21.幸せで溢れる国
戦いが終わって間もなく日が沈んだ。ほの明るいたいまつが照らす夜の村は、重苦しい静けさに包まれていた。外で毛布をかけて寝ている人もいれば、遺体にすがってむせび泣く人もいる。
(こんなの、酷すぎる……)
わずかの間ではあったが、騎士同士の戦場を初めて経験し、ウィリアムはその悲惨さに打ちのめされていた。
冷たい夜風に当てられながらウィリアムは歩く。その風は肌を刺し、民家の壊れた窓や扉をがたがたと揺らす。地面の土は荒れ、戦の跡があちこちに残っていた。
足取り重く歩いていると、ユナの姿を見つけた。荒らされた畑のそばに立っている。
近づくと、彼女は両手を合わせ、小さくつぶやいていた。
「わたくしは許されない過ちを犯しました。ですが、どうかお願い申し上げます、守護神様。傷ついた方々や失われた命には、安らぎをお与えしてほしいのです。そして、どうか国の乱れを御鎮めください」
ユナは「お願い申し上げます」と切にくり返していた。誰に届くでもなく、その祈りは夜の闇に虚しく消えていく。
痛ましく感じ、自ずと口が開いた。
「神様は……もしいたとしても、オレたち人間を見守ってるだけだよ。人を裁く力なんてない」
「ウィリー様……」
こちらに振り返った彼女の面持ちには疲れの色がにじんでいた。
「こんなとこで何をお祈りしてたの? 許されない過ちって聞こえたけど……」
「そうです……村の方々を守るためとはいえ、わたくしは王国騎士団の騎士たちを傷つけてしまいました。そのお許しと共に、このような悲惨なことがもう起きないように、お頼みしていたのです」
静かな声で彼女は言った。
ユナにとっては複雑な心境だろう。彼女が魔女の軍と敵対してしまったのはウィリアムの身勝手な行動のせいでもあったため、ちくりと胸が痛む。
だが、戦わなければ、この村はさらに深刻な事態になっていたかもしれない。
「そんなこと、気にしないでいい。あいつらは秩序を守るどころか、かき乱した。君を殺そうとだってしたじゃないか。王女である君を」
「仕方のないことです。彼らはわたくしが王女であると知りませんから」
「え、そうなの?」
「はい。わたくしに仕えてくださる侍女の方々しか知りません。公にはされていないのです」
控えめにうなずき、彼女は半分ほど瞼を落とした。
「公にされてないって、いったいなんで?」
「100年ほど前、まだ神果を食べていないご先祖様の命が狙われたことがありました。魔眼を得る前に彼を殺してしまおうと、お城にいた貴族や騎士が画策したのです。その事件以来、王家の子の存在は秘されています」
「なるほど、化け物になる前に……。それは合理的だね」
ここにいるユナも普通の人間にしか見えない。最初から彼女が魔女の娘だと知っていれば、迷わず彼女に斬りかかった。今からでも、彼女を殺せば魔眼一族の血脈を途絶えさせられる。
(無理だよ。そんなこと……)
いくら彼女の相貌を睨んでも、思い出してしまうのだ。肩の傷を懸命に手当てしてくれたこと、眠れない夜に歌ってくれたこと、素敵な笑顔を見せてくれたこと、その全てがウィリアムの身を縛りつけて解けない。
弱々しい自分に嫌気がさして黙っていると、明るい声が聞こえた。
「あ! いた! あのお姉ちゃんだ!」
声がした方を見ると、ひとりの女の子がユナを指さしていた。おそらく、この村の子供だろう。後ろには母親と思われる女性が立っている。ふたりとも継ぎはぎの衣服を着ており、ずいぶんとやせ細っていた。
女の子は小走りに近づき、ユナの腰に抱き着く。
「ど、どうされましたか?」
困惑した様子で、ユナは女の子を見下ろす。
「助けてくれてありがとっ! お姉ちゃんはわたしの命のおんじん!」
「助けた? あ、もしや貴方はあの時、王国騎士団に襲われかけていた……」
ウィリアムも思い出した。何人かの幼子が下劣な騎士に追い回されていたのだ。あの乱戦の中、ユナもどこかで子どもたちを守っていたのだろう。彼女に救われた人間は、ウィリアムだけではなかったらしい。
「そう! あのとき助けてくれたお姉ちゃん、超かっこよかった!」
「当然の行いをしただけです。それよりもお怪我はありませんか?」
「だいじょうぶ! お姉ちゃんが来てくれたおかげで!」
女の子が溌溂とした声を上げると、後ろにいた母親と思しき人物もこちらに近づく。
「本当にありがとうございます。あぁ、どうお礼をしたらいいのやら……」
