15.森の子守唄
たき火の静かな音を聞きながら眠りに落ちたその夜、見慣れた悪夢を見た。 幾度となく見た凶夢だ。
爛石たちのわずかな光が彩る夜の森林に、ウィリアムは立っていた。
視線の先には体格の大きな男性と細身の女性がいる。暗くて姿はよく見えないが、父と母だ。何度も見た夢だから、おのずと分かった。
ふたりの下に近づくと、彼らがこちらに向かって必死に叫ぶ。
「いけないわ! 早く逃げて!」
「急ぐんだ! ここにいたら魔女に石にされるぞ!?」
彼らの悲鳴に足を止める。それと同時に、もうひとり、彼らの近くに誰かが立っていると気づいた。長身のシルエットが浮かび上がる。魔女ことアスティアーナ女王だ。
魔女は、父と母の方を向く。その右目が銀に光った途端、ふたりの体が鼠色を帯びる!
枯草色の草地の上に、伐採した大木のように父の巨体がばたりと倒れ、その上に母の体が覆いかぶさった。
(父さん、母さん……!)
ウィリアムは叫ぼうとしたが、声は出ない。
魔女は宵闇の中に消えた。
すぐさま地面にうつ伏せになった父と母の下に駆け寄る。彼らの体はピクリとも動かずに硬くなっていた。体に触れると、ざらついた冷たい感触がする。全身が完全に石に変わっていた。
「父さん、母さん! ふたりとも起きて! 起きてよ!」
何度も肩を揺さぶるが、両親の体はびくともしない。石になった体は崩れ始め、やがて砂のように溶けてしまった。
ウィリアムはあんぐりと口を開く。
「そんな……嘘だよ……。父さん、母さんっっっ!」
辺りにウィリアムの慟哭が響き渡った。
徐々に視界がぐらぐらと揺れる。うっすらと目の前がぼやけていき、ウィリアムは夢から覚めるのだと悟った。
同時に、誰かの声がぼんやりと聞こえる。ほんのりとした温かみが肩に感じられた。
「……きてください。……起きてください! ウィリー様!」
目を開けると、ユナの顔と星空が見えた。
彼女は必死の様子で、ウィリアムの両肩を揺さぶっている。
「ユナ、さん?」
ばくばくと揺れる胸を押さえ、ウィリアムは声をしぼり出した。
上半身をゆっくりと起こす。すぐそばには川が見えた。辺りは爛石によって淡い黄色の光につつまれており、川辺はいくつもの木々に囲まれていた。
穏やかな川のせせらぎを聞いていると、激しい脈動が段々と治まってきた。
「ウィリー様、貴方様はひどくうなされていたのです」
心配そうにこちらを見つめるユナの顏が、月光によって照らされる。淡い青紫色の瞳は憂いを帯びていた。
ウィリアムたちは石が積もった川岸に、集めた草を敷いて眠っていたのだ。
「そうみたいだね。……ごめん、起こしちゃって」
ウィリアムは視線を落とした。
「わたくしのことはお気になさらないでください。それより、ウィリー様。ひどくお体が震えているご様子ですが……」
ユナの言う通りだった。手足は小刻みにしびれ、額には冷汗もにじんでいる。
「ああ、これはすぐに治まるから気にしないで。よくあることなんだ。昔から、一緒の部屋で寝てた人たちには何度も迷惑かけちゃってね」
目元を押さえ、ウィリアムは言った。
「ご両親の夢を見ていたのですか?」
「え、どうして、分かったの? もしかして、寝言で言ってた?」
「はい。とても御苦しそうに……」
表情を曇らせて、ユナは重々しく首肯した。
「何度も……同じ夢を見るんだよ。魔女に父さんと母さんが殺される夢をさ」
静かに流れる川に目を向ける。この川をたどれば、魔女のいる場所にたどり着く。
そう思うと、胸がざわざわとして気がはやる。
「夢は夢です。魔女様が貴方様のご両親を殺めるだなんて考えられません。断じてあり得ません」
「だったら、良かったんだけどね」
ウィリアムにはわずかな記憶しかない。しかし、父と母が魔眼によって殺されたのは事実だ。目の前で石にされる光景を今でも覚えているのだから。
「魔女様は厳しい御方ではありますが、非道な方ではありません。きっと、何かの間違いです」
「それは直接会って、確かめるよ。だから、早く寝ないとね。明日もいっぱい歩かなくちゃいけないし!」
