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11.孤独な旅人

 祈りを終えると、少し進んだところで野営の準備を始めた。人の死を目にして気分が沈んでいたが、刻々と辺りが暗くなっている。いつまでも浮かない顔をしているわけにはいかなかった。

 急いで木の枝を集め、乾燥した草や石を駆使して火を起こした。夜食は木の実とキノコだ。デルボキラへ密入国する前、道中で採取した。


「……ねぇ、ユナさん。近くにまだ他の貴族兵がいるんじゃ?」


 木の実を食べながら、ウィリアムはユナに問いかけた。

 あの伝令兵と会ってから、ウィリアムは警戒心を強めていた。


「この辺りはただの森です。彼らがこのような何もないところに集まっているとは考えづらいかと」


 すぐそばの倒木に座っていたユナは、こちらに目を向けて答えてくれた。

 今夜は月が雲に隠れている。静かに燃える小さな火が辺りを照らす唯一の光源だ。


「ふーん、ん?」


 しかし、突然のことだった。たき火の炎に奮い立たされたかのように、辺りが小さな輝きを帯び始めたのだ。


「なんだ? 何か光って……」


 ウィリアムは立ち上がって辺りを見回す。人の気配はしないが、地面に落ちている石たちがかすかに光っていた。その黄土色(おうどいろ)のほのめきが、暗い森を彩っている。


爛石(らんせき)と呼ばれる希少な石です。夜になると光を灯します。美しい光景でしょう?」


「うん……この国には変わった石があるんだね」


 まさか忌むべきデルボキラでこのような美しい景観を見られるとは思ってもいなかった。何とも複雑な気分だ。


「石はありがたいものです。この国の石には守護神様の神聖な力が宿っていると言われていますから」


「……へぇ。じゃあ、もしかしてオレの指輪の石も特別な力が?」


 周りの爛石(らんせき)の光に照らされて、漆黒の岩肌が浮かび上がる。両親は何らかの意味をこめて、この指輪をくれたのかもしれない。


「はい。その石は黒尚石(こくしょうせき)と言います」


「ユナさんの首飾りのと同じじゃない? この国の名物なの?」


 ずっと気になっていたことを口にし、ユナの首元を指さす。


「こ、これは違います! 黒尚石は爛石よりも珍しく、黒聖山(こくせいざん)の山頂でしか手に入らない神聖な石です。わたくしのような一介の旅人には無縁の代物ですから!」


 彼女はとっさに首飾りを両手で隠した。

 酷似していると思ったが、見当違いだったか。


「黒聖山で? へぇ、そんなに珍しい石なんだ」


 けれども、なぜウィリアムが持っているのか疑問だ。ずっと指輪を見続けていると、心がざわめく。


「だからこそ救世主様の証なのです。さあ、明日も長い道を歩かねばなりませんから、早く就寝しましょう」


 そう言って、ユナはこちらに背を向けた。

 着ていた外衣(がいい)を脱ぐと、黒いワンピースドレスの姿になった。胸元には繊細な花模様の刺繍が見え、腰の辺りから太ももまでふんわりとスカートが広がっている。彼女の細身に似合うぴったりとした衣服だ。


(まさか、こんな格好で森の中を歩いてたの? やっぱり、ユナさんは貴族のお嬢様なのかも……)


 ()きつめた草の上に横たわり、こちらに背を向けた。脱いだ外套(がいとう)を毛布代わりにする。そのまま寝てしまったようだ。


(この人を信じてついて行くべき? 救世主とか言ってたけど、オレを魔女に会わせて、何させようとしてるんだろ? ユナさんのことも、魔女のことも、この国のことも、まだまだ分かんないことだらけだし……)


 木の実をつまみながらウィリアムは悩む。

 頭を抱えていると、きゅるるると気の抜けた音が鳴った。


「何だ!?」


 思わず、立ち上がって剣を抜く。

 獣の類が近くにいるようだ。だが、獣にしては、小動物のような可愛らしい鳴き声だった。デルボキラの森に住む特殊な動物だろうか?


