45.鉛色の真実
揺れる馬車の中、ウィリアムとカルニアは布張りの長椅子に対面で座っていた。
地面のおうとつが車内を揺らす音と車輪の音しか聞こえない、異様に静かな空間だ。
カルニアはときどき軽く睨むような目線を向けてくる。
気まずくて、ウィリアムは車内のあちこちに視線をさまよわせた。床にはところどころに汚れが見え、長い間使いこまれていることが分かる。とはいえ天井や長椅子は薄灰色の布地に覆われ、内装は豪華だ。
「……あんたが1年前、あの暗殺者を捕らえてくれたんだろ?」
しばらくして、カルニアが口を開いた。
「捕らえた……っていうより、あっちから襲ってきましたけどね」
「いずれにせよ、感謝する。あんたのおかげで王都の不穏な雰囲気はなくなった」
「よかったです。でも、オレは別に大したことはしてませんよ」
「謙遜なんて相変わらず腹の立つ男だな。ユナティアーナもお前にはものすごく感謝してるってのに」
犯人が裁かれた後には、お礼状も送られてきて、久しぶりにユナの手紙を読んだ。犯人捕縛への感謝が書き連ねられていた他には、ウィリアムの健康を気遣うことや、領地での活躍を絶賛することが書かれていた。
いかにも思慮深い彼女らしくて、読んだ際には笑みがこぼれたものだ。
「謙遜というか……まだ安心できないんですよ。犯人がどうやってお城に忍びこんだか分からないんですから」
「それは言えてるな。けど、本人に直接問い詰めても口を割らなかった。もっときつい拷問にかけるべきだったんだが、あの男は火にあぶられて真っ黒こげだ」
カルニアは表情を険しくさせた。
「彼は、団長さんの部下だったんでしょ?」
「今は団長じゃなくて教官長だ。若い騎士の連中を育てることしかしてない」
「あ、そうでしたね。すみません。5年前と変わらず貫禄があるから、つい……」
「ふん、ならいい。とにかくあの男の裁きは正当だ。誰であろうと、クリフォード殿下を殺した罪は許せん」
「だけど団長さんも……魔女に忠誠を誓っていたはずじゃないですか。だったら、彼みたいに今のデルボキラには不満なんじゃ?」
彼女の顔色をうかがいつつ、おそるおそると尋ねる。
「あんた、あたしがあの男を城の中に招きこんだと疑っているわけだ。つくづく腹立たしいな」
「いえ、決して疑うつもりは!」
「別にいい。あたしを疑う人間はお前だけじゃないからな。あたしが今のデルボキラに不満があるんじゃないかって話は、貴族連中にもよく聞かれる」
両肩を軽く上げ、彼女はため息をついた。
「不満は、ないんですか?」
「あたしのユナティアーナが治める国に不満はない。あるわけない。たしかに5年前までは魔女様に忠義を尽くしてたけど、あの子が作り変えた今のデルボキラの方が昔より好きだしな」
曇った小さな窓からぼんやり見える景観を眺めながら、カルニアは語った。
そこにはユナに向ける並々ならぬ思いが感じられた。ウィリアムがユナに抱く感情とは異なるだろうが、おそらくそれと同じくらい強い愛だ。
「……団長さんはユナが本当に好きなんですね」
「けっ、ユナだと? 相変わらず軽々しく呼びやがって」
今にも襲いかかってきそうな形相で、視線を突き刺してくる。
思わず長椅子の背もたれに寄りかかると、布地のごわごわとした感触がした。
「すみません、つい……」
彼女は女王様だ。もう5年前のように気安く関われる間柄ではない。
「ユナティアーナもあんたのことをいつも気にかけている。あんたなんかに会いたいとな。あたしにはさっぱり理解できん」
「え、そうなんですか!?」
明るい声が飛び出た。
カルニアがずっと深刻そうな面持ちだったから何事かと身構えていたが、まさかユナに会わせてくれるとは想定外だ。心が弾む。5年ぶりだ。会うのが待ち遠しい。
無意識のうちに顔がほころんでいた。
「その笑顔はあたしがむかつくからやめろ」
苛立った様子のカルニアに、思いっきり足を踏まれる。
「ぐっ。むかつく笑顔ですみません」
「あたしはあんたが大っ嫌いだ。ユナティアーナが許可してくれたら、あんたなんか国外に追放してる」
「ひ、ひどくないですか?」