頭を何度も下げ、母親はユナに感謝を告げた。
「いいのです。おふたりがご無事だっただけで嬉しいですから」
「まぁ、なんて綺麗な御心をお持ちなのでしょう! あなたが来てくださったことは一生分の幸運にございます。守護神様のお慈悲にも感謝しなければ!」
母親は手を合わせて深々と礼拝した。
戸惑っているようだったユナは、女の子に体をゆさぶられる。
「ねぇねぇ、どうしてお姉ちゃんはそんなにつよいの? わたしもお姉ちゃんみたいな、かっこいい騎士様になりたい!」
「わたくしはまだまだ未熟です。騎士の道は遠く長く、そして険しいのです。あまりおすすめはしません」
「それでも、あきらめない! おとうさんみたいに外の国からみんなをまもりたいの!」
「外の国って?」
唐突に尋ねると、女の子はユナにしがみついたまま後ろに隠れる。小さな両脚はぐらぐらと揺れていた。見知らぬ男性に警戒しているのだろう。危ない目にあったばかりだから無理もない。
「私の夫は徴兵されて、3年前の国境紛争で戦い、亡くなりました。だから、この子はずっと騎士に憧れているんです」
女の子の代わりに、祈りを終えた彼女の母親が答えてくれた。デルボキラはソス以外の周辺の国々とも険悪な仲であり、今でも国境線の一部では、たびたび争いが起きているらしい。
「じきに救世主様がこの国に平和をもたらすでしょう。外の国から領地を侵されることも、いずれなくなります。ですから、無理に戦わなくても良いのですよ?」
ユナは女の子の頭を優しくなで、ちらりとウィリアムに目を向けた。まだ彼女は救世主という存在を信じているらしい。
「そうなの? でも……」
女の子は腑に落ちていない様子で俯く。
「あなたの命を、母上様は大切に思っておられます。無理をして母上様に……心配をかけてはいけません」
女の子は「うん」と言って、こくりと首を縦に振った。ユナはそっと小さな背を押す。女の子は母親の胸に飛びこんだ。
母親は宝物のように娘を抱擁する。
荒れ果てたこの村にも残ったものがあったのだ。それは実に美しく目に映った。
「さあ、もう遅い時間です。お疲れでしょうからゆっくり休まれてください」
その言葉に母親はうなずく。親子は再び何度もユナにお礼を言った後、家屋に戻っていった。
その姿をユナはずっと眺めていた。
やがて沈黙が訪れる。荒れた畑が風にあおられ、土埃が低く吹きあがっていた。
「ねぇ……ユナ」
呼びかけると、厳かに彼女は振り向いた。
ウィリアムは意を決し、ユナを正面から見据える。本当の彼女のことを知りたい。その思いは強まるばかりだ。
「君はこの国の女王になるつもりなの?」
「……はい。お母様の後を継ぎ、この国を存続させるために、わたくしは生まれ育ちましたから」
「魔女の後を継ぐって……怖くないの? 人を石にする魔眼なんて」
ユナは一瞬だけたじろぐような素振りを見せた。だが、瞬時に背をまっすぐと伸ばす。
「怖くても、わたくしは次期女王ですから。恐れるわけにはいきません」
躊躇の念を断ち切るように、彼女は答えた。
「君は女王になって、何するつもり? 自分に歯向かう人間を石にするの? クリフォードさんたちやオレを」
「わたくしの独断では決められません。お母様のご判断によります」
「なら、君自身はどうしたい? この国の女王になったら?」
何でもいい。ウィリアムは彼女を殺さないで済む理由が欲しかった。どうやっても彼女を憎めない。何度も言葉を交わし、共に時を過ごし、助けられた恩がある。
そもそも、ユナは人質にとられた商人を助けるために自ら正体を明かした。身手な人間には絶対にできない行為だ。
魔女の娘だとしても、ウィリアムは彼女を殺せるほど残忍になれなかった。
「わたくしが、どうしたいか……?」
ユナは首をわずかに傾ける。
「うん」
首肯すると、ユナはしばし地面に目を向けたまま黙りこんだ。
やや間があってから顔を上げる。
「デルボキラを……幸せで溢れる国にしたいです」
ユナは静かに答えた。
「幸せで溢れる国、か」
「はい。……あの親子のように理不尽に苦しんでほしくはないのです。この村の人々だけでなく、貧しく暮らしている人々や戦争で家族を失った方々もたくさんいらっしゃいます。彼らを見ていると、胸がとても痛むのです」
「だから、幸福な国にしたいんだね」
「その通りです。お母様の命に従い、この国がよりよくなるように全身全霊を捧げます。それが……わたくしの役目ですから」
