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32.開眼

 見上げると、花の咲く丘に父が立っていた。

 飽きるほど父の死を見てきたウィリアムは、彼の姿を目にしただけで夢だと悟れるようになった。

 父親の顔と本当の名は思い出せない。

 だが、ウィリアムを必死に守ってくれたことは覚えている。師匠の話によれば、魔女に殺される最期、彼は息子を救うように叫び願ったそうだ。息子想いの父親だったに違いない。叶うのなら会いたかった。

 すぐそばから美しい歌声が聞こえてくる。聞いたことのある歌……ユナが歌ってくれたデルボキラの子守唄だ。

 ウィリアムは遠い昔からこの歌声を知っている気がした。


「ん……」


 重たい瞼をゆっくりと開いた。見えたのは一面の曇り空だ。ぽつりぽつりと小さな雪が舞い降りてくる。肌寒くて息苦しさを覚えた。

 体がゆらされるのを感じ、誰かに抱きかかえられて移動していると気づく。頭を傾けると、目をつむった石の大男が視界に飛びこんできた。


「うわぁぁぁ!?」


 悲鳴が出た。逃れようと試みたが、体が全く動かない。

 かろうじて動く頭部を下に向かせると、地面が目に映る。大小さまざまな岩や石がごろごろと散らばっており、そのどれもが漆黒を帯びていた。

 重々しい頭をのろのろと動かして見回す。細々とした枯れ木がところどころに根を張っており、その下には灰色の落ち葉もあった。

 観察を続けていると、落ち着きが戻ってくる。やがて大まかな今の状況を把握できた。石になった大男の騎士にウィリアムは抱きかかえられ、急な斜面を移動しているようだ。


「起きたか、ゴーフェルド。間もなく着くぞ」


 子守唄が止み、低い声が聞こえてきた。

 首を動かすと、こちらに背を向けて歩く女の姿をとらえた。着ている漆黒のドレスから、それが魔女だと分かった。

 先ほどまでの歌声は魔女のものだったのだ。そうとも知らずに美しい声だと感心してしまった。この女の歌に聞きほれるなどあり得ない。

 目の前に宿敵がいるのだと言い聞かせて気を引き締め、慎重に問いを発する。


「ここは、どこ?」


黒聖山(こくせいざん)の山頂付近だ」


 魔女はこちらに背を向けたまま答えた。


「黒聖山の……そんな、いつの間に!?」


 頭が一気に冴えていく。

 あの巨大な山を登るには相当な時間がかかるはずだ。


「お前には1日ほど眠ってもらっていた」


 淡々と魔女は言ってのけた。

 ウィリアムは血を飲まされたことを思い出す。今も体が重すぎてまったく動かない。まるで体内に石が詰まっているようだ。


「あれから1日も……? クソっ、魔女め! オレの体に何をしたんだ!?」


 前を歩く魔女を強く睨みつけた。

 彼女は不安定で急な坂道を迷いなく突き進んでいる。


「王族の血を飲めば体が内部からゆっくりと石化するのだ。まだ魔眼を得ていないお前に、解く術はない」


「ふざけるな! オレの師匠もその汚い血で殺したんだろう!」


 師匠が患った病もこれと同じものに違いない。魔女の肩に剣を叩きつけた時、彼の古傷を通して、その血が体内に侵入してしまったのだ。


「お前の師だと?」


「そうだ! お前に傷を負わせた屈強な騎士だ!」


 かつて彼の剣が振り下ろされた魔女の肩には、さして異常は見られない。痛みを感じている様子もない。悔しいが、大きな傷にはなり得なかったのだ。


「……ああ、お前をさらったあの異国人か。余の血を浴びた故に、さぞ苦しんで死んだのであろう。当然の報いだ」


 魔女は言った。

 そこに罪悪の念は少しも感じられなかった。ずっとこの調子で、魔眼による殺害をくり返してきたのだろう。そう思うと、黒い感情が胸の内でますます膨らむ。


「報いじゃない! 全部、お前のせいだろ! これからオレを殺すことも何かの報いだと言うつもりか!?」


「愛する息子にそのようなことはせぬ。さあ、見よ! あれが神果(しんか)の成る古代樹である!」


 傾斜がゆるやかになり、やがて平坦な土地が現れた。

 懸命に首を動かすと、ずっしりと根を張った大木が目に留まった。天に向かって枝が広がっており、枝には1枚の葉も見られない。

 奥は崖になっていて地平線が途切れていた。


「あれが……」


 他の木は見える範囲になく、静かにたたずむ大木だけが異様な存在感を放っていた。よく見れば、木の枝に引っかかった何かが(はがね)色に輝いている。目を向けていると、どうしてか心臓が騒ぎ出す。


