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18.ユナの正体

 デルボキラに来てから1週間ほどが経過した。

 灰の樹海を歩き続けていると、時間すらも忘れてしまいそうになる。この見飽きた景観が、どこまでも広がっているとさえ思えてきた。

 だが、明日には岩山までの道のりの折り返し地点には到達するようだ。


(目的地には着々と進んでる……野宿生活にも慣れて来たし)


 ユナには剣技を教えてもらい、逆に彼女が聞きたがっていたソス王国について話した。ユナと会話していると気持ちが楽になり、おかげで疲れもあまり気にならない。彼女の正体はまだ謎に包まれているが、幾分か親しくなれたように思える。


 太陽が傾き始めた頃、ウィリアムたちは森の中でこじんまりした石造りの小屋に出会った。奥には崖が見える。


「あの小屋は休憩所です。森で仕事をされる、狩人や木こりの方々のために建てられたものです。森の中に何か所かあります」


 地図を見ながら前を歩いていたユナが説明してくれた。

 木々が密生する中にひっそりと佇んでおり、少しばかり不穏な印象を抱いた。教会よりは実用的な施設のようだが、今は明かりが点いていない。


「誰も使ってないなら、オレたちが使ってもいいんじゃない?」


「使用するには、この地を管理している領主様に許可をいただかねばなりません」


「勝手に使っても問題なさそうだけど」


「大ありです。そのようなことをすれば、神罰が下るでしょう」


 ユナは断固として拒否する。真面目な彼女を説得させるのは難しそうだ。結局、今夜もこれまで通り野営をするしかないらしい。

 諦めて肩を落としていると、妙なものが小屋の前に置かれていると気づく。


「あれ……馬車があるね」


 小屋の前には一頭の馬が柵につなぎ留められていた。その横には荷台付きの馬車が置かれている。木箱や樽、農具など様々な荷が積まれていた。


「誰かがこの小屋を使われているようです。この辺りに住む方でしょう」


「ってことは、小屋の中か近くに、誰かいる……?」


「おそらく、そうです。あるいは、誰かが無断利用している可能性もあります……警戒すべきですね」


 声量を下げて、ユナは言った。


「どんな人かも分からないしね……あ、何かの紙があるよ」


 馬車に目を向けていると、車輪のそばに1枚の羊皮紙が落ちていると気づいた。


「本当です。何の紙でしょうか……?」


 つぶやきつつ、慎重にユナはそこへ近づく。

 紙を拾った彼女は、それを見ながら目線を素早く動かし始めた。書かれている文字を黙読しているようだ。


「ユナって文字、読めるの?」


「当然です。読み書きができないと不都合が多いので」


「じゃ、何書いてるか分かる?」


「はい……商人の方の私的な文章が書かれています。おそらく手記でしょう」


「手記?」


「このように自分の体験とその感想について書き綴るのです。わたくしも以前までは頻繁に書いていました」


 そういえば、昔に師匠が似たようなことをしていた気がする。何にせよ、自分の気持ちを紙に記すとは画期的だ。


「おもしろそうだね。ちょっと見せてもらっていい?」


「ウィリー様も文字が読めるのですか?」


「うん、騎士なるのに必要らしくて学ばされてさ。ただ、読み書きは得意じゃないんだ。難しい言葉があると読めないや」


「手記は一般的に、あまり堅苦しい文章では書きません。ですが、ウィリー様の国の文字とは少々異なるかと」


 そう言いつつも、ユナはウィリアムに紙を渡す。案の定、読めない箇所が多々あった。この周辺の国々では、古来から共通の言語を使用している。でも、文字はところどころに違いが見られる。時代と共に変化したのかもしれない。


「でも大体わかるよ。朝には村で農具や蝋を売り、昼にはすれ違った巡礼者に川魚を売って、夜には森の小屋に泊って詩を作った……」


 事実だけをまとめると、そのような内容だが、それらに対して感じたことも記されていた。村人の誰もが小枝のようにやせ細っていて見るに絶えなかったこと、人の姿が滅多になくて物寂しかったことなどだ。