彼女の言葉に嘘偽りがないとしたら、それは永久に叶わないだろう。魔眼を乱用して数多の命を奪った魔女を信じ続ける限りは。
「ユナは王女として生まれたんだから、もっとわがままに生きる道を選べるんじゃない? 親の言うことなんか聞かずにさ」
「そのような勝手は許されません。役目に反します」
「役目……?」
「どのような人間であれ、生まれた時点で役目があります。わたくしは女王としてこの国を繁栄に導くのが役目です。ウィリー様も救世主となるべくして生まれたのでしょう」
「オレは……」
デルボキラで師匠に拾われてから、ずっと砦で騎士たちや騎士見習いに囲まれて生きてきた。騎士となろうと研鑽を積んできた。師匠のように強くなって、この国に来るために。
それらは全て、自ら望んだことだ。他人に言われたからではない。
「オレに役目なんてないよ。やりたいようにやるだけだ」
「今はわたくしのお母様に会いたいのですね?」
「そうだね。そのために、オレは今この国にいる」
ウィリアムは迷わずうなずいた。
「だったら、わたくしと同じです」
「いや、そうかもしれないけど」
たしかに目的地は同じだ。クリフォードが率いる貴族軍もそこを目指している。けれども、魔女に会う理由は誰もが相反しあっていた。
「この国に住む人々には、救世主様をお母様の下に御導きする責務があります。お母様から直々にそう命じられたのです。ですから貴方様をお母様の下にお連れせねばなりません。たとえ、貴方様があの御方を憎んでいたとしても」
「救世主、ね」
それほど魔女は救世主様という存在を求めているのか。魔女は誰かの助けを必要としているのか。
強大な魔眼の力と権力を持っているというのに、他人の力に頼らないと国を変えられないとは皮肉な話だ。
少なくとも、ウィリアムがこの国の民が待ち望む救世主ではないだろう。
「ですが、もしウィリー様が貴族の反乱軍に同行してお母様の下へと行けば、彼らと共に一網打尽にされます。お母様は反逆者たちに容赦しませんから」
「すぐさま、石にされるって?」
「お母様だけではありません。王家に仕える王国騎士団は、忠誠心と士気が極めて高いのです。彼らに拒まれて、お母様に会うことさえ困難になるかと思います」
「困難でも諦めないよ。それに、危険なのは君も同じでしょ? 実の娘だって、魔女なら石にしてもおかしくないし」
「いえ、そのような心配はありません。厳しい方ではありますが、自分の子を誤って石にするなんて愚行は、決していたしません」
「どうかな」
自らの夫すら殺した女だ。普通の人間と同じ道徳観を持っているとは考えられない。
「とにかく、ウィリー様。わたくしを信じてついて来ていただきたいのです。わたくしなら、貴方様をお母様に会わせることができますから。お母様に会うという点では、わたくしたちの目的は一致しているでしょう?」
ユナはまっすぐとウィリアムの目を見つめる。相変わらず澄んだ空のような瞳だ。
ウィリアムはその視線から目を離せなかった。
「簡単には君を信じられない。でも今は……ユナについて行くのが1番だと思ってる」
魔女に直接会って話を聞く。これを叶えるにはユナについて行くしかない。ここまで来てしまったのだから、引き続き彼女について行く覚悟だ。
「ありがとうございます」
彼女は深々と一礼した。
いつも無表情で何を考えているのか分かりづらい人だ。けれども、ときどき温かな人情を感じる。本当は血の通った真っ当な人間であるはずだ。ウィリアムよりもずっと。
「頭を上げなって。オレはオレの思うようにやるだけだよ。これまでと変わらない。それより、そろそろ寝よう。夜は冷えるし」
「いえ、わたくしのことはお構いなく。近くにいれば、ウィリー様は安眠できないでしょう」
ウィリアムたちに与えられたのは、宿場の隅にある小さな個室だ。ウィリアムとユナはひと部屋ずつ、となり合った部屋を貸してくれた。
「今更、そんなの気にしないよ。今までだって、一緒に野宿してきたじゃないか」
ウィリアムは彼女の方を向いてほほ笑んだ。
互いの声が届く範囲内でいつも眠っていた。何らかの危害を加えるとしたら、いくらでも隙はあったはずだ。だから、ある程度は信頼している。
「そうでしたね」
ユナは小さくうなずいた。
彼女に背を向けて宿場へ向かう。後ろから小さな足音がついてきた。