「神果を食えば、お前は魔眼を得る。すぐにこの国を統べる魔王となろう!」


 立ち止まった彼女は、祝福するかのように両手を空へ広げた。


「オ、オレはお前の息子じゃない! 食べても神果を無駄にするだけだ!」


 神果が実るのは30年周期である。今、神果を食べてしまえば、また30年も待たなければならない。それは彼女も望まないはずだ。


「案ずるな。お前が余の息子であることは自明だ。お前の寝顔を見て確信した」


 魔女はこちらに目を向ける。表情はどこか緩んでいた。


「オレの寝顔?」


「ああ。生まれて間もない頃から、お前の寝顔は全く変わっておらぬな」


 左目が、こちらを見つめる。その眼差しは正に愛しい子を見守る母のようだった。

 ウィリアムは冷静さを保とうと瞬きをくり返す。


「寝顔が似ていたからだって? ばかばかしい。オレとお前の子の顔が似てるだけだろ!」


「いや、違わぬ。余が他人の子の寝顔を見て、これほど心が凪ぐことはない。まごうことなく、お前は余の息子である」


 魔女は再び背を向けて歩き出した。

 おかしな人だ。いや、この女は人間ではない。

 しかし、息子に対する愛情は本物なのだろう。その慈愛を少しでも周囲にも向けてさえいれば、多くの人々が救われたはずなのに。

 そのような複雑な思いを抱いている間も、動かぬウィリアムの体は石の男に運ばれ、大木の下へと確実に近づいていく。


「とにかく降ろせ! 化け物を生み出す神果なんて、オレが踏みつぶしてやる!」


「哀れな、ゴーフェルドよ。何故(なにゆえ)、そのように聞き分けのない男に育ったのだ? 異国人に育てられた影響か? いや、これも、忌々しきグエンガンの所為(せい)やも知れぬ」


「またその人の名前か。お前が自分で石にしたっていう……」


 彼が父であるはずがない。あり得ない。

 しかし、もしもだ。万が一にも本当に彼が父だとしたら……グエンガンと魔女の間で生まれた子供が自分だとすれば……。

 最悪の可能性が思い浮かぶ度に、即座にそれを打ち消す。


「ああ。悲しくも、あの男の血がお前の中に流れてしまっている」


 だが、魔女はその可能性を事実だと認めているのだ。迷いなく、強く確信している様子だった。

 それでもウィリアムは否定を止めない。


「オレの父さんはお前の夫じゃない! 早く本当のことを教えろ!」


「余は真実しか告げておらん。見よ、ゴーフェルド! あれこそが我らに神聖な力を与える神果である!」


 石の死体によって、ウィリアムは地面へと降ろされた。

 力なく仰向けになると、鋼色の果実が見えた。枝の先に実っており、けばけばしく発光している。形や大きさはりんごに似ているが、表面にはごつごつとした起伏がある。まるで岩のようだ。 

