26.草原で会った少年
朝が来るともに、馬に乗って町を出た。
もう辺りに木々はなく、草原を横切る土の一本道が続いている。自分で歩く必要もないので足も疲れない。体が軽くなった気分だ。
「あとどれくらいなの?」
前を走る馬に乗ったユナへ、ウィリアムはたずねた。
「3日以内には着くはずですが、寝坊したわたくしのせいで、予定より遅れています。急ぎましょう」
地図を見て、彼女は答えた。
凛然としたその姿は、酔っていた昨日とは大違いだ。珍しく朝遅くまで眠っていたが、昨日のことはあまり覚えていないらしい。
しばらく走っていると、ユナは手綱を引いて馬を止めた。
ウィリアムもそれにならう。
「どうしたの? ユナ」
「あそこに子供がいます」
草原にまばらに存在する岩々の中のひとつを、彼女は指さした。
目を向けると、背の低い赤毛の少年が座りこんでうつむいていた。
「近くに住んでいる子とか? いや、それにしては……」
見渡す限りの範囲には建物がない。彼はどこからやって来たのだろうか。少し奇妙にも思える。
「何か困っているのかもしれません」
「でも……」
「ウィリー様、少々お待ちください」
馬から降りたユナは、少年の下へ駆けていく。風にあおられた長い髪が美しくなびいていた。
その姿を見て、ウィリアムは自分を恥じた。見ず知らずの少年を助けている間にも魔女が黒聖山から移動するかもしれない。だから、ウィリアムは彼を助ける判断が瞬時にできなかった。
魔女の娘だと明かしたあのときもそうだ。ユナは自分の不利益を考えず、目の前にいた人の命を助けた。だというのに、ウィリアムは彼女の正体を知った途端、彼女を一方的に責め立てた。
(オレって身勝手だな。ずっと魔女に会うことしか、考えてない……)
深いため息をついていると、ユナが赤毛の少年と共に来た。彼は高貴な衣服に身を包んでいて腰に剣をたずさえている。
「ウィリー様……この方、昨日から何も食べていないようで……」
「昨日から? そりゃ大変だ。すぐあげるよ。少ししかないけど」
さぞかしお腹を空かせているはずだ。
ウィリアムも馬から降りて、今朝方に町で購入した干し魚と肉を渡した。
「あ、あ、ありがとうございます!」
赤毛の少年はかぶりつくようにそれらを食べ始める。
「この方は、地方から5日間かけて遥々とひとり旅をされてきたそうなのです」
「5日もひとりで!?」
つい大声を上げてしまった。
「はい、どうやら黒聖山へ行こうとされているらしく……」
「あなた方、騎士っすか? だったら、頼むっす! なんでもするから、その馬であの山に連れて行ってほしい! お願いっす!」
干した魚と肉を食べ終わった少年は、ウィリアムにすがりつく。
「ちょ、ちょっと、落ち着いて。どうしてあそこに行きたいの?」
少年をなだめようとする。
黒聖山は魔女たちがいる極めて危険な場所だ。子供が行くような所ではない。
「父上は高潔な貴族なんす! 今、この国の自由のために、魔女たちと戦ってる。だから僕も戦いに行きたいんす!」
ウィリアムは耳を疑った。彼は10歳を過ぎた辺りだろう。まだ本格的な剣の練習も許されていないはずだ。
彼はウィリアムたちから離れ、鞘から抜いた剣を空中に振るった。剣さばきは、たしかに少年にしては卓越している。
「君の実力と勇気は認めるよ。数年後には立派な騎士になると思う。でも、今は行っちゃいけない」
ウィリアムは彼の方を向き、首を横に振った。
「どうして!? 今の貴族軍は少しでも兵力が欲しいはずっす!」
少年は剣をしまい、身振り手振りで主張してくる。
「いえ、戦いは終わったかもしれません。魔女様のお力と王国騎士団の戦力を合わせれば、反乱はすぐに鎮圧されるでしょう」
ユナは淡々と言った。彼女は魔女を支持する立場だから当然だ。
しかし、そのような言葉をこの少年にかけるべきではない。
その意図をこめた視線をユナに送る。
察したようで、彼女の表情に動揺が浮かんだ。
「じゃ、もう貴族軍は、父上は魔女に石に……?」
少年の顔から血の気が引いていく。手足は小刻みに震えていた。彼の感じているおぞましい恐怖が伝わってきて、ウィリアムも胸を焦がさずにはいられない。
「魔女様は……いえ、魔女様はきっと彼らにお慈悲をかけられます」
視線が降りつつあったが、ユナは迷いを振り切るように顔を上げた。
「戦いが終わっても捕虜とかになってるんじゃないかな」
ウィリアムも口ではそう言ったが、妙な胸騒ぎがする。あの村で見た残虐な騎士が思い出されたからだ。魔女も反逆者には、間違いなく容赦しない。
「捕まったなら、僕が助けないと! お願いっす! 連れて行ってください!」
熱心に頼んでくる少年を見て、ウィリアムは彼を後悔させたくなかった。家族に会える可能性があるのなら会わせてあげたい。
