17.温かな夜
たき火のそばに座り、ウィリアムは両手を掲げていた。
「ふぅ、あったかい」
新たな木枝を投じて火を大きくしていると、ユナが帰って来た。普段通り、黒い外衣に深く身を包んでいる。一見、いつもと変わらぬ様子だが、水の冷たさのせいか、わずかに体を震わしていた。
「ウィリー様……あの、お体の方は大丈夫ですか?」
どこか気まずそうに、ウィリアムの方をちらりと見てきた。
「う、うん。これくらい、なんてことない」
と言いつつも、つい背筋がまっすぐと伸び、肩に力が入る。
「でも、肩の傷が悪化してしまったのでは?」
「昨日も言ったじゃないか。ほとんど治ってるから大丈夫だよ。オレの心配より、ユナさんはどうなの?」
「ご心配なく。ウィリー様に助けていただいたので何の問題もありません」
「なら、よかった。てっきり危ない目にあっちゃったのかと心配になってさ」
ウィリアムは息を小さく吐いた。
「……申し訳ございません。あのような底の深い池に入ったことがなかったものですから。その……お恥ずかしながら怖くて。時間がかかってしまいました」
言いづらそうに、ユナはうつむいた。濡れた髪のせいか、彼女の姿がどこかいつもより弱々しく見える。
たしかに今までは、ウィリアムも近くにあった川で沐浴していた。だが、全身を浸からせられるほどの深さはなかった。
「そう、だったんだ。こっちこそ考えが足りなくてごめん。けど、どうして夜に?」
「池は視界が広くて外敵に見つかりやすいので、夜に入ろうと思ったのです。しかし、外敵よりも自分の未熟さを気にかけるべきでした……」
「そっか、なるほどね。でも、なんだか安心した……」
「安心、ですか?」
「あ、ごめん。変な言い方になっちゃったね。ただ、非の打ち所がないユナさんにもできないこともあるんだって思ってさ」
彼女は剣の達人であり、華麗な歌声を持ち、博識で堂々としている。非凡な彼女にも不得意なことがあったと知って、少しほっとした。人間らしい一面を感じて親しみやすさを感じたのかもしれない。
「買い被りすぎです。わたくしなど、まだまだ未熟者。泳ぐことすらできないなんて、お恥ずかしい限りです」
「誰でも、できないことくらいあるよ。オレなんかできないことの方が多いしね」
「そうですか? ウィリー様はとてもお上手に泳がれていましたし、きっと運動能力が優れておられるのだと思います。感服するばかりです」
「オレの泳ぎなんて大したことないよ。昔に鍛錬の一環で練習してたから多少は泳げるけど」
「鍛錬の一環で?」
「うん。子どもの頃にいろんなことを学ばされてね。いつどこで戦闘が起きても戦えるようにって」
「そうだったのですか。さすがです……わたくしもあらゆる可能性を鑑みて鍛錬に励まなくてはなりません」
胸の前で両手をぎゅっと握りしめて、自戒するように彼女はつぶやいた。
「よく分からないこともたくさん学ばされたけどね。特に水泳なんて実際に役に立つのかって思ってたけど、こうして誰かを助けるのに役立てたんだ。本当によかった」
師匠の教えのありがたさを身に染みて実感した。どのような能力が人生のどこで役立つか分からないものだ。
他にも全身の感覚を研ぎ澄ませるために、布で目を隠したまま稽古をした時もあった。これも魔女との戦いにおいて大いに役立つだろう。
「ウィリー様には頭が上がりません。王国が救われるより先に、わたくしがウィリー様に救われてしまいました」
「あれくらい当然、当然。また溺れそうになっても助けるから」
「ご、ご心配には及びません。二度と……あのようなご迷惑はおかけしませんから!」
目をそらしながら、ユナは胸の前で必死に両手を振った。
緊張した彼女の様子を見ていると、あのときの光景が思い出され、やましい感情と記憶がよみがえる。
「いや、こっちこそごめん! 君を焦らせて危険に追いこんだのは、オレが勝手に来たせいだ」
ウィリアムは軽く自分の頭を小突く。
「いえ、そんな! わたくしが悪いのです! 水ごときに恐れを成してウィリー様を心配させてしまい、神罰が下ったのです!」
ユナは大きく首を横に振った。
「いやいや、ユナさんは何も悪くない! って、はは……このままじゃ互いに謝ってばかりで埒が明かないよ」
そのことに気づき、ウィリアムは自然と頬がゆるんでいた。
「たしかにそう、ですね。……ふふ、ウィリー様が謝ることないのに」
ユナは目尻を下げ、口元に手を当ててほほ笑んだ。
ほんの一瞬だったが、その表情は脳裏に鮮明に焼きついた。彼女が笑っているところを初めて見たからだ。癒やされる温かな笑顔だった。
しばらく、ウィリアムはあっけに取られて呆然としていた。胸がどうしてか異常なほど高鳴っている。
「……笑ったら、とっても可愛いのに」
気づけば、か細く口に出していた。
「え? どうしました?」
「いや、何でもない! とにかく、もう謝るのはなしだ。明日も早いし、オレは寝るよ!」
声を上ずらせながら立ち上がる。このまま起きていると、次は何を口走るか分からない。それより、少しでも眠って体力を回復しよう。
「あ、そうでしたね。では、おやすみなさい、ウィリー様」
「うん、おやすみ」
ウィリアムはユナからやや離れた場所で横になった。
木々の葉が擦れ合う寂しげな音を聞いていると、そこに静かな子守唄が加わった。彼女はまた近くで歌ってくれているようだ。今宵もぐっすり眠れるだろう。
「……ありがとう」
目を閉じたまま、ウィリアムは小さく口にする。
不思議と、昨夜よりも優しい歌声のような気がした。