「たぶん、この馬車に乗って旅してるんだね。いろんな場所に行った感想が書かれてる」


「手記はそういうものです。だから、とっても良いものなのです。心に残った出来事を記録しておけますから」


「ユナもこんなかんじで書いてたの?」


「それは……お教えできません。わたくしの手記は、人に見せるようなものではないのです」


「あ、そうなんだ。え、じゃあ、もしかしてこの人のも……?」


「はい。これも私的な文と思われます。ですから、もう行きましょう。これ以上、勝手に読むのは――」


 そこで彼女は言葉を止めた。

 瞬く間に、近くで物音がする。


「ウィリー様、誰か来ます」


 緊迫した声音でユナが言った。

 ウィリアムもとっさに身を固くする。

 腐葉土を踏みしめる足音と共に、話し声が聞こえてきた。


「おい、あいつらって……」

「ちっ、間違いねぇ。一昨日の奴らだ」


 木々の葉の間から差しこむ微光が、3人の男を照らす。薄汚い身なりをしている。一方には見覚えがあった。先日に襲ってきたやつれた顔の腰抜け男だ。もうひとりも彼の仲間だろう。おそらく、以前クロスボウを持って木の上に潜伏していた男だ。深く被ったフードからどんよりとした目つきが窺える。

 残るひとりは恰幅のよさげな身なりをしており、手首を縄で縛られていた。盗賊の一味ではなく、彼らに捕らわれている誰かのようだ。

 ウィリアムはすぐさま剣を構え、相手を睨みつけた。


「あいつら、あの時の盗賊だ!」


 それを聞いて、ユナも剣をひき抜く。


「あの縛られている方……早く助けなければなりません。それに、彼らとの交戦は避けられないでしょう」


 ユナは一歩前に踏みだした。


「オレも戦うよ。今度は気を抜いたり、へまはしない」


 力強く言って、ウィリアムも足を前に出す。


「……分かりました。ですが、ご無理はなさらないように」


 その言葉にウィリアムは深くうなずいた。

 盗賊たちの方に目を向けると、がくがくと足を震わせた男がこちらを指さす。


「おい、おい、お前たち! そこを動くなよぉぉ。先日はずいぶんと世話になったなぁ?」


 腰抜けの男が、鋭い視線を向けてくる。

 賊たちは森林に隠れて暮らすことが多い。それはデルボキラでも同じようだ。森の地理に精通しているから先回りしていたのかもしれない。


「君らが先にオレたちを殺そうとしたんだろ! しかも汚い方法で!」


 ウィリアムは剣先を敵の体に向ける。


「親切に森の正しい歩き方を教えてやろうとしただけだ。特にここら一帯は僕たちの狩り場。つまり、お前たちは僕らの獲物さ!」


 もうひとりのフードの男はそう言って、背にかけた剣を腰の辺りで構えた。慎重な足取りでウィリアムたちへ距離を詰めてくる。

 今の彼らは鎧を着ていない。とはいえ、戦えば必ず命をかけたやり取りになる。先日の1件を顧みると、話し合いでの解決は不可能だろう。


「できる限り速く終わらせましょう。暗くなってしまう前に」


 たしかに日は傾きつつある。加えて、体力の問題もあった。すでに今日もたくさん歩いてきたので、戦いが長引くと疲弊して隙をつかれる恐れがある。


「分かった。ユナは人質をお願い。オレは正面から攻める!」


「承知です!」


 ウィリアムの言葉にユナは首肯し、同時に地面を蹴った。盗賊たちに迫る。


「いいだろう。今度こそ仕留めてあげよう!」


 フードの男がこちらに向い討とうと駆けだした。

 ユナの助言を思い出し、ウィリアムは無駄な力を体から抜いた。疾風の如く、男の下へ最短距離で接近する。勢いよく彼の剣と激突した。骨の髄まで揺さぶられるような衝撃が響く。しかし姿勢は崩さない。