「君、名前は?」
「シェリック! シェリック・シュトレインっす!」
目元ににじむ涙をぬぐい、少年は元気よく名乗った。
「オレはウィリアムという名の……騎士みたいなもんだよ。こっちのお姉さんは旅人のユナさん」
少年は不思議そうに、ユナを見上げる。
「わたくしは別に旅人では……」
「自分でそう名乗ったんじゃないか。孤独な旅人なんでしょ?」
ウィリアムは微笑して目を細める。
ユナは不満げにしていたが、返す言葉が見つからなかったのか、結局はこくりとうなずいた。
「はい。わたくしはある人を探して旅をしているのです」
「その人は黒聖山にいてね。だから、オレたちはあそこを目指してるんだ」
ウィリアムは付け足して、シェリック少年に説明する。
「じゃあ、ちょうどいい! その馬に乗せてってくれ!」
「だめだ、シェリック君。戦いが終わってても、そうじゃなくても、黒聖山に行くのは危ない」
「それでも、父上が戦ってるなら何かしたい!」
「だけど、家の人は心配してるはずだよ。ご家族はどうしてるの?」
「母上と、姉貴がいるっす」
「そっか……。君にもできることはある。お父さんの代わりに家を守ることだ。戦争から帰ってきたお父さんが疲れを癒せるようにね」
ウィリアムは少年の頭にぽんと手を置いた。
彼だけではなく、道中で会った騎士たちにも家族や友人がたくさんいるはずだ。戦は人に喪失と疲弊を残す。だから、誰かが癒しを与えねばならない。
「父上のために……」
「そうだよ。シェリック君……リック君って呼んでもいい?」
「みんなそう呼んでるからいいっすけど?」
「ありがとう、リック君。自分の弱さを認められる人間は立派だ。君と同じぐらいの歳だったとき、オレはそれを頑なに認めようとしなかった」
苦笑いしながらウィリアムは頭をかく。
師匠には頑固な小僧だと、よく注意されたものだ。
「シュトレイン様、どうかご安心ください。万が一のことがあっても……わたくしが魔女様に貴族軍への配慮をお頼みしますから」
ユナはリックに声をかけた。
「ほ、ほんとっすか? いや、でもお頼みするって……まさか旅人のお姉さん、魔女の手下なんすか?」
リックに疑念に満ちた目を向けられ、彼女は「それは……」と返答に詰まる。
彼にとって、魔女は父親の敵だ。ユナが魔女の実子であると知れば、この少年は彼女に斬りかかるだろう。かつてのウィリアムがそうしかけたように。
「実はね。このお姉さんはとっても強い騎士なんだ! オレなんかじゃ到底かなわない。魔女より強いよ!」
両手を上げて、ウィリアムは笑った。
「そんなに!?」
リックはまじまじとユナを見つめる。
「いえ、おそれ多いです。わたくしなど、まだ研鑽が足りません」
「はは。謙虚だし、優しい人なんだ。……だから魔女の手先なんかじゃない。この人とオレが必ずリック君のお父さんを助けに行く」
ウィリアムはリックの目をまっすぐと見据えた。
「分かりました。僕、故郷に帰って屋敷と家族を守るっす!」
リックは大きくうなずいた。その目からは強い決意が感じられた。
「いい子だ、リック君。家まではどれくらいかかるの?」
「1週間くらい歩けば着くっす」
「1週間って……」
「平気っすよ。誰かの馬車を見つけて乗せてもらいます。来るときもそうしましたから」
ウィリアムの憂慮を察したようで、リックは明るい声を出した。頼もしい限りだが、このご時世であるため気がかりが残る。
どうにかならないかと思い悩んでいると、ユナが口を開く。
「お待ちください、シュトレイン様。馬術の御心得はありますか?」
「え? そりゃあ僕も貴族ですから、普通に乗りこなせるっすけど」
「でしたら、わたくしの馬をお渡しします。この子に乗って帰られれば少しは安全ですし、その方が早く着くでしょうから」
「えっ、でも……」
「いい考えだ! オレたちがふたりでこっちの馬に乗ればいい」
ウィリアムは自分の馬の体を柔らかく叩いた。
「ほんとにいいんすか? ぼ、僕はどうお礼をしたら……」
いきなり話が決まってリックは慌てふためく。
「お礼なんていいのです。遠慮なさらずに乗ってください」
ユナは自分の馬の手綱を引き、リックに差し出した。
「その通り。ただ、ひとつだけ約束してほしい。必ず君は無事に帰るんだ」
「……分かったす。その約束、絶対に守るっす!」
リックはウィリアムの目を真剣に見返す。
「そりゃ、オレの方こそ!」
ウィリアムは彼に笑いかけた。
その言葉にうなずいた後、リックは慣れた手つきで馬にまたがった。
彼の背が遠ざかっていくのを見届け、ウィリアムは再び馬の上に乗る。
魔女に会うための理由がまたひとつ増えてしまった。早く魔女を止めなければならない。そうすれば、この国に住む多くの人々が救われるはずだ。




