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38.旅の終わり

 名を呼ぶ声が聞こえ、片目を開ける。

 視界に飛びこんできたのは、最愛の人の顔だった。なぜか右目に黒い眼帯をつけている。


「ウィリー様! お目覚めになられたのですね!」


 ユナが嬉々とした表情で見下ろしていた。彼女の1粒の涙がきらめいて落ち、ウィリアムの頬を濡らす。

 頭部には柔らかい感触があった。夢のような心地だ。まだ夢の中にいるのだろうか。

 そのようなのん気なことを考えていたが、それがユナの太ももであると気づき、すぐさま起き上がる。


「わ、ごめん! オレの頭、重かったでしょっ!?」


「いえ、わたくしの心の方が重くて仕方ありませんでした。このままウィリー様の意識が戻られないかと思うと……胸が押しつぶされそうで……」


 そう言って、ユナは胸元を両手で押さえる。彼女は外套を羽織っておらず、瀟洒(しょうしゃ)な黒いワンピースドレスだけの姿だった。


「ごめん……心配かけて」


「いいんです。こうしてウィリー様がご無事だったのですから」


 彼女はほほ笑んだ。

 自分の生存を喜んでくれる人間が目の前にいる。その事実を実感し、安易に死んでしまおうと思ったことを強く悔やんだ。

 ユナに申し訳なくなって、目線を泳がせる。辺りを見回すと、ここは屋内であるようだった。天井が低くて狭い部屋だ。窓からはまぶしい夕陽の光が差しこんでいる。


「……いっ!」


 頭に激痛が走り、ウィリアムは頭を抱えて膝を床につく。

 両腕も腰も痛む。治りかけてはいるが、体中のあちこちに傷が残っている。包帯が幾重にも巻かれていた。

 右目は瞼が重く、とても開けられはしない。


「しばらくは安静になさってください。いくら丈夫なお体でも、今のウィリー様は満身創痍(まんしんそうい)ですから」


「そう、みたいだね。けど、ここは?」


 辺りは静かだ。長らく誰も住んでいないのか、部屋には簡素な棚や脚の折れた椅子があるのみだった。生活感は全く感じられない。


「麓の町にある空き家を使わせていただいています。ウィリー様が倒れられてから、4時間ほど経ちました」


「そうだった。魔女と戦ってから、気を失って……」


 記憶が徐々によみがえる。しかし、魔女の胸を突き刺した後からは思い出せない。


「はい。あの後、わたくしがこの麓の町までお連れして、軍医様に手当てしてもらいました。騎士団に専属するお医者様で、信頼できる方々です」


 胴体だけがほとんど傷がないウィリアムの体を見て、最初、医者たちは訝しんでいたらしい。だが、ユナが『この町に住む住人です』と言ってうまく誤魔化してくれたため、彼らに問い詰められはしなかったそうだ。


「そっか、お医者さんが手当てを……でも麓までってことは、もしかして君がオレをここまで連れてきてくれたの?」


「当然です。貴方様を見捨てるなどいたしません。救世主様に、死なれては困りますから」


 あたりまえのようにユナは言うけれども、魔女と戦った黒聖山(こくせいざん)の中腹から麓までは長い距離がある。感謝しつつも、重荷を背負わせてしまったことには、申し訳ない思いでいっぱいだった。


「ありがとう。でも、オレは救世主様じゃないよ。オレは……」


 国を救う力など持っていない。

 そう言おうとしたが、ユナはこちらに顔を近づける。人さし指をウィリアムの口元の前に立て、その先を喋らせなかった。


「いいえ、貴方様は救世主様であり、この国を変えた偉大な御方です。本当のことは、どうか他言なさらないように」


 ユナの真剣な面持ちを見て、その意図を大まかに察した。異国で育ったウィリアムが魔女の息子だったと知れ渡れば大騒ぎになる。彼女の地位が脅かされる事態にもなってしまう。迂闊な発言はできない。