「はっ!」


 呼吸と同時にウィリアムは絶え間なく、斬撃と突きを繰り返した。とどめの斬り上げで、相手の刃と交わる一瞬に力を注ぎこむ。敵の得物は竜巻のように吹き飛んだ。

 丸腰になったフードの男の鳩尾(みぞおち)に、剣を叩きこむ。彼の骨に当たる硬い感触が柄を通して伝わる。

 男は後方に倒れ、地面に背を強く打ちつけて動かなくなった。

 相手の気絶を確認したウィリアムは、すぐにユナの方へ目を向ける。


「こっちはやったよ!」


 ユナは、残るひとりの盗賊――腰抜けの男と対峙していた。その彼が、恰幅のいい男に短剣を突きつけている。

 やはり、太った彼は人質に取られているのだ。怯えのあまりか気を失っていた。


「ひぃぃ、近寄るな!」


「その方を離しなさい。さらに罪を重ねれば、神罰が下ります」


 盗賊との距離を縮めながら、ユナは剣先を盗賊に向ける。


「盗まねーと食いもんすらねぇんだ! 見逃してくれたっていいじゃないか!」


 声を荒らげて、男は主張する。


「どんな理由があろうとも、貴方に他人を傷つける権利はありません」


 ユナは一歩前に踏み出した。


「来るなって行ってるだろぉ! へへっ! こんなところで、くたばるもんか!」


 血迷った目つきで、男は人質の首へさらに剣を近づける。枯れ葉を踏む静かな音を立て、男は慎重に後ずさりしていく。彼の背には崖が近づいていた。このままでは、人質と共に崖の下へ落ちてしまう。


「早まっちゃいけない! 剣を捨てるんだ!」


 ウィリアムは腰抜けの男に向かって叫ぶ。


「わたくしたちは貴方を殺したりしません。ですから、無実の人を巻きこむのはやめなさい」


「へへ、てめぇらの言うことなんか信じられるかよ!」


 薄気味悪い笑みを浮かべ、男は人質の首に刃をじりじりと突きつけた。男の手はひどく痙攣している。刃がかすり、わずかな血が人質の首から流れた。


「その手を止めろ!」


 今すぐ男に斬りかかりたい衝動を抑え、ウィリアムは男に向かって叫んだ。どうすればいい? この男を説得させて、彼の手から剣を離させるには! 歯を噛みしめながら、懸命に考える。

 森に張り詰めた空気をゆっくりと裂くように、ユナが口を開いた。


「手を離さなければ、貴方に命はありません」


 静かな低い声に不気味さを覚えたのか、賊の男は黙ってユナの方を見る。


「へ、下手に脅すんじゃねぇ! 俺とこいつは一蓮托生だ。俺が死ねば、こ、こいつも死ぬんだ!」


「いいえ、それはできません」


 きっぱりとユナは断言した。

 その声を聞いた時、冷たい風がウィリアムの首筋を吹き抜ける。


「んだと、てめぇ! なんでそう言い切れるんだよ!?」


「わたくしが、魔眼を持っているからです」


 ユナは告げた。

 重々しく。はっきりと。男の方にまっすぐと目を向けたまま。


(魔、眼? ユナが……?)


「へっ、魔眼だって? そんな見え透いた嘘に騙されるとでも……」


「わたくしはこの国の第1王女、魔女様の娘! この石の紋章がその証です!」


 相手を威嚇するように強く宣言し、ユナはつけていた首飾りを外した。男に向かって放り投げる。

 それが放物線を描いて落ちる始終を、ウィリアムは魂が抜かれたかのように傍観していた。あまりに衝撃的なユナの告白に、思考が止まった。

 男はためらいつつも首飾りを拾った。それを見た彼はしばし声を失う。


「こいつは……! ま、まがい物じゃ……ねぇぞ」


 慌てて手放し、男は目の前に立つユナと地面に落ちた首飾りを交互に見る。銀のチェーンに、花の形をした黒い石がついている装飾品だ。


「ご理解いただけましたか? 貴方の剣がその方の首を掻き切るよりも、この魔眼で貴方を石にする方が速い。全身を石にだってできるのです」


 腰抜けの男に目を向け、ユナは淡々と言った。

 しっかりとウィリアムにも聞こえた。言葉通りの意味だ。頭では理解できる。しかし、心が受け入れるのを頑なに拒絶していた。


「お、王族の方……! お、お許しを! どうか、お許しくだせぇ!」


 男はユナにくり返し頭を下げ、態度を急変させた。


「今のわたくしは貴方に構っている余裕はありません。その方を離して、早々に立ち去りなさい」


 彼は黙ったまま頷いて、脱兎のごとく逃げ去った。

 その背が遠ざかって行くのを、ウィリアムはうつろに見つめていた。何も考えられず、冷たいものが胸のあたりに這いずり回っていた。

 ユナは地面に落ちた首飾りを拾い、丁寧に汚れをはらう。人質に取られて縛られていた男を解放した後、彼女は呆然と立つウィリアムに目を向けた。


「……ウィリー様、この方はまだ生きておられます。ひとまず山小屋に早くお連れしましょう」


 ウィリアムははっと我に返った。

 疑問は絶えないが、彼女の言う通りだ。人質の男は意識を失っている。まずは彼を助けるべきだ。

 頭の中を空にして、石の小屋まで男を連れていった。

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