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31.魔女

 黒聖山(こくせいざん)の木々に囲まれた山道を少し駆けあがったところで開けた場所に出た。

 土と小石の混じる荒れた地面には、貴族軍の兵や町民と思われる20人ほどが、石となって並べられていた。誰もが恐怖に顔を歪めたまま灰色になっている。

 分厚い雲の下に広がる惨状に、体が冷えていった。


(そん、な……処刑は止められなかったのか)


 またもや救えなかった。自身の無力さに打ちのめされる。

 いや、そのような暇はない。この溢れん出んばかりの憎しみを糧に立ち続けるのだ。これ以上は誰も死なせない。

 木に囲まれた空間を、鋭い視線で見渡す。20人ほどの騎士が随所に立っていた。彼らはこちらに気づいた様子で、「何者だ!?」と一斉に剣を抜く。

 だが、ウィリアムはそれを気にも留めなかった。奥にいる長身の女性に、目が釘付けとなる。


「あれは……」


 騎士たちに囲まれ、瞼を閉じて岩に座る女だ。先ほどの騎士団長よりも年齢は上に見える。黒いドレススカートを身にまとっているが、無駄な装飾は一切つけておらず、機能美のある洗練さを印象づけられる。

 右目に黒い眼帯をしていることから、ウィリアムは自ずと悟った。

 あれが、魔女と呼ばれしこの国の女王――アスティアーナだ。


「魔女……!」


 名を叫んだ。

 しかし、それ以上の言葉はのどから出てこなかった。いざ仇を目の前にし、その圧倒的な存在感に呑まれていたのだ。

 恐れてはいけない。心に凝り固まったありったけの憤怒を振りしぼる。


「いったい……! いったい、何人殺せば気が済むんだ!」


 念願の対面を果たした充足感に浸る余裕もない。

 魔女は片目を厳かに開く。その刹那、辺りの空気が重圧を帯びた。

 いましめるように、心の中で何度も唱え続ける。恐れるな。あの女が父と母を殺した。これまで憎み続けてきた相手だ。


「……誠か」


 息を詰まらせたように、魔女は発した。目を細めてウィリアムを凝視する。


「誠にお前、なのか? ゴーフェルド……?」


 厳かな声で呼んだのは、聞き覚えのない名前だった。ウィリアムは眉をひそめる。辺りも静まり返り、乾いた風が周囲の木を揺らす音だけが、妙にきわ立つ。


「寝ぼけているのか、この人殺しめ! オレの名はウィリアム! 20年前、あんたに父を殺された男だ!」


 ウィリアムは父の形見である指輪を魔女に見せつける。

 腹の底から出たウィリアムの怒声は、広く響き渡った。


「貴様、女王陛下の御前であるぞ!」


 騎士たちは、迅速な動きでウィリアムを取り囲む。

 緊張して固くなった体を震い、ウィリアムも胸の前で剣を構える。

 だが、突如の大音声(だいおんじょう)が、この場にいる全員を静止させた。


「下がれ、者ども! 皆、ここから去れ!」


 魔女が指令を下したのだ。

 騎士たちは混乱しながらも主君の命令に従う。

 辺りにはすぐに誰もいなくなり、ウィリアムと魔女のふたりのみとなった。

 魔女は妖しく口元をゆるませて近づいてくる。すらりとした鼻筋が、確固たる女王の権威を誇っているようだ。光沢を放つような滑らかな白肌がまぶしい。

 つい瞼が下がりかけるけれども、怯むものかと睨みつけ、ウィリアムは憎き仇に剣先を向けた。

 すると、彼女は目の前で歩を止める。


「ああ、間違いない。よくぞ無事に生きていてくれた! これでデルボキラは救われるのだ!」


 両手を左右に広げ、魔女は興奮気味に叫ぶ。黒鉄色の長髪が宙に波打つようになびく。

 薄紫色の唇を不気味に曲げるその様子に、違和感を抱いた。いったい、なぜ魔女はあれほどの歓喜に満ちているのだろう?

 だが、その疑問よりも先に、長年分からなかった真相を突き止めたい。


「な、何を言ってるのか分からないけど、オレはあんたに聞きたいことが山ほどある。なんで父さんと母さんを殺したのか。それを訊くために、オレはここまで来たんだ! 早く答えろ!」