 その不気味な果実を見た途端、心臓がさらに激しく暴れ出した。


「な、ぐっ……!」


「お前の持つ心臓と神果が共鳴を起こしているのだ。これで、お前が余の子であると証明された」


 神果は不気味な光を帯び始めて枝から離れ、粉雪と共にゆっくりと舞い降りてくる。

 それを魔女ががっしりと片手でつかんだ。


「さあ、ゴーフェルドよ! 目覚めの時だ!」


 魔女は地響きのように低く告げた。恐ろしい果実を手に持ち、歩み寄ってくる。


「来るなぁ! 来るなよ! ぐっ――」


 否定の言葉を叫ぶが、石の死体に口を強引に開けさせられる。魔女の持つ神果が、ゆっくりと迫りくる。

 首を左右に振るが、石になった騎士の手で固定されて、頭すらも動かせなくなった。


「憂慮も恐れもいらぬ。食えば自然と溶けてゆく」


 成すすべもなく、神果はウィリアムの口の中に押しこまれる。


「んんっ!」


 ウィリアムの体内に、呪われし果実が入っていく。何の味もしない。ざらざらとした触感が舌を撫でていく。早く吐き出さなければと思うが、噛む暇もなくのどを通過した。

 ほどなくして、神果は体のどこかに跡形もなく消え去った。


「ついにだ! これで……これでお前の心臓の本来の力が発揮される。余の血による石化も解かれるであろう」


 熱を帯びた魔女の声が、鼓膜を震わす。

 心臓が大きく振動した。身動きすら叶わなかった体が一気に軽くなり、右目に血が溜まっていくのを感じる。不吉な予感がした。まさか魔眼、だろうか。


「嘘……オレは本当に……」


 おもむろに立ち上がって呆然としていると、心臓の鼓動はゆるやかになった。

 しかし、まだ右目がじんわりと痛む。


「ゴーフェルド・デルボキラ。その強大な力をもって、王国を平和と繁栄に導くのだ。反逆者共を駆逐し、我が国に攻め入る侵略者共を抹殺せよ! はは、はははははっ!」


 地を揺るがすような笑い声が周囲の山々に反響する。

 ウィリアムは右目を押さえる。これが本当に魔眼なのかと思うと、手足の震えが止まらない。心が拒んでも、己の体中が深刻な真実を熱弁している。

 もはや認めざるを得ない。ウィリアムは魔女の息子だった。憎み続けていた仇と同質の存在――人ならざる化け物である。

 だとしたら、すべきことはただひとつだ。


「こんなもの、捨ててやる!」


 瞼の上から目玉をつかみ、ウィリアムは魔眼をえぐりだそうとする。


「愚か者が!」


 怒声と共に勢いよくぶたれ、ウィリアムは倒れた。

 頬がじんと熱くなる。石が散らばる地面に倒れ、体中を痛みが襲った。しかしそれらの痛覚など全く気にならない。むしろそのまま砕け散ってしまいたかった。

 あふれ出そうなこの恐怖も、他人の感情にしか思えない。自分という存在が、手の届かないどこかへ去ったようだった。


「お前は守護神に選ばれた特別な人間なのだ。魔眼は神からの贈り物だ。それを捨てるなど、不敬も甚だしい! 恥を知れ!」


 魔女はかっと片目を開いて、こちらを睨みつける。


「神に選ばれただって? こんな力が何の役に立つっていうんだ……」


 目元を押さえ、ウィリアムはよろよろと身を起こした。

 この国の邪悪な神に呪われたとしか思えない。このような力を持っていながら、魔女はよく平気でいられるものだ。ウィリアムには耐え難い苦痛だった。


「力は繁栄をもたらす。強大な力である魔眼はデルボキラの国土を守り、我ら王族が平和を維持するためにあるのだ。いずれ王位を継ぐお前には、その役目がある」


 役目。かつてのユナもそう言っていた。彼女は魔眼によって国を統治することが使命であると信じていた。魔女が何度もその大嘘を吹聴したのだろう。実際は、魔眼を持たない正常な人間であるのに。

 しかし、この醜悪たる力の持ち主がユナではなく、ウィリアムであったことは不幸中の幸いだった。それだけが唯一の救いだ。


「オレよりあんたの娘の方がずっと王様にふさわしい。ユナはこの国を幸福と平和に包まれた国にしようと頑張ってる! 彼女に王位を譲るべきだ!」


「否。あれはお前が現れなかった時のために育てた偽りの王女にすぎぬ。余の下にお前を連れてきた功績は称賛に値するが、力なき者が国を司るなどあり得ぬわ」


「ユナは今じゃ、あんたの考えを否定してる。自分の意志でデルボキラを変えようって思ってる。オレだって、あんたの言いなりにはならない!」


 そう言い捨て、ウィリアムは元来た道を引き返そうとする。

 後ろで「はっ!」とあざ笑う声が耳に届いた。


「魔眼を持たぬ小娘に王位をくれてやる気はない。どうやら、お前は異国人に毒されたらしい。であらば、余がその毒を抜いてやろう」


 不穏な低い声に思わず振り向くと、魔女が眼帯をはぎ取り、紫に目を光らせた。「動け!」と声を上げると、先ほどの石の死体がおもむろに動きだした。かと思えば、こちらを目がけて迫りくる。


