23.救世主の謎
木々が少なくなって馬を走らせやすい。しかし、これまで通り森の中は静けさが張り詰めていた。
日が徐々に傾くにつれ、周囲が薄暗くなり始めている。長い距離を移動したせいか、馬の速度が落ちてきた。
「いやぁ、今日は護衛まで頼んじまってすまねぇ」
荷馬車の御者台に座ったまま、行商人の男は頭をかく。
山小屋の横に停められていた馬車だ。荷台には布で覆われた荷物や、古びた木箱、革製品などが積まれている。
「気にしないでください。向かう方向は同じですから」
「ありがてぇ。お前さんたちには感謝してもしきれんな。まさに救世主様だ!」
晴れやかに商人は笑った。
「……救世主、ね」
「おうよ。そういやお前さん、魔女様が探し回っている黒髪の青年だな。ソスとかいう南西の国からおいでになるって言われてる……」
商人の男はウィリアムの顔をまじまじと見た。
男をはさんで反対側にいるユナは、手綱を握り締めてこちらを注視している。
「オ、オレは違いますよ。黒髪の青年なんて、この国に数えきれないぐらいいるじゃないですか」
「たしかにそうだけどよぉ。お前さん、救世主様の証っていう黒尚石の指輪は持っていないのか?」
両親の形見のことだ。今は指につけておらず、ベルトに結びつけている小物入れの中にしまっている。人前では見せるべきではないと、ユナに注意されたからだ。
「はは、まさか……。持ってませんよ」
「なんだ、そうか。お前さんなら、持っていても驚かないのに」
商人の男は気落ちしていた。
つい悪いことをした気分になるが、見当はずれの期待をされても応えられない。そもそも魔女の作り話など信じるべきではないのだ。
「救世主って、いったいどんなことしてくれるんですか?」
「さあな。あらゆる災いをなくしてくれるだとか、国を繁栄に導くだとか、魔女さんは曖昧なことしか言わねぇんだ。貴族の方々は、民衆を安心させるための嘘っぱちじゃないかって疑ってる」
「へぇ。やっぱり、魔女の妄言なんだ」
「妄言じゃなかったらいいんだがな。ただでさえ不況だってのに、内乱まで起きちゃ叶わねぇ。俺たち商人にとっちゃあ、稼ぎ時ではあるけどよ。そうそう、前に寄った村人連中からは、作物がどんだけとれるかに一喜一憂してるって聞いてな……」
そう言って彼は荷台から、ぼろぼろの本を取り出した。
「それって……」
「おう、こいつに見聞きしたことを書き留めてんだよ。しっかし、みんな税収だらけで苦しいだの、食べ物がわびしいだの暗い話しかしねぇから、書く内容も鬱々としたもんばかりになる。困ったもんだ」
言いながら、彼は本をぺらぺらとめくる。たしか手記と呼ばれるものだ。森の小屋の前に落ちていた紙切れも、この手記の1枚なのだろう。かなり使いこまれているようなので、きっと剥がれ落ちてしまったのだ。
「なるほど。最近は他にどんな話を?」
気になってウィリアムが訊くと、男は答えてくれた。
農民たちは課せられる様々な租税に苦しみ、日々の食事もままならないらしい。中には、餓死する人もいるそうだ。さらに昨日に会ったような盗賊も多くなり、治安も悪化している。そこに内乱まで始まって国は混沌の渦中となっていた。
「みんな今に苦しんでる。だからこそ農民たちにとって、いや俺たちにとって、国を幸福に導くっていう救世主様は、希望の光なんだ」
希望の光、ふとその言葉がまるで自分に向けられているような気になり、ウィリアムは慌てて首を横に振る。救世主が実在するにせよ、しないにせよ、それがウィリアムであることはあり得ない。
「救世主が国を幸福に、か……でも、どうして黒髪の青年だなんて、具体的な特徴が分かるんだろ?」
「それは聞いたことねぇな。神託を受けた魔女さん本人にしか分からねぇ」