「わ、分かったけど……」


 曖昧な首肯をすると、入口の扉をたたく音がした。

 ユナが入室を許可し、ひとりの騎士が家に入ってくる。見覚えがある女性だ。王国騎士団の団長……たしか名はカルニアだったか。


「魔女様! 電報が届きました。貴族軍は会談に応じるようです!」


 カルニアはユナの前に膝をつき、切迫した声で告げた。

 それを聞いたユナはすぐさま立ち上がる。


「お師匠様。その呼び方はおやめください。魔眼を得た今でも、わたくしはただの人間と変わりありません」


 ユナは眼帯を押さえた。

 その言葉にウィリアムは顔をしかめる。彼女は魔眼など持っていないはずだ。


「はっ。失礼いたしました、陛下。とにかくお急ぎを」


「その口調も堅苦しいです。どうか普段通りになさってください」


 膝をついたカルニアの肩にそっと手を置き、困ったようにユナは言った。


「……分かった」


 短く答えた彼女は、おずおずと顔を上げた。格式ばった所作に騎士団長としての貫禄が表れ出ている。

 しかし頭が鮮明になっていないせいか、彼女らの会話からはさまざま疑問が浮かぶ。


「へいか? 魔眼?」


「今のわたくしは女王代理という立場なのです。王族の代表として貴族の方々との話し合いをし、迅速に和解しなければなりません」


 ユナは立ち上がった。呆けたウィリアムの方を向き、意味ありげに口角を少し上げた。推測に過ぎないが、彼女が本当は魔眼を持っていないことや、ウィリアムが魔女の実子であることは、伏せることにしたのだろう。

 けれども、まっすぐとした立ち姿には、王族らしい確たる威厳が感じられた。


「お師匠様……いいえ、カルニア騎士団長。ここで救世主様を守っていただけますか?」


「ダメだ。あたしも会談に同席する! 貴族の奴らが何してくるか分からん。……それに、救世主様の手当ては誰か他の奴にやらせればいいだろ」


 カルニアがぎろりと鋭い視線を向けてくる。


「救世主様は魔女様……お母様に制裁を下したのです。多くの方々がよく思われないことでしょう。ともすれば報復を受けるかもしれません」


「……魔女様を殺したんだ。そりゃあ、そうだろうな」


 少しとげとげしい声で彼女は言った。


「しかし、貴方様ならそのようなことは決してしないと信頼しています。ですから、お願いです」


 ユナはカルニアに向かって頭を下げる。


「おい、やめろ、ユナティアーナ! 今のあんたは女王代理なんだから、人に軽々しく頭を下げんな!」


 初めて会ったときの悠々とした態度とは打って変わり、カルニアは大いに慌てふためいている。


「お願い、できますか?」


「無論、だ。ご命令とあらば」


 心臓の辺りに手を置き、騎士団長は背筋を伸ばした。


「……ありがとうございます!」


 笑顔で答えたその言葉を最後に、ユナは部屋から去ってしまった。

 早くも次期女王としての貫禄が表れていた。尊敬するし嬉しい。

 だが、今までのように彼女と気楽に接することができないと思うと、鼻の奥がじんと熱くなる。

 デルボキラでは、ウィリアムは異国人であり、ユナは王族だ。本来ならば出会うことすら叶わなかっただろう。

 長い旅がようやく終わったのだ。いつか訪れる別れが今だった。しかし、どうしても寂しさがこみ上げてくる。

 ユナが去った後、カルニアはぽつりとつぶやいた。


「なぁ、救世主様よ。ひとつ聞いてもいいか?」


 彼女はその身から漏れ出る敵意を隠そうともしない。今にも剣をひき抜いて襲いかかって来そうな様子だった。


「ひとつだけでいいんですか?」


「他にも山ほどあるが、あたしが不快になるだけだから聞きたくない。だが、これだけは聞いておく。救世主様にとって、ユナティアーナはどういう存在だ?」


 そう問われて、ウィリアムはしばし考えた。ユナがどういう存在か。それを一言で表すのは難しい。

 考えながら、ゆっくりと答えを口にしていく。


「彼女は、誰よりもデルボキラのことを考えています。この国に住む人たちを大切にしている。そんな優しい女王様を、オレは応援したい。できれば役に立ちたい。……そう思っています」