「くっ! また汚いことを!」


 ウィリアムは右目を見開いて、魔女を見つめる。

 心臓がどくりと脈を打った。右目のあたりの筋肉に力がこめられ、高熱を帯びる。視界が紫に染まっていく。

 目前に迫っていた石の死体は、固まったように動かなくなった。

 だが、魔女本人の体には何の変化も見られない。


「ほぉ」


 彼女は興味深げに、ウィリアムを凝視した。


「魔眼が効いてないのか……?」


 独り言をもらすと、魔女はその問いに答える。


「お前の魔眼で余を石にすることはできぬ。余がお前を石にすることもな」


 それを聞きながら1歩ずつ退く。

 思案を巡らせていると、視界が正常になった。

 けれども疑問だ。ウィリアムの魔眼は間違いなく発動し、それによってこの石の死体は固まっていたはずである。


「じゃあ、これは……」


「我が国の石は聖なる因子を含む。それらが魔眼と共鳴し、自由自在に石を操れるのだ。このようにな!」


 魔女の力によって死体が宙に浮きあがる。次の瞬間、死体の石が勢いよく分裂した。石の破片がウィリアムに向けて飛来する。その場でかがんで()けた。


「どこまで死んだ人をもてあそぶつもりだ!? 魔女!」


 目の前にいる非道な女を、ウィリアムは睨みつける。


「ただの抜け殻だと言ったはずだ。忘れたのか?」


 悪びれることもなく、彼女は眉ひとつ動かさない。


「人でなしめ!」


 この凶悪と冷血の体現者が、ウィリアムを生んだ。おぞましいその事実に側頭しそうだった。

 今すぐにでもこの忌々しい目玉を捨てたい。

 だが、先ほど、死体の動きを止められたのは、死体が石だったからだろう。魔女の言っていた通り、魔眼の力はあらゆる石を自在に操れるのだ。

 これは好機でもある。この力を使って魔女を殺すのだ。師匠や父の仇を討ち、世界から魔眼に怯える人間をなくす。


(そしたら、こいつと一緒に死んでやる!)


 魔女の真似をして、近くの石に「動け!」と念じる。石が浮き上がった。

 心の中で「当たれ!」と命令すれば、石は瞬時に魔女の下へと接近する。

 魔女が目を見開くと、彼女の周囲の石たちが浮遊した。それらはウィリアムの飛ばした石と衝突する。空中で轟音(ごうおん)を立てて砕け散った。


「良い調子だ、ゴーフェルド。では、こういったものはどうだ?」


 遠くで10個以上の黒い石が宙に浮き、互いに交わる。4つの石の剣が形成された。それらがウィリアムに迫りくる!

 一部は身を動かして避けるが、体に当たり、服が裂ける。手足や頬、唇など、体のあちこちに血がにじむ。その色は赤ではなく(なまり)色を帯びていた。魔女と同じ色だ。

 それを目にした途端、体中の毛が逆立つ。


「オ、オレの血が……!」


「はは、案ずることはない。王たる者の神聖な血である!」


 魔女の言葉がどこか耳の遠くで聞こえてきた。

 その間にも、胴体の傷口はすぐに閉じていく。これまでより回復力が上がっていた。


「なんでまた治りが早く……?」


「心臓を守る故だ。我ら王族の体は、心臓付近の損傷が急速に治癒されるよう創られている。神果を得て、その力がより強固となったのだ!」


 喜々とした声が耳をつんざく。

 さらに石の剣を作った彼女は、怒涛の如く連射してくる。


「盾になれ!」


 唱えると魔眼がうずく。ウィリアムは近くの石を集めて、盾を組み立てた。それで迫りくる石から身を守る。しかし、とめどない攻撃に耐えかねて崩れた。

 走り、再び石をたぐり寄せる。今度は、ゆっくりと剣が形成されていく。完成したそれを手に握る。


「うぉぉぉぉ!」


 地面を蹴った。空気を切り裂くように、魔女の下へと疾走する。


「いいだろう、ゴーフェルド。今度はお前の剣の腕を見せてもらおうか!」


 手慣れた様子で、彼女も剣を形成した。

 ふたつの剣は激しくぶつかる。その度に鈍い音が響く。

 石の剣は重くて動かしにくい。

 だが、ユナ教えてもらった通り、呼吸に合わせて攻撃をくり返した。無駄なく、途切れなく、正確に。

 それでも魔女は強敵だ。剣の腕は並みの騎士を超えている。


(けど、ユナや師匠ほどじゃない!)