明るい声でそう言って、ウィリアムは立ち上がった。
「どこに行かれるのですか?」
「寝言で叫んだら、また君を起こしちゃう。ちょっと遠くで寝るよ」
「わたくしのことなどお気になさらないでください! それよりも、ウィリー様が再び襲われてしまう恐れがあります。夜の森には、獣や賊など多くの危険が潜んでいますから……」
ユナはウィリアムの負傷した左肩を物憂げに見つめる。
「大丈夫、大丈夫。オレもびっくりしたけど、もう痛くもかゆくもないんだ」
ウィリアムは肩をぐるぐると回して見せた。
「そんな、信じられません……さすがは救世主様です。並々ならぬお体を、お持ちなのですね」
固まった表情で、彼女はウィリアムの肩を凝視していた。
「いや、違うよ。どうしてかは知らないけど、オレは昔から傷の治りが早いんだ」
矢が刺さったのに、これほどすぐ治癒されるとは、ウィリアム本人ですらも思っていなかった。この体質の原因は未だに分からないが、何にしてもありがたい。
「そう、なのですか」
重々しくユナはうなずいた。それでもなお、彼女は腑に落ちていないような顔をしている。
「うん。だから今度はへましないって!」
「しかし、また弓矢で襲われてしまっては……」
「うっ、それも気をつけるよ。木の上から狙われにくい場所を探す」
「それでも決して安全とはいえません。本当なら、夜もすぐそばでお守りしたいのに……」
それを聞き、ウィリアムの心臓がどきりと波打つ。冷たい夜風が気にならないほどに体が熱くなる。
恋人でもない男女が寄りそって眠るのは、倫理的にまずい。共に野営するのは致し方ないが、一定の距離は取るべきだ。
「い、いや、ありがたいけど心配しないで。じゃ、何かあったら大声で叫ぶから!」
早口でまくし立て、ユナに背を向けて逃げるように去ろうとする。
だが、右手首をつかまれた。
「お待ちください。それでは、わたくしも不安で眠れません。ウィリー様も安眠できず、また悪夢に苦しんでしまうかも……」
ユナが目を向けてくる。瞼の奥からは、いつの間にか雲に隠れてしまった月のように、おぼろげな光を放っていた。
たしかに2度と見たいとは思わないけれども、悪夢は体に直接害を成すわけではない。多少、寝覚めが悪くなるだけだ。
「そりゃ、見ないに越したことはないけど」
「それなら良い方法があります。子供の頃、わたくしもよく悪い夢を見たのですが、お師匠様が子守唄を歌ってくださったのです」
「君のお師匠さん?」
「はい。わたくしに剣を教えてくださった方です。その方の子守唄のおかげで悪夢にうなされることがなくなりました」
彼女に剣を教えた人なら、相当な腕を持っているはずだ。頭の中に力強い老騎士のような風貌が浮かんだが、そのような人が子守唄を歌う様子はあまり想像がつかない。ウィリアムの師匠も、歌を口ずさむような性格ではなかった。
「ですから、この場でご遠慮なくお休みください。わたくしが歌ってさしあげますから」
「それだと君が眠れなくない?」
「ウィリー様にきちんと寝ていただければ、わたくしも快眠できます」
ユナの目的はウィリアムをいち早く魔女の下に連れて行くことだ。彼女の頭の中はきっとそのことで一杯なのだろう。
だとしても、彼女の気遣いには感謝しかない。彼女を安心させるためにも、その厚意に甘えるべきだ。
「……分かった。じゃ、お願いできるかな?」
「もちろんです。ただし、あまり上手ではないので、過度な期待はしないでください」
「ありがとう、ユナさん。それで、何の歌を歌ってくれるの?」
「この国の伝統的な子守唄です」
「へぇ。どんなのか楽しみだ」
敷きつめた草の上に再び寝そべり、ウィリアムは目を閉じた。
やや間があって、静かで美しい歌声が、すぐそばから聞こえてくる。穏やかな川の流れに沿うような美しい声だった。
なぜかウィリアムはこの歌に聞き覚えがあった。遠い遠い昔に聞いた気がする。母が歌ってくれたのかもしれない。
思い出そうと試みているうちに、ウィリアムは眠りの世界に沈んでいった。