 飛び出んばかりに心臓が脈を打つ。いかなる答えが返ってきても、絶対にろくなものではない。この町の人々と同じように、彼らは魔女の理不尽に殺されたのだ。

 ウィリアムは剣の柄を握りこむ。返答次第では即座に斬りかかるつもりでいた。

 しかし、魔女の口から発せられたのは、全くもって予想外の言葉だった。


「お前の母はここにいる。このアスティアーナ・デルボキラこそがお前の母だ」


 言葉の意味を理解できず、数秒の間、思考が凍った。

 徐々に理性が戻ってくる。魔女はまともな感性を持っている人間ではない。邪悪な怪物だ。彼女の口から語られる戯言を真に受けるな。


「オレが、あんたの息子……? からかうのはやめてよ! あり得ない!」


「からかってなどおらぬ。()の息子であるお前がいつかこの地に戻ると信じて、20年前から民衆に向けて公言していたのだ。お前が、こうしてソスから来ると」


「なに言ってるんだよ! それはあんたが言った、この国の救世主が現れるっていう神託(しんたく)とやらのことで――」


「神託など受けておらぬ。あれは、行方知れずのお前を探す故、お前の特徴を述べただけだ。救世主ではなく、この国の第1王子であるお前のな」


 淡々と魔女は告げた。


「とく、ちょう?」


如何(いか)にも。黒い石の指輪を持ち、余と同じ黒髪を持つ青年がソスより現れる。その願いを込めし予言が、今、現実となったのだ!」


 昂ったその声が、耳に障った。

 理性を保ち、ウィリアムはどうにか荒ぶる思考を整理しようと努める。

 救世主の特徴と言われていたのは、本当のところ、魔女の息子の特徴だった。つまり、この国の王子を探すために、魔女は限られた手がかりを、民衆に開示した。しかも、その王子がウィリアムだという。

 到底、信じられることではない。


「そんなの人違いだ! 絶対に違う! オレは王子なんかじゃない!」


「違わぬ。余は常に案じていたのだ。神の加護が届かぬ(ゆえ)、異国の地に探しに行けぬのがもどかしかった。唯一の実子にも会えぬとは耐え難い苦痛だ」


「唯一の……? ユナがいるじゃないか。あの子はあんたの娘だろ!?」


「あの子だと? まさかユナティアーナのことか? なぜ、お前があれの存在を知っているのだ?」


「この山まで一緒に旅してきたからだよ! 彼女の案内でこの山まで来たんだ……!」


「ほぅ、そうか。あれは少しばかり優秀ではあるが、魔力の心臓を所持していないただの人間だ。お前が現れぬ場合を想定して仕立て上げた、偽りの王女にすぎぬ」


「な、なんだ、って……」


 滔々と語られる魔女の話を聞き、言葉が詰まる。


「余が生んだ子はたったひとり、お前だけだ。だが、ここでの話は内密にせよ。他の者に聞かれては政治に支障が出る故、奴のそば使い共にしか知らせておらぬ」


 魔女は目を細めて声を低くした。

 では、騎士たちに去れと命じたのは、人払いをするためだったのか? いや間違いだ。あり得ない。ウィリアムがこの国の王子であり、ユナが王女ではないなど、根拠の欠片もない話だ!

 けれども、いつの間にかウィリアムは魔女の言葉に翻弄されていた。違うと言い聞かせても、何かが胸の中につっかえて取れないのだ。

 もやもやとした引っかかりを振りはらうように、ウィリアムは叫ぶ。


「全部、嘘だ! だって、オレは覚えてる。あんたが父さんと母さんを目の前で石にして……」


「如何にも。余は確かにお前の父――グエンガンを石に変えた。あの男は余の目を盗み、お前を連れ去った悪漢だ」


「グエン、ガン?」


 クリフォードに教えてもらった名だ。デルボキラの大英雄と謳われていた貴族であり、魔女の夫だった男だ。魔眼で石化されたと聞いている。


「奴はお前の世話をしていた侍女と結託して、お前をソス王国に連れ去ろうとした。デルボキラ史上、最も罪深き反逆者たちである。故に、余は奴らを石に変えたのだ」


「侍女……?」


 何度も悪夢で見た女性だった。ウィリアムがずっと母親だと記憶していた女性……あの人はウィリアムの母ではなかったのか? 

 いや、信じるな。目の前にいるこの怪物が母親であるなど、作り話に決まっている。


「だが、あの時の余は怒りに我を忘れていた。ただの騎士ごときに不覚を取ったのは、余の失態だ。許せ」


 魔女はウィリアムに向かって、軽く頭を下げた。

 ただの騎士、もしそれが師匠のことを指しているのだとしたら? たしかに、20年前、魔女に襲われかけていたところを、師匠に助けられた。そして彼がソス王国まで連れていってくれた。