 剣による応酬なら、ウィリアムは魔女に勝てる手ごたえを感じていた。

 しかし、ごつごつした岩々が地面に散在していて足下が不安定だ。慎重さを欠かせば即座に死を招く。


「なんと豪快な剣であろうか、我が息子よ!」


「せいっ!」


 上からの突き上げにより、魔女の剣は宙に浮いた。

 長い黒髪を揺らして、彼女は後退する。すぐさま離れた剣を手元に呼び戻した。直後には魔眼を見開き、ウィリアムの背後から石を飛ばす。魔女は広範囲の石を操作できるようだ。1度に扱える量も多い。

 けれども恐れはしない。ウィリアムは剣を流れるように動かした。放たれた石を空中で打ち落とす。


「はぁっ!」


 その隙に魔女が迫り、剣を突いてくる。

 ウィリアムは身を捻って避けた。

 だが、魔女が地面に落ちていた石を飛び上がらせる。

 思わず、ウィリアムは腕で顔を覆って防ぐ。


「ぐっ!」


 石が腕に当たり、痛みが生じる。

 しかし、構うものかと魔女に向かって再び剣を振るった。魔眼を発動させる間を与えぬよう、連撃を途切れさせない。集中していると、考えるより先に体が動く。

 激しい剣の応酬を続け、ウィリアムは着実に相手を崖の端へ追いこんでいく。


「さすがは我が息子! お前には剣の才覚があるらしい!」


 追い詰められているにも関わらず、相手は歓喜に浸っている。舞い踊るように優雅な動きでウィリアムの猛攻をしのいでいた。


「化け物め! 何が楽しいんだ!?」


 休みなく斬撃を繰り出し、ウィリアムは腹の奥底から大声を出す。柄を握る手は高熱を帯びていた。


「余はこの上なく嬉しいのだ! お前がこれほどまでに強い男に育っていたことが。必ずや、お前は屈強な王となるであろう!」


「ばかばかしい! オレが王になるなんてあり得ない! 絶対に!」


 強く前に踏み込む。拒絶の声と共に、憎々しい相手に剣を振り下ろす。

 魔女は石の剣を真一文字にしてそれを受け止めた。

 ウィリアムは全体重を魔女の方向に傾けさせ、剣を押しつける。一気に崖の端まで追い込んでいく。

 断崖まであと少しというところで、魔女は守りの姿勢に切り替えた。ウィリアムの一撃一撃を、正確に打ち払っていく。


「否! お前は王となるべく生まれた。王家の血を引く者がこの国の統治するのだ。これは守護神の定めし使命であるぞ!」


 魔女の口から、怒声が吐かれた。眼球が飛び出んばかりに、目は見開かれている。


「オレに使命はない! 望みはただひとつ。この世から魔眼を消し去ることだっ!!」


 剣を強く押しつけて相手の動きを封じる。

 ウィリアムは足下に目を向けた。


(崩れろ!)


 心の中でそう念じると、魔女の足下が大きく歪む。体勢を崩したその胴に、すかさず横薙ぎの一閃を放った。刃が肉を浅くえぐる感覚が剣身を通じ、固く握り締めた拳まで伝わる。

 魔女の身は崖の向こうへと投げ出された。


「ゴーフェルドぉぉぉ!」


 落ちていく彼女は息子の名を叫んだ。その声も遠ざかり、すぐに聞こえなくなった。

 ウィリアムはその始終を石のように固まって、ただ眺めていた。やがて、よろめきながら後ずさる。

 だらりと腕をぶら下げ、しばし呆然としていた。


「死んだ、のか?」


 やっとの思いで、かすれた声が口から出た。

 崖のそばに近づいて見下ろすが、漆黒の衣に身を包んだ彼女の姿は見えない。ここから落ちれば、命はないだろう。崖の下へ舞い降りていく粉雪たちが、やがては地面に触れて消えるように。

 仇の最期はあっけなかった。魔眼など恐れることはなかった。これほど弱い存在に師匠も両親も殺され、多くの人たちが苦しめられていたとは。


「ふぅぅ……」


 息を吐き、地面に石の剣をついて、倒れるように身をかがめる。ウィリアムはうつむきながら、固く目を閉じていた。


(終わったんだ、何もかも)


 亡き師匠の無念は晴らせた。父であるグエンガンも、ウィリアムを逃がそうとしてくれた侍女も、これで報われる。この国も魔女の支配から解放されるはずだ。

 だが、心は全く満たされなかった。

 口の中に苦い血の味が広がる。空虚の味だった。

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