「教会の経典では、黒は力と神聖を象徴する色とされています。ウィ……いえ、救世主様の容姿として相応かと」
ユナは静かに答えた。
彼女の声を久しぶりに聞いた気がする。というのも、彼女は今朝から口数が少なく、よく考え事をしている様子だったのだ。王女として色々と懸念することがあるのだろう。
「そういや、どっかでそんな話耳にしたことがあった。嬢ちゃん、物知りだな。もしかして、なんで南西の国から来るって言われてんのかも……知ってたり?」
「それについては存じ上げません。重要なのは魔女様のご神託を考察することではなく、救世主様のご到来を信じて待ち続けることですから」
「一理あるな。結局、俺たちができるのは信じて待つことだけだしよぉ」
「全くその通りです。けれどご安心ください。救世主様はすぐにお見えになりますから」
彼女は強く断言した。
「ほぅ……嬢ちゃん」
「何ですか?」
商人にまじまじと見られ、ユナはやや困惑した様子でちらりと彼の方を向いた。
「いや、つい感心しちまってよぉ。こう未来を信じてるっつーか、嬢ちゃんみたいに、前向きに生きてる人間は珍しいんだ」
「かも、しれません。国がこのような状態ですから」
「そうだぜ。今じゃ、嬢ちゃんみたいな人には滅多にお目にかかれねぇ。俺も見習わねーとな……」
そう言いながら、彼は手記の上に筆を走らせた。
「何、書いてるの?」
気になってウィリアムが訊く。
「なーに、お前さんたちと会って、こうして話したことも書き留めとこうと思ってな。いやぁ、何でも書かねーと気がすまねぇ質でよぉ。気に障ったならやめとくが」
「オレはいいよ。でも、ほんとになんでも書いとくんだね」
「はっはは、俺にとっての手記は、そういうもんだからな。嬢ちゃんはどうだい?」
「構いません。わたくしもよく似たことをしていましたから、書き留めたいお気持ちは分かります」
「おお、お前さん、字まで書けるのか! んなら、どんどん書くといいぜ。ほれ」
そう言って、行商人は紐つきの小さなかばんを手に持ち、ユナに差し出す。
馬を徐行させて、彼女はためらいがちに手をのばし、それを受け取った。
「……これは?」
「そいつの中には書くための道具と羊皮紙が5枚くらい入ってる。お前さんにやるよ」
「え、よ、よろしいのですか? 紙なんて貴重なのに……」
「細けぇことは気にすんな。助けてくれた礼にしちゃあ、足りねぇかもだがよ」
「そ、そのようなことは……でも……」
「いいって、いいって。これも何かの縁だ」
「ありがとう、ございます。大切に使わせていただきます」
その革の小さな小物入れを首からかけ、ユナは優しくなでた。幾分かの憑き物が落ちたような表情に見える。
その後は、他にもユナが教えてくれないこと――魔女に関することについて、行商人に尋ねた。だが、ウィリアムが知っている以上の情報は得られなかった。
日が暮れる頃、目的地である町に到着する。
商人には何度も頭を下げられ、銀貨5枚をお礼としてもらった。この国の貨幣がどれぐらいの価値かは分からないが、銀貨自体が希少な貨幣であり、5枚分あるだけで半年は暮らせると教えられた。
別れる前に、行商人の男からひとつだけ忠告を受けた。
『この町には魔女さんを支持する連中も多いんだ。だから王族を批判するような物言いは、くれぐれも避けるんだぞ』
しっかりとその言葉は心に留めておくことにした。
「閉まってる店が多いみたいだね」
行商人と別れた後、町中を歩きながらウィリアムはつぶやく。
石れんがの四角い建物が窮屈そうに密集しているが、明かりは少なかった。
「内乱の最中ですから、致し方ありません」
町民の笑い声は聞こえなかった。すれ違う人々はみんなやせ細っている。
ここの空気も、あの村と同じ類だった。




