34.優しさとぬくもり
黒聖山には起伏の激しい道が多く、ユナを抱えながらでは歩きづらい。
しかし、歴代のこの国の王たちが残したのか、人工的な木の足場があり、険しい道のりもどうにか進めた。
日が傾き始めてきたところで、岩の洞穴を見つけた。今日はここで一夜を明かすしかない。
中に入り、ユナを慎重に横たわらせる。自分の外套を丸めて枕代わりにし、彼女の頭をその上にのせた。
外で木の小枝を集め、洞穴の中で火をおこすうちに日は沈みきっていた。
ウィリアムは冷たい岩の壁にもたれて目を閉じた。腹の音が鳴るけれども、何かを口に入れる気分ではなかった。今はただ無心になりたい。
たき火の匂いに包まれてまどろみの中をたゆたっていると、小さな声がした。
「ここ……は?」
小さなつぶやきが聞こえて、重々しく片目を開けた。ぼやけた視界が明瞭になっていく。暖色の火の光が、彼女の姿を照らしていた。
上半身を起こしていたユナは、瞼をこすっている。
「ユナ……!」
それを見たウィリアムは飛び起きた。
彼女は視線をこちらに向け、まばたきをくり返す。
「ウィリー様? わたくしは、たしか黒聖山の頂上に、行って……」
頭を押さえながら、ユナはつぶやいた。
「うん。そこで気を失っちゃったんだ。ここは頂上から少し下ったとこにある洞穴だよ」
「そう、です。……思い出しました。わたくしは偽者の王女……だったのですね」
たどたどしく言い、彼女は目線を落とす。記憶と意識がはっきりしていて安心したが、意気消沈したその姿は、見るに耐えない。
「……今は何も考えずに、体を休めた方がいい。こんな岩山の上じゃ、食べれる物もないからね」
周囲にあるのは枯れ木ばかりだ。小川が近くを流れているので水には困らないが、胃を満たすものは何もない。
「考えずにはいられません。自分が何者であるかも分からないのに……。わたくしの本当のご両親は、いったい誰なのですか……?」
ユナは不安にゆれたような眼差しをこちらに向ける。
ウィリアムもずっと出自が不明だったが、今感じている彼女の恐怖はそれとは比べ物にならないだろう。魔女が彼女につけた心の傷は想像しがたいほど深いはずだ。
「……それは分からない」
「そう、ですか」
抑揚のない声でつぶやき、ユナは黒尚石の首飾りを軽く触れた。
どのような出自であっても、彼女は魔眼を持たない正常な人間だ。それだけが喜ばしい事実だった。
「とにかく休んで。朝になったら、すぐ君を麓まで連れてくから」
「すみません。ウィリー様も混乱なさっているはずなのに」
「混乱、か。まあ、魔女に知らされたときは取り乱したけど、どうしようもないことだからね。受け入れるしかないよ」
「ご立派ですね。わたくしなんて不安で一杯です。とても、受け入れられません」
「無理しないで。君はオレの代わりなんかじゃない。夢も信念もあるんだ。今はそれを信じるだけでいいと思う」
「信じる……ですか」
ユナは外の暗闇にふと目を向けた。
この洞穴は狭い。ふたりでいるとやや窮屈だ。ただでさえ傷心して疲れているだろう。だというのに、魔眼を持つ男のそばで寝ていたら落ち着けるはずもない。
「あ……ごめん。魔女の息子にこんなこと言われても困るよね。ちょっと違うところで寝るよ」
彼女も独りになって考えたいことがたくさんあるだろう。
離れるべきだと判断し、ウィリアムは洞穴から出ようとした。
「行かないでください!」
唐突な彼女の叫びに足を止める。
「え……?」
「怖いはずありません。むしろ、一緒にいていただけると嬉しいです。ひとりになる方が……ずっと怖いですから」
膝にかかった自身の外套を握りしめ、ユナは声を震わした。その姿は、風前の灯火のごとく儚げに見える。
一瞬だけ迷ったが、ウィリアムは洞窟の地面に座り直した。
「分かった、ここにいる。……ここで、寝るよ」
ウィリアムはそう答え、再び岩の壁に背をあずけた。
体が冷える。この岩山には少量の細い小枝しか手に入らず、長く燃えないのだ。枝は全て燃え尽きて熾火となる。立ち上った薄い煙は洞穴から次々と出ていった。
「ウィリー様。そのような薄着では、お体を壊してしまいます。お怪我もされているのに……」
体の震えを隠し通せなかった。自分の外衣はユナにかけてあるので、今は何も羽織る衣服がないのだ。
しかし、それで構わない。この身よりも彼女の体の方がずっと大事だから。
「平気だよ。何度も言ったじゃないか、体の丈夫さだけが取り柄だって。オレは普通の人間じゃないからね……」
笑って誤魔化そうとしたが、うまくできたか分からない。
怪我の治りが速いとはいえ、手足には無数の傷や腫れが残っており、切れた唇は乾燥してまだ血のべたつきを感じる。だが、その程度だ。肌寒さも気にする必要はない。
「強がらないでください。ウィリー様はいつもそうです……。ご自分をもう少し大事になさってください」
ユナは立ち上がり、こちらに近づく。
どうしたのかと怪訝に思っていると、彼女はウィリアムのとなりに座って身を寄せた。かと思えば、自分の体とウィリアムの体を2着の外套で包んだ。
「ユ、ユナ? どうしたの?」
「わたくしも寒いのです……。でも、こうすれば温かくなれるでしょう?」
「そりゃそうだけど……」
彼女と肩が触れて、体がほんのりと温められていく。
その優しさとぬくもりを、ウィリアムはどう受け取ったらいいのか分からず、身を固めるばかりだった。
「そばにわたくしがいては不快かもしれませんが、お体を壊してしまわないためです。我慢なさってください」
「全く不快じゃないよ!」
むしろ嬉しかったが、別の意味で我慢をしないといけなかった。とりあえず不純な行動は起こさないようにと強く己をいましめる。
「本当、ですか? それなら、良かったです。……ウィリー様の体、わたくしよりも温かいですね」
耳元で声が聞こえたかと思うと、彼女はウィリアムの体に寄りかかり、間もなくして眠った。疲れが溜まっていたのだろう。
目と鼻の先にある彼女の顔を見ていると、心臓がばくばくと暴れ始めた。この音がユナに聞こえていないか心配だ。魔眼を得てからは脈拍が速くなった気がする。魔眼のあたりには血が溜まって熱く、落ち着かない。
しかし、ずっと眺めていたくなる穏やかな寝顔だった。心が癒される。彼女の体温のおかげで寒さも気にならなくなっていた。
「君は、こんなオレにも優しくしてくれるんだね」
本当に嬉しい、だけれども罪悪感がそこに織り交ざってくる。
魔眼の怪物にはもったいない。彼女の優しさはこの国に生きる人々に向けられるべきだ。
ゆっくりと目を閉じる。
この人の役に立ちたい、この人と少しでも長く一緒にいたい。今までの人生で出会ってきた人たちに向けてきた感情とは少し異なる。初めて抱く気持ちだった。
ウィリアムはその感情の正体を、確信した。




