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24.平和と名君があらんことを

 雑貨店にて外套や荷袋などを購入しているうちに、日は沈んだ。

 今日は野営をする必要もないので、夕食を求めて酒場に入った。

 店内はにぎわっていない。ウィリアムたちも含めて10人ほどしか客がいなかった。

 ウィリアムはカウンター席で、数週間ぶりにビールでのどを潤す。水以外を久々に飲めて感動しているのか、いつもよりも美味しく感じる。


「くぅぅ! うまいっ!」


 ウィリアムの喜々とした声が、静かな店内ではよく響く。

 冷えたビールが五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染みわたり、これまでの疲れが体から抜けていくようだ。店内を温もらせる暖炉の暖気も相まって、体温が上がる。

 となりに座るユナはお酒の類が苦手であるらしく、水でうすめたビールを黙々と飲んでいた。それぞれの嗜好があるとはいえ、少々惜しい飲み方な気がする。


「あ、もう一杯お願いします!」


 あっという間に空になった木製のジョッキを、カウンターの向こうにいる女主人に渡した。30歳ほどに見えるが、どこか活力を感じさせる女性だった。濃い茶色の髪が、太い1本のみつ編みにされて肩に垂らされている。


「お兄さん、いい飲みっぷりだね。見てるこっちも嬉しくなるよ」


 それを受け取り、女主人は愉快そうに笑った。


「久しぶりに飲んだので、いつもより美味しく感じるんです」


「そんなにご無沙汰だったんだねぇ。もしかして遠くから?」


「はい。1週間ほど歩いてきました」


「遠くに住んでる人か。このご時世に大変だね。危ない目に合わなかったかい?」


「いや、まあ……なんとか無事にここまで来れました」


 道中のさまざまな出来事を思い出しながら、ウィリアムは曖昧な答えを返した。


「そりゃよかった。この辺りはまだ平和だから安心しな。噂によるとね。黒聖山(こくせいざん)の麓の一帯を占領してた反乱軍は、ほとんど魔女様たちが撃退したらしいんだ」


 ユナはジョッキを傾けようとしていた手を止めて、机に置く。


「ほんとですか?」


 ウィリアムは目を大きくする。


「そうだよ。魔女様が現れて、反乱軍は一気に劣勢に立たされたみたいさ」


 女主人はお酒を注いだジョッキをウィリアムに渡しながら言う。

 母の勝利に安堵したのか、ユナはそっとため息をついていた。


「反乱軍共の多くは石になったみたいだのぅ」


 後ろの机の席に座っていた白髪の老人が口を開いた。


「魔女……様が、魔眼を使ったの?」


 ウィリアムはすぐさま振り向いて尋ねた。行商人の助言を思い出し、剣呑な言い方にならないよう注意して。


「じゃろうな。それもあってか、反乱軍は怒涛の勢いで鎮圧されたようでのぅ」


 老人はびくびくと身震いをする。


「貴族連中、よくあんな恐ろしい御方に歯向かえるわね。アタシには絶対無理!」


 左隣のカウンター席に座っていた金髪の若い女性が、ジョッキを置いて大声を出した。すでに酔っているのか顔が赤く、声が甲高い。


「全くだのぅ。石になって死んでいくなど耐えられん。じゃが、魔眼のおかげで内乱はすぐ治まりそうだのぅ」


「うん。それはありがたいけど……」


 老人の言葉に、金髪の女性はうなずいた。

 彼らは魔女を畏怖するのと同時に、魔眼の力が国に良い恩恵を与えてくれると信じているようだ。こういった時勢だから信じる他ないのかもしれない。


「間違いなくすぐ治まるよ。アタイの旦那はね。魔女様が魔眼を使うのを直接見たらしいんだ。周りの石で剣を作って、すごい勢いで投げたそうだよ! 一瞬で小隊ひとつが全滅さ」


 両手を大げさに動かして、女主人は説明した。


「ひぃぃ、酒の場で怖い話しないでよ!」


 金髪の女性は両耳を塞ぐ。

 昔、故郷で耳にした噂話だ。魔眼は人を石にすること以外にも、石を自在に操れる厄介な性質があると聞いている。


「あはは、別にあんたを怖がらせるつもりはないよ。アタイが言いたいのは、魔女様の魔眼にかかれば、どんな荒事も解決するってことさ」


 落ち着いた様子で、女主人は笑った。

 それでも、ウィリアムからすれば心穏やかではいられない。いざ魔女と対峙したときのことを想像すると、不安がこみ上げてくるのだ。その不安を押しとどめるように、ウィリアムはカウンターの向こうにいる女主人に尋ねていた。


