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33.誰よりも大切な人

 凍えるような風が頬を打つ。

 魔女が落ちてからどれくらい経ったか忘れた。ウィリアムは時の流れも気にせず、呆然と崖の前に立ち尽くすだけだった。年来の仇敵(きゅうてき)が、落ちた崖だ。

 雪はいつの間にか止んだが、今にもまた降りだしそうな空模様をしていた。


「オレは……本当に魔女の息子なんだ」


 ふとつぶやき、ぐっと息を呑みこむ。

 いまだに実感は湧かない。けれども、魔女を葬った魔眼の力がそれを真実だと語っていた。どうやっても変えられない現実だ。

 いずれにせよ、魔眼を持ったままでは生きられない。


「くっ……どうしたこんなっ!!」


 ウィリアムはずっと身に着けていた黒尚石(こくしょうせき)の指輪を乱暴に指から抜きとり、崖の先に向けて勢いよく投げた。

 見下ろすと、それは魔女と同じく急速に落ち、吸いこまれるように消えていく。

 このまま自分の身も投じようとも思ったが、ひとつ気がかりなことがあった。ユナのことだ。

 彼女は騎士団長に勝利しただろうか。魔眼を持っていないと周りに知られれば、女王になれないのではないか。そもそも、彼女本人の身が危うくなるかもしれない。

 心配でもどかしい。ユナに会いたくてたまらなかった。許されぬことだと知っていても。


 ……リ……!


 ふと彼女の声が聞こえた気がした。

 振り向くが、誰もいない。あるのは、地面に無造作に散らばる石と1本の枯れた大木だけだった。


「はは、バカだなぁ。もう会えるはずもないのに」


 乾いた笑いをもらして、ため息をつく。ウィリアムは崖の先に視線を戻した。ここより先には進めない。人生は行き止まりだった。


 ィリー……様!