 この女の言っていることは間違っていない。師匠が教えてくれた話の内容と一致する。

 しかし、やはり人違いだ。


「あり……得ない。そんなわけない……」


 何が何でも否定したかった。この高鳴る心臓が魔力を生み出すなんて、この目が忌々しき魔眼だなんて。全く信じられないし、受け入れられるはずもなかった。

 容姿も境遇もウィリアムとよく似た人間がどこかにいるのだ。そうに違いない。


「否、これは真実である。お前はまごうことなく、余の息子であり、強大な魔眼の力によって王国を支配する救世主なのだ!」


「オレは救世主でも、あんたの息子でもない!」


 もう魔女の世迷言はうんざりだった。地面を蹴り、魔女に向かって駆ける。その口を永遠に封じるために。

 だが、魔女は眼帯を外し、右目を露わにした。

 ウィリアムは即座に立ち止まる。魔眼を直視しないように目元を両手でおおった。


「取り押さえろ」


 静かに、魔女は命じた。

 おそるおそると顔を上げて周囲を見回すと、異様な存在に気づく。


「あれは石化された人たち……」


 石となった貴族軍の騎士たちが立ち上がり、こちらに歩み寄ってきているのだ。

 目が合った。ウィリアムの姿を確と捉えた彼らは、固まった表情のまま駆け足で接近してきた。


「今後のためにもよく覚えておくと良いぞ、ゴーフェルド。魔眼の力はこういった使い方もできるのだ」


「魔女め! 死んだ人の体をもてあそぶつもりか!」


 怒りのあまり、うっかり魔女の目を見てしまった。

 ところが、魔眼はまばゆい紫の光を放っているだけで、ウィリアムの体に異常は起こらない。


「この者どもの魂は既に地に帰した。今はただの抜け殻にすぎぬ。抜け殻をどう扱おうと、咎められることはなかろう」


 石の死体たちはウィリアムを目がけて黙々と迫りくる。慌てて彼らの手から逃れようとするが、肩をつかまれて転倒してしまう。


「やめろ! 離せ、離せ!」


 死体たちによって荒れた地面に組み伏せられる。土や砂が頬に食いこみ、呼吸が困難になる。全力で抗い続けていると、剣を奪われた。押しのけて取り戻そうとするが、彼らの体はびくともしない。


「さて、ゴーフェルド。これより余と共に黒聖山を登る。そこでお前は神果(しんか)を食すのだ。お前の目が魔眼となれば、お前が誠に我が子かどうかは分かる」


「オレが、魔眼を得る?」


 父と母を殺した恐ろしい力。多くの人を虐殺した残酷な力。

 万が一にも持ってしまえば、魔女と同類の怪物になってしまう。それは今まで見てきたどの悪夢よりも、凄惨な未来だ。


「立たせろ」


 命令に応じて、鎧を身に着けた死体たちがウィリアムの両脇をつかみ、無理矢理に立たせる。

 魔女は腰から剣を抜き、刃を自分の手のひらに当てた。

 気でも狂ったのかと思っていると、じりじりと魔女はこちらに迫りくる。その企みは分からないが、自ずと心がざわつく。


「いやだ! 来るなよ、魔女!」


 ウィリアムが睨みつけると、魔女は歩みを止めた。


「お前は余を恨んでいるのだな……ゴーフェルド」


 なぜか彼女は少しだけ目を伏せた。

 その姿に、ウィリアムは戸惑いを覚える。どこか悲しげに見えたからだ。

 いや、魔女が悲しむなどありえない。魔女は冷血な殺戮者なのだから。


「その名で呼ぶな! オレはウィリアムだ! 早く本当のことを教えろ……オレの父さんと母さんのことを!」


「全て教えたではないか。その黒尚石(こくしょうせき)の指輪は余がお前に与えたものだ。お前が確かに我が子であることは、余の贈り物が証明している」


「なんだって? あんたがオレに、これを?」


「まだ赤子だったお前が余の指輪を気に入って、手放さなかったからだ。故に、お前に譲った」


 目を細めて魔女は語った。白くて精悍な顔からは険しさが消えていた。

 彼女の慈しむような目から、とっさに視線をそらす。魔女がつけていた物を欲しがるなど、身の毛がよだつ話だ。想像するだけで胃液が逆流して気分が悪くなってきた。


「オレが……オレが、そんなことをするはずがない。ふざけるのもいい加減にしろ! オレの目は魔眼になんてならない!」


「お前が何と言おうとも、余の息子として生まれたからには王子としての責務を担ってもらう。……口を開けさせろ」


 死んだ騎士の硬くて冷たい籠手(こて)がウィリアムの口元に触れる。真一文字にぎゅっと閉じようとしたが、強引に開けられた。

 力ずくで頭を上げさせられ、分厚い雲におおわれた空以外は視界に入らない。


「んん! んんん!」


 激しく身をゆするが、体ががっしりと押さえられて動けない。この絶望的な状況を抜けだす術を思案していると、(なまり)色の血にまみれた魔女の手のひらが、目と鼻の先に現れる。

 異常な色をした血が、魔女の手からしたたり落ち、ウィリアムの口の中に入っていく。


(なっ、……体の中に!)


 どろりとした無味無臭の血液に体内を侵される。言い知れぬ恐怖が心の底からせり上がってきた。


「少しの間は痛むだろうが、試練だと思って耐えろ。余の血は魔力を帯びているのだ」


 吐き気がするとともに、体が重くなった。煮えたぎるような怒りの炎が徐々に鎮火されていく。

 体中が硬くなるのを感じ、暗鬱な予感が心を刺す。もしかすると、このまま石にされるのではないか。父や母、師匠と同じように。


(まだだ。まだ、石になんて! 目の前のこいつはオレの父さんと母さん、師匠の命を奪った。だから、早くこいつを……)


 そう心の中でくり返すうちに、ウィリアムの意識は途絶えた。

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