「あの! 魔女様って、どんな人なんですか?」


「んー、そうだねぇ……。勇ましくて、この国をとても大切にされている御方だって、アタイは思うよ。国を守るために戦えって騎士や兵士を勇気づけていたそうだからね」


「へぇ……」


 思えば、魔女がどのような人柄なのかを初めて聞いた気がする。

 ふと気になってユナの方に目を向けると、彼女は何か納得したかのように小さくうなずいていた。女主人から語られた魔女の人物像は、娘から見た印象ともそれほど遠くないのだろう。


「魔眼は恐ろしいが、魔女様がいなければ、こうして酒を飲むことも叶わなかったはずじゃ。あの力があるからこそ、今のデルボキラは平和なのじゃのぅ」


 老人は「ありがたや、ありがたや」と両手をこすり合わせていた。


「ま、そうかもね。このまま紛争もなくなって、税も軽くなったらいいのに」


 金髪の女は手に持つジョッキを揺らしながら呟いた。


「時機に、救世主様がお越しになる。そうしたら、国をよくしてくださるさ」


「救世主様ねぇ。早くお姿を見せて欲しいわ……。アタシの店、あんま繁盛してなくってさ。もうじき、ここに来てお酒を楽しむお金もなくなるかも」


 盛大にため息をつき、金髪の女はカウンター上に突っ伏す。


「もうすぐ、来てくださりますよ」


 ユナは穏やかな声で告げた。それはウィリアムに投げかけられた言葉にも感じられた。


「おや、お姉さん。何か根拠のあるようだね」


 まるで確信しているような物言いに、女主人は眉をひそめる。

 ユナはしまったと言わんばかりに、ジョッキを握り締めたまま硬直した。

 しかし、瞬時に話し始める。


「別にそういうわけでは……ただ、救世主様は国の危機をお救いに来られると、魔女様はおっしゃっています。だからもうじき来てくださるかと」


「ふーん、まあ、今のこの王国は大混乱なわけだし」


 金髪女 が控えめにうなずく。


「はい。魔女様のお言葉を信じていれば、きっとこの国は救われます」


 ユナは再び口を開いた。強く、励ますように。


「ふむ……全くその通りじゃ。ワシも、ちと魔女様のご神託(しんたく)を疑っておってのぅ。己が恥ずかしくなるわい。お嬢ちゃんの敬虔な心を見習わんといかん」


「だね。いやぁ、最近の若い子は偉いもんだよ」


 女主人が小さく言うと、金髪女が不満を露わにしてユナを指さす。


「あたしもまだ若いんだけど……てか、あの子が妙に落ち着きすぎてるのよ!」


「そうじゃのぅ。この方からは並々ならん貫禄を感じるわい。どこかの高貴な御方にも見える」


「たしかに! いいところのお嬢様みたいに綺麗な顔してるけど……どこから来たの?」


 金髪女の言葉により、嫌な沈黙が降りた。彼女は目を細めてユナの方にじっと目を向けている。興味の先が、目の前の浮世離れした人間に変わったのだろう。

 他の客たちも、ちらりちらりと彼女に注目を向けていた。


「わたくしは、この近くの村から食べ物などを求めて来ました。ただの、旅人のようなものです」


 そのような中、後ろの席にいた老人が怪訝そうに口を開く。


「ただの旅人には見えんがのぅ……やはり貴族の家のご令嬢ではなかろうか?」


「え、ほんとかい? お姉さん?」


 女主人はカウンターの向こうから身を乗り出してまじまじと彼女を見つめる。

 これまでも何度か周りから勘繰られることはあったが、今回は下手な誤魔化しは効かないだろう。溢れ出る王女様としての気品は隠しきれないようだ。


「いいえ、ですから、わたくしはそのような大層な身分では……」


 彼女は取り繕う言葉を探しているようだった。

 魔女を信仰する彼らを納得させるには、どうすればよいのか。考えながら、ウィリアムは走るように説明をはじめる。


「みなさん、落ち着いてください。この人は、えーと……司祭の娘さんでして、とっても信仰熱心なんです。美人で気品があるのは、きっと神様からものすごく愛されてるからなんですよ!」