 また幻聴がした。そこには誰もいないと思いつつ、振り返らずにはいられなかった。

 予想通り人影はない……と、肩を落としたその時、小さな人影が視野に入った。


「まさか幻覚まで? いや、でも、あれは……」


「ウィリー様!」


 誰かがこちらに近づいてくる。たしかに声がする。

 そして、ウィリアムをそう呼ぶのはひとりしかいない。

 ウィリアムは慌てて魔眼を押さえた。


「ユナ? ユナなの!?」


 段々と鮮明になるその姿を見て、胸が熱くなった。

 気づけば、足が彼女の方に進んでいた。


「はぁ……はぁ……ウィリー様!」


 熱心にこちらに走り寄るユナの姿が、片目でもはっきり見えた。黒い外套(がいとう)の裾が大きくはためいている。

 ウィリアムの目の前に来ると、両手を膝について立ち止まり、肩を上下させる。彼女が疲れを露わにするのは珍しい。ここまで慌てて登ってきたのだろう。


「その傷、いったいどうなされたのですか……?」


 ふと自分の体に触れると、顔や手足の傷はまだ完全には治っていなかった。服はところどころが切り裂かれて色あせた血で汚れている。


「心配ないよ。こんなのは放っておけばすぐに治るから……。って、それより大丈夫? すごく息切れしてるけど」


「問題、ありません。お師匠様には力づくで話を聞いて、もらいましたから」


「そう、なんだ。さすがだね。さすがは王女様だ……」


 必ず負けないという宣言を見事に遂行した。人間離れしたあの強者を打ち負かしたのだ。ただ尊敬の思いで一杯だった。

 やはり、彼女ほどデルボキラの君主にふさわしい人間はいない。


「ありがとう、ございます。……あの、ウィリー様? なぜ目を押さえられているのです?」


 ユナは顔を上げ、きょとんと首を傾げる。


「いや、それは……」


「もしや、目も怪我されたのですか!?」


 彼女は慌てふためいて、こちらに顔を近づけた。曇りのない麗しいその瞳が視界に入った途端、言いようのない恐怖が押し寄せる。

 心臓がどくりと跳ねた。右目に血が集まっていく感覚に気づく。


「来るな!!」


 ウィリアムは叫んだ。不意に出た大声が辺りにこだまする。

 しばし彼女は目を見開いたまま、身を固めていた。


「も、申し訳ございません! 非礼をお許しください!」


 やがて身を引いて頭を深く下げた。

 それを見て、ちくりと胸が痛む。気遣ってくれた人間に対して酷い仕打ちだ。

 けれどもこの魔眼が彼女の身を脅かすことは、是が非でも避けねばならない。絶対にだ。


「いいよ……謝らなくて。こっちこそ急に怒鳴ったりしてごめん」


「お気になさらず……それより、そちらの目は大丈夫なのでしょうか?」


 ユナはこちらを心配そうに見上げる。


「平気だよ。ただ、この目は化け物の目になっちゃったんだ。命を石に変えてしまう、魔眼にね」


「魔眼……? ウィリー様、何をおっしゃっているのですか……?」


 ウィリアムの右目を唖然と見つめたまま、ユナは問いかけてくる。


「……ユナ、オレは魔女と会った」


「お、お母様に? いつ、どこでですか!?」


「君と別れた後、麓であいつに捕まってここまで連れて来られた。そして、オレが……オレが殺した」


「こ、ころし、た……? ご……ご冗談でしょう?」


 ユナはウィリアムから離れた。さらに後ずさりながら、重々しく何度も首を左右に動かす。


「冗談じゃない。そこの崖から突き落とした。もう死んでるはずだ」


「そんな……もしやお母様に、襲われたのですか? それでやむを得ず……」


「違う。この世にいちゃいけない存在だから、殺したんだ」


「信じられません。どうしてそのようなことをおっしゃるのですか……?」


 ユナは非難も侮蔑もしてこなかった。ただまっすぐと透き通った眼差しを向けてくる。

 心にひびが入ったような痛みが走り、ウィリアムは目をそらす。

 すっと息を吐いて言葉を続けた。


「言っただろ? オレは魔女を恨んでた。父さんと母さんのことを聞きだして、殺すつもりだった。それを叶えただけだよ」


「ご冗談だとしか思えません! お願いですから本当のことを教えてください!」


 ユナは否定の姿勢を崩さなかった。

 救世主どころか人ですらないウィリアムをそれでもなお頑なに信じてくれている。そのことが彼女の反応から如実に感じとれて、良心を苛んだ。

 目の前の王女には全てを話しておかなければいけない。魔女から語られた真実を口にすれば、彼女は深く傷ついてしまうだろう。だが、言わずにいてもいつかは知る羽目になるはずだ。

 大きく息を吸った後、ウィリアムはユナの目に視線を合わせた。


「本当のこと、か。分かった……よく聞いて、ユナ。オレは君に大事な話をしないといけないんだ」


「大事な話、ですか?」


「うん。魔女から聞いたんだ。オレはさ……この国の王族として生まれたんだよ」


 ウィリアムは静かに語った。自分が行方不明だったこの国の第1王子であること。神果(しんか)を食べて魔眼を得たこと。

 改めて言葉にして述べても、まだどこか他人事のように思えた。


「……信じられません。絶対に、あり得ません。……全て作り話でしょう?」


 力なく首を振り続けるが、彼女の顔は蒼ざめている。


「作り話じゃない。オレのこの目は魔眼になっちゃったんだよ」


 ウィリアムはユナに背を向けて、周囲に積もる石たちに動けと念じた。

 5つの石が宙にふわりと浮上する。砕けろと命じれば、空中で音を立てて粉々となった。


「……本当、に? ウィリー様は、魔眼を……?」


 消え入るような声を、彼女は発した。

 再び魔眼を手で隠してふり返ると、ユナは何度も目をこすっていた。


「そう。これが、真実。どうにもならない現実なんだ」


 苦笑するしかなかった。ウィリアムも必死に否定し続けてきたが、今となっては諦めるほかない。こうして人ならざる力が使えてしまうのだから。


「では、わたくしは? わたくしは貴方様の代わりに、過ぎないというのですか?」


「違う! ユナは代わりなんかじゃない!」


 ウィリアムは否定する。

 だが、彼女の瞳は、ウィリアムの方に向いておらず、焦点の定まらないまま宙をさまよっているようだった。


「お母様が……お母様が、ずっと騙していたというの……? どうして、そんな……そんな、ことって……」


 ユナはふらりと倒れこみ、荒れた地面の上に横たわる。


「ユナ? ユナっ!」


 魔眼を押さえながら駆け寄り、ユナの肩を揺さぶる。

 体からは力が抜けており、目は固く閉じられていた。あまりの衝撃に気を失ってしまったようだ。


「どう、しよう」


 ここは誰も住んでいない岩山の頂上だ。助けも呼べないし、休む場所もない。

 何か打開策はないかと周りを見渡すと、黒い眼帯が視野にあった。魔女がつけていた眼帯だ。

 拾い上げ、ウィリアムはそれで右目を覆う。あの人の物を身に着けるのは心理的な抵抗があったが、気にしている場合ではない。

 すぐさま倒れたユナの下へ戻り、彼女を抱きかかえる。このような寒々しい所に放ってはおけない。早く、安静にさせなければ。

 運が良ければ近くに休める場所があるかもしれない。ウィリアムをここに連れてきた魔女は麓から1日かけてここまで来たと言っていた。だとすれば、ユナが一睡もせずに登ってきたとは考えにくい。


(ユナを助けるまでは死ねない……!)


 ウィリアムは急いで山を下り始めた。

 誰よりも大切な人をしっかりと抱きかかえて。

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