 その答えに満足したのかは不明だが、カルニアは「ふーん」と短く答えたきり、黙りこんだ。

 気まずい雰囲気を打ち破ろうと、ウィリアムは再び口を開く。


「あなたは、どうなんですか?」


「あたしがあんたの質問に答えるのか」


 座りこむウィリアムを、カルニアは顔をしかめて見下ろす。


「嫌なら、別にいいです」


「ふん、まあいい。あいつはあたしに生きがいをくれたんだ。魔女様とこの国のために剣を振るうだけだったあたしに、な」


 昔を懐かしむように、両腕を組んだままカルニアは語り始めた。


「生きがい、ですか?」


「ああ、そうさ。初めて会ったのは、まだあいつが10歳もいかない時だった。あの頃のユナティアーナは、とにかく好奇心旺盛だった。だから色んな話をしてやったんだ。そしたら、いつも目を輝かせて、もっと聞かせるようにせがんできた」


「へぇ……」


 関心のうなずきを示すと、カルニアは得意げな顔で語り続ける。


「それが、嬉しかった。いつしかあいつに話を聞かせるのが好きになってたんだ。あいつを喜ばせることが、あたしの生きがいになっていた」


 その話には共感できた。彼女の笑顔には、ウィリアムも強く惹かれたから。


「今もそうなんですか?」


「もちろんそうだが……喜ばせるってより、応援したくなった。久しぶりにユナティアーナと剣を交えて、そう思ったんだ」


「それって、あのときの?」


 この町に着いて、カルニアと初の対面を果たしたときだ。思い返せば、あのときの彼女は魔女の正しさを信じ、それを絶対的な正義として掲げている様子だった。


「ああ、そうさ。10年以上も前から稽古をつけてきたが、あいつの剣からあんな強い意志を感じたのは初めてだ。しかも魔女様に立ち向かうなんて、恐ろしいことを平気でやろうとしてた。

 正直、あたしも魔女様のやり方には疑問があったけど、歯向かうなんて考えもしなかった。そんな、とんでもないことを言い出した愛弟子を、応援したくなったんだよ」


 カルニアは自嘲気味に笑った。

 王国騎士団の団長として、魔女の非道な行いを間近で何度も見てきたのかもしれない。


「だから黒聖山へ行かせてあげたんですか?」


「いいや、単にあたしが負けただけだ。愛弟子の背中を押すべきか、騎士団長としての責務を全うするべきか、あいつと対峙してる最中に迷っちまったからな。その隙を、つかれた」


 言いづらそうに、頬をかきながら彼女はつぶやく。

 それを聞いて合点がいった。特に一騎打ちでは、敵に迷いを見せた時点ですぐ不利になる。ウィリアムも同じ経験が何度かあるし、どれほど強い騎士でもそれは同じだ。


「なるほど。たしかに、ユナの剣には迷いがありませんから……」


 傍目で見ていても分かる。だからこそ、彼女の剣は速くて力強い。


「ユナだと? あたしの愛弟子を馴れ馴れしく呼ぶな!」


 負傷した足を軽く蹴られた。


「いてっ!」


「だが、お前の言う通りだ。一瞬でも意志の揺らぎを見せたら終わりだった。いつの間にか、あたしの首筋の真横には、あいつの刃が置かれていたよ」


「さすが、ユナ! ……ティアーナ王女殿下」


 また呼び捨てにしようとしたら、カルニアにじろりと睨まれた。

 苦笑交じりにウィリアムは肩を上げる。


「ま、あんたがユナティアーナになんかいい影響を与えてくれたんだろうよ。その点だけは感謝してる」


 その答えを最後に、カルニアは目を閉じて再び沈黙した。

 ウィリアムが励ますまでもなく、ユナは立派な志を持つ人だ。しかしその励ましが、少しでもユナの役に立ったのならこの上なく誇らしかった。

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