 一同は黙りこんだ。あまり反応は良くなかった。さすがにこの嘘には無理があったか。やはり身分を偽るのは苦手だ。

「ほぅ……」という女主人の感嘆の声だけが店内に響く。


「だからそんなに綺麗なの? じゃ、アタシも祈ればあんたみたいに美人になれるの?」


 金髪女は喜々とした声を発した。


「わたくしは美人ではありませんが……みなさまの願いは、きっと守護神様に届きます」


「やった! じゃあ祈ろっと! 容姿端麗になれますように、容姿端麗になれますように……」


 彼女は両手をこすり合わせて熱心に唱えはじめた。


「では、ワシは救世主様が来てくださることを……」


 同じく後ろの席にいた老人も、願いをこめる。


「ご安心ください。混沌としたデルボキラの現状を、救世主様が見過ごすはずがありません。きっと来てくださります」


 ユナがちらりと意味ありげな視線を向けてきた。

 彼女が言っているのは、もちろんウィリアムのことだ。彼女に過大評価されると、応えられない歯がゆさをいつも感じて慣れない。


「司祭さんの娘にそう言われたら何だか説得力があるよ」


 食器を拭きながら、女主人は微笑した。


「お嬢ちゃんの言葉を聞いていると、ワシもそんな気がしてきたのぅ」


 感心した様子で、老人は首を縦に振る。


「そうねぇ……ところでお兄さんはどう思う? 救世主様のこと」


「え、オレですか?」


 唐突に女主人に訊かれて、ウィリアムは思わず身構えてしまう。

 自分が救世主らしいことも、救世主とやらが実在することも、全く信じていないが、ここで否定的なことを言うのは憚られた。


「いるかもしれませんが……」


 視線を落としながら、ウィリアムはつぶやく。


「何? あんた、魔女様が受けたご神託を嘘だとでも思ってるわけ?」


 金髪女は目を細めてこちらを見る。

 それが疑い視線であると、すぐに悟った。

 再び沈黙が訪れる。居心地の悪い空気に耐えかねて、言葉が急いだ。


「だ、だって、救世主様がこの国を救いたいって思ってるなら、もっと早く現れるはずじゃないですか! いつ来るかも分からないのに……」


 ウィリアムはユナの方を見て、「それよりも……」と言葉を続ける。


「オレは新しい王様が国を変えてくれると期待してるんです」


「え……?」


 ユナは口を小さく開けたままこちらを見て、表情を固めた。

 その意外な彼女の姿に、つい笑いがこぼれそうになる。自分のことを言及されるとは、全く予想していなかったのだろう。

 しかし、ウィリアムにとっては紛れもなく、本心からの期待の言葉だった。


「魔女様の子どもか。たしかに、そろそろ黒聖山の頂上に神果(しんか)が実る時だのぅ」


 あごをさすりながら老人は言った。

 神果とは、デルボキラの王族が魔力を得るための特別な果実だ。


「言われてみれば、そうだね。王子様か王女様か知らないけど、魔女様の子が、もうすぐ魔眼を得て王位に就かれるだろうさ」


 女主人は思い出したかのように相槌を打つ。


「即位なさったら税を軽くして、外から攻めてくる奴らを早く追い払ってほしいわ! 魔女様とご一緒にね。ふたつも魔眼があればあいつらも諦めるでしょ」


 両手を合わせて、金髪の女は座っている椅子を揺らしていた。


「まったくだのぅ。魔女様のお子様であれば、必ずや国に幸福をもたらされるだろう。ありがたや、ありがたや」


 老人も目を閉じて、両手をこすり合わせる。

 彼らの表情は明るくなかった。無理もない。救世主が国を救うといういい加減な言葉だけで、安心などできないだろう。

 魔女に大罪はあってもこの国の人たちに罪はない。彼らの心の重荷が少しでも減ればいいのに。


「まあ何にしても、アタイらができることは信じることだけだよ。暗い話をしてても苦しくなるだけさ。それよりも平和になることを祈って、みんなで乾杯でもしようじゃないか!」


 女主人が両手をたたく。


「それ、いいですね! 是非ともやりましょう!」


 宙にジョッキを高く持ち上げた。それを見た店にいる他の客たちも、「賛成だ!」とウィリアムに倣う。

 戸惑っていた様子のユナも、場の空気に流されて、ジョッキをためらいがちに持ち上げた。


「さあ、デルボキラの未来に平和と名君があらんことを!」


 女主人の音頭を合図に、一斉に喝さいを上げる。

 その後も「デルボキラに祝福あれ!」と言い合い、周りの人たちとジョッキを合わせ、かちんと鳴らした。いつの間にか酒場らしい活気が店内を彩っている。


「今日はオレの奢りです。皆さん、たっぷり飲んで元気出してください」


 行商人にもらった銀貨を1枚、女主人に差し出した。持っていても、ウィリアムにとっては大した価値はない。少しでも誰かを元気づけられるなら、それに越したことはないだろう。


「え、いいのかい? 太っ腹だねぇ、お兄さん」


 女主人は丁重に銀貨を受け取った。


「ありがたや、ありがたや」


 老人は手をこすり合わせて何度も感謝を述べる。


「あんた、さいこっ! まるで救世主様よ!」


 金髪女は大げさにはしゃぐ。


「まったくだね。よし、みんな! 今夜はお兄さんの厚意に甘えて思う存分に飲むんだ! ほら、司祭の娘さんももっと飲みな。とっておきのお酒があるんだ」


 ユナのジョッキは半分も減っていないが、女主人からたっぷりとビールを注ぎ足されていた。促されるままに、彼女はおずおずとジョッキを傾ける。

 ウィリアムも女主人に勧められて、ビールを飲み始めるが、横からユナに「あまり飲み過ぎないように」と忠告された。

 しかし、それはウィリアムにではなく、ユナにこそ必要な忠告だった。

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