「こうして出迎えに来てやったんだ。文句を言われる覚えはない」
カルニアは腕を組み直した。さっきから睨まれているのは、やはりウィリアムへの嫌悪が原因なのだろう。
だが、不思議とウィリアムは彼女のことが嫌いではなかった。ユナを大切に思う気持ちは同じであるため、分かり得る部分があるからだ。
「はい。感謝しています、団長さん。このご恩は必ず返しますから!」
「……恩か。あんたの恩なんていらない。ユナティアーナを喜ばせてくれれば、それでいい。それだけで……」
寂しげにつぶやく彼女を眺めていると、その横顔に涙が流れていると気づいた。
「ど、どうしたんですか!?」
「何でもない。お前の顔を見てると気分が悪くなっただけだ」
車内の床に目線を落とし、力なく彼女は答えた。
「えぇ!? そんなにオレがお嫌いなんですか?」
そう問うと、カルニアは勢いよく顔を上げた。
目はやはり潤んでいる。その本当の訳を、知りたくはなかった。
「ああ、最高に大嫌いだとも! 死ぬ前に一目会いたいとユナティアーナに言ってもらえるお前が憎たらしくてたまらない!」
悲痛な叫びが、つんざいた。ウィリアムの耳を突き刺した。
車輪が小石を踏んだのか、車内が大きく揺れた。
「今……なんと?」
どうしてそのようなことをユナは言ったのか?
否。あり得ない。聞き間違いだ。聞き間違いだ。絶対に聞き間違いだ。
全身が否認を吠え立てる。ばくばくと鼓動を震わせていた。胸のざわめきと同時に、右目のあたりに血が溜まる。焼けるように痛んだ。
「……ユナティアーナは……もう長くないんだ。病にかかっちまって」
ハンカチで目元をぬぐい、鼻声になりながら彼女は告げる。
耳鳴りを押しのけ、かすかなその告白がウィリアムに届いた。
馬車が揺れてふらふらとする。思わずこの場から逃げ出したくなった。
「嘘だ」
「嘘じゃない。だから、あたしはあんたなんかをわざわざ呼びに来たんだ!」
「どうして? あり得ない、あり得ないよ……」
「ユナティアーナの症状は、王族の血液を口にしたときのもんに似てるらしい。魔眼の話とか歴史に詳しい聖職者の見立てによるとな。あいつは……いつかの機会に魔女様の血を飲んだのやもしれん」
5年前に魔女本人から聞いた話を思い出した。魔女の鉛色の血は人間の体を鈍化させる作用があるのだ。あれによってウィリアムの体も一時的に苦しめられた。
「魔女の血、だって……?」
黒聖山でウィリアムとユナは魔女と苦闘した。その際に、飛び散った血がユナの体に入ってしまったのかもしれない。かつて、師匠の傷口に魔女の血が付着したときのように。
「どんだけ症状が悪化するかは、本人の精神や健康状態に大きく左右されるみたいだ。政務の疲れもあってか、1年前からあの子は容体がよくない……今じゃ体の一部が石になりかけてる」
しぼり出すようにカルニアは言葉を発する。身の毛のよだつ話だった。王族の血が体内に入ったまま過ごしていると、身がしだいに石となるそうだ。
師匠と同じだ。彼は魔女と対峙してから20年も生きられたが、ユナは魔女の血を直接飲んだために、一気に悪化の一途をたどったのだろう。
耳鳴りの中、あざ笑う魔女の声が記憶から這い上がってきた。
「く、魔女め! くそっ! なんでっ!!」
ウィリアムは乱暴に頭をかきむしる。激しく首を左右に動かす。
なぜだ。魔眼の脅威はこの世から消え失せたはず! なぜ魔女は死して尚、ウィリアムから大切な人を奪うのか。
「だからさ、プレッツェル卿。頼むよ」
穏やかな彼女の声に、ウィリアムは頭を押さえたまま顔を上げる。
カルニアは目元をぬぐい、こちらをまっすぐと見て頼んできた。
「ユナティアーナに会ってやってくれ。悔しいけど、それだけであの子はとびっきり喜ぶんだ」
「は、い……」
かすれた声で、どうにかウィリアムはうなずけた。
だらりと背もたれに重々しい体を預ける。
もしも魔眼が失われていなければ彼女を救えるのに。まさか今になってこの力が恋しくなるとは考えもしなかった。
曇りがかった窓ガラスをそっと撫でる。指先が凍りそうな程の冷たさを感じた。




