません。
幸いなことにウィリー様もわたくしも無事に生き延びられました。この手で救えた命もありました。
ですが、救えなかった命も多くあります。心身に深い傷を負った人々も。
かくいうわたくしも、戦いの中で王国騎士団の方々を傷つけてしまいました。わたくしは正しいことをしたのでしょうか? そもそも、正しいとは何なのでしょうか?
ずっと、神様と魔女様のお言葉こそが、信じるべき正義だと思っていました。デルボキラ王家の人間は魔眼を得て、国を栄光に導くことが使命だと、そのように言われています。
与えられた役目を全うすることこそが人生……そう考えていました。
『なら、君自身はどうしたい? この国の女王になったら?』
お優しいウィリー様は、悩むわたくしに気づかせてくださいました。これまで、魔女様の教えに従うばかりで、自分で考えようとしてこなかった。またまた、王女としてあるまじき怠慢でした。このままではいけません。
わたくしの望みは、デルボキラを幸せで溢れる平和な国にすることです。国を正せば、あの夜のような惨事は起き得ません。大切な人を亡くして苦しい思いをする方々もいなくなるでしょう。
そのためには、救世主様の御力がどうしても必要でした。悔しいけれど、わたくしひとりには、一国を変えられるほどの力はありませんから。
ウィリー様がどうしても必要でした。
もう優しくなんてしなくてもいい。ただ着いてきてほしい。誰かが苦しむのを、傷つけ合うのを、嘆き悲しむのを、もう見たくはないのです。何度も説得を試みていると、ウィリー様は頷いてくださいました。ずっと騙していたのに頷いてくださった。
……感謝しかありませんでした。
『今更、そんなの気にしないよ。今までだって、一緒に野宿してきたじゃないか』
ウィリー様との和解を果たして安堵していると、これまで通り、彼は気さくなお声をかけてくれました。そのお日様のように明るい優しさは、もうわたくしには向けられないと思っていたのに。だから、とてもとても貴重なものに感じられました。本当にありがとうございます、ウィリー様。
その後も、わたくしたちは黒聖山を目指し続けました。
道中では、国の行く末を不安に思っておられる町民たちや、お父上のために戦場に向かおうとする勇敢な男の子にもお会いしました。彼らとの関わりを通し、争うことの無意味さを、嫌というほど痛感させられます。
魔眼が国に安寧をもたらすはずもなく、争いが招くのは悲痛しかありません。
魔女様の思想に対する疑念が強まっていきました。
『もし、その団長さんが……王国騎士団が襲ってきたら、君はどうするの? あのときみたいにオレと一緒に戦ってくれる?』
黒聖山に着く前夜、ウィリー様にそう問われて、一瞬だけ言葉に詰まりました。もしもお師匠様たちが、王国騎士団が、わたくしやウィリー様に敵意を向けてきたら? あのときのように、彼らが非道な行いをしていたら?
ウィリー様のおっしゃる通り、またあの夜のような悲劇に遭遇してしまっても、即座に正しい判断をする必要があります。王族として、責任ある振る舞いを心がけなければなりません。
そう、わたくしは女王になる者。この国に住む人々を幸せにするためなら、どんな手段でも厭わない。
しかし、それを実際の行動に移すには、わたくし自身が強くて善良でなくてはいけません。決して、先日の王国騎士団の方々のように、残虐な人間に落ちぶれてはなりません。
そうならないよう自らを戒める意味をこめて、わたくしの理想とするデルボキラを、ウィリー様に聞いていただきました。
『ユナなら。いや、ユナティアーナ女王陛下なら、きっと成し遂げられると存じます』
とても、嬉しかった。ふふ、ちょっと大げさな気もしましたけど。
ウィリー様は、夢を応援してくださいました。精巧な草花の王冠まで作ってくださって。
ここまで励ましていただいて、彼の期待に応えないわけに参りません。いえ、絶対に応えたいのです。絶対に。
黒聖山の麓にある町に着くと、信じられない光景を目にしました。何十人もの無実の人々が魔眼によって石にされていたのです。
魔眼の恐ろしさを、初めて目の当たりにしました。
それでもなお愚鈍だったわたくしは、母である魔女様の教えを全く拭いきれていませんでした。あの方はいつだって正しい。間違ったことはなさらない。そのような思いこみが、わたくしを縛りつけていたのです。
『役目なんてどうでもいい! 君のしたいことはなんなの? 非道な女王になって罪のない人たちを虐殺したいの!?』
考え続けていると、ウィリー様に叱られました。まったくもっておっしゃる通りです。彼の言葉を思い出すたびに、当時の自分が恥ずかしくなります。しっかりなさい、わたくし!
女王になりたい。けれど、罪もない人を虐殺するようなことは絶対にしたくない。そのような王国は、理想とするデルボキラとは程遠いのです。
魔女様に逆らったことなんて1度もありません。ですが、魔女様から話を聞かないと、そのときばかりは落ち着けませんでした。
だから覚悟を決めました。直接会って魔女様の間違いを正します!
もう迷いはありませんでした。立ちはだかるお師匠様とも剣を交え、息も忘れるような激闘の末に、勝利を手にしました。
決して敵わないと思っていた御方でした。でも、自分の剣でお師匠様に勝利した。その事実を振り返ってみると、大きな自信が湧いてきました。魔眼なんて恐ろしい力がなくとも、不可能を可能にすることができるのです!
ウィリー様のお教え通りでした!