「落ち着いて、ください」


 ユナはこちらに背を向けたまま、静かに告げた。


「でも、ユナさん。今、何かの音が!」


「違います。今の音は、その、わたくしの……です」


 なぜだか言いづらそうに彼女は言葉を発した。最後の方だけ声が小さくなって聞き取れなかった。


「え? 君のって、何が?」


「わたくしの……お腹の音です……」


 小さなつぶやきだったが、今度は聞こえた。心なしか少しだけ背が震えているように感じる。


「あ……そっ、か」


 他人の腹の音を聞いただけで剣まで抜いてしまうとは情けない。異国の地に来て敏感になり過ぎていた。

 言われれば、会ってから今まで彼女は何も口にしていない。きっとお腹を空かせているだろう。


「木の実とキノコがあるけど、食べる?」


「お気になさらず。空腹ではないので」


「いや、でもさっき……」


 再度、ぐーっという音が聞こえた。

 彼女は横たわったまま背を丸める。


「……最後に食事したのは?」


「今朝、です」


 おずおずと彼女は答えた。

 そうなると、久しく何も胃に入れていないことになる。今日は長距離を歩いたから、かなり体力を消耗したはずだ。


「明日もたくさん歩くんでしょ? 何も食べないと、持たないよ」


「では……少しだけ、いただけますか?」


 ユナは静かに身を起こした。そろりそろりと、遠慮がちにこちらに近寄る。


「どうぞ、どうぞ。ほんとに少ししかないけどね」


 ウィリアムは彼女に少量の木の実とキノコを渡した。

 立ったまま彼女はそれを手のひらにのせて、不思議そうに見つめる。そのひとつを慎重な手つきでつまみ、ゆっくりと口にした。


「美味しい……!」


 彼女は目を見開いた。今朝以来の食事に感動を覚えているようだ。

 予想外の大きな反応に、ウィリアムは口を半開きにしたまま、しばらく瞬きすらも忘れていた。


「あはは」


 自然と笑いがこぼれた。


「どうなされました?」


「いいや、なんでも。ただ、君の反応が意外で。ふふ」


 口を押さえるが、笑いをこらえきれない。


「そう、ですか。初めて口にした味でして……」


 彼女はウィリアムから目を逸らす。たき火の炎せいか、頬が少し赤く見えた。


「初めて? だったら、いつも何を食べてるの?」


 木の実やキノコは、そこら中にも見かけられる。旅人ならよく口にするはずだ。何も食べずに生きていた……とは、さすがに考えにくい。


「……普段は……少し贅沢なお食事です」


「贅沢? それって、どんな? まさかお肉の料理とか?」


「黙秘させてください」


「ふーん、すんごく気になるなぁ」


 ユナは一口一口を大事そうに味わって食べている。こうして見ると、彼女が悪い人間とは思えない。旅人と言うより、箱入りのお嬢様のように見える。

 本当に謎に満ちている人だ。漆黒のドレスと雪色の肌から、今にも消えてしまいそうな儚さもあった。そのせいか、不思議と彼女に見惚れてしまう……。


(いやいやいや! 何考えてるんだ、オレは!)


 ウィリアムは自身の両頬をたたく。

 彼女は正体不明の人間だ。油断してはいけない。

 これまで男ばかりが住む環境で育ってきたため、きっと魅力的な女性に弱いのだ。しっかりと気を引き締めよう。

 思案していると、ユナは食べ終えたようだった。


「ご馳走になりました。ありがとうございます」


「どういたしまして。美味しそうに食べてくれて何だか嬉しいよ」


「至福の味でしたので。このような美食をいただけるなんて、救世主様は慈悲深い御方(おかた)です」


「大袈裟だなぁ。救世主じゃないのに」


「まだ信じておられないのですか?」


「そりゃあ、そう呼ばれる心当たりも特にないし」


「貴方様は間違いなく救世主様です。黒尚石の指輪とわたくしが保証します」


「そんな保証はいらないよ。むしろ肩身が狭くなるから、もう救世主って呼ばないで欲しい」


「……では、何とお呼びいたしましょう?」


「ウィリーでいいよ。故郷の人たちからはそう呼ばれてたし」


「……うぃ、ウィリー、様」


 彼女は戸惑った様子で、名を呼んでくれた。

 もうかつての砦の仲間たちからは永遠に呼ばれない名だ。だから少し懐かしく、貴重に感じた。


「はは。そんなに遠慮がちにならなくていいよ。様もいらない」


「いえ。それでは救世主様に対して失礼に当たります。そもそも、このように人様をあだ名で呼んだこともないので、慣れなくて……」


「旅人なのに?」


 ウィリアムは少し意地悪気な笑みを浮かべた。


「申し上げたでしょう? わたくしは孤独な旅人なのです」


「ほんと? 君みたいな綺麗な人、男たちが放っておかないだろうに」


「過ぎたお言葉です。わたくしなどを気にかける男性はいません」


「へぇ。ま、いっか。そういうことにしとこう」


 ウィリアムは飄々としながらうなずいた。


「信じておられませんね、救世主様?」


「信じてる、信じてる。それに、救世主様じゃなくて、ウィリーでいいって。敬語もやめて、もっと楽に話そう」


 女性に年齢をたずねるという無粋な真似はしないが、ややあどけない彼女の容貌を見るに、彼女はウィリアムと同じ20歳前後に見える。一方で、神秘と気品を感じさせる大人びた雰囲気もあるので、年上である可能性もあった。


「分かりました。ウィリー、様」


「まだ、敬語になってるけど」


「わたくしは親密な会話が苦手なのです。ご容赦ください」


 困った様子で、ユナは眉尻を下げた。


「孤独な旅人だから?」


「……もう寝ます」


 ユナは再び草の上に横になった。機嫌を損ねてしまったのかもしれない。


「ユナさん」


 ウィリアムは小刻みに震えた彼女の背に声をかけた。


「何ですか?」


「今夜は寒い。たき火の近くで寝るといいよ」


「いえ、お気遣いなく。ウィリー様も、どうかお体を冷やさないように」


「平気だよ。頑丈な体だけがオレの取り柄だし。じゃ、あっちの茂みで寝てる。また明日ね」


 ウィリアムはユナの下から離れた。

 デルボキラの人間は血が通っていない極悪人だ。助ける価値もない。そう思っていたが、彼女と話していると断言できなくなった。デルボキラ人も普通の人間と大差はない。時が過ぎれば空腹になるのだ。

 完全に信用するのは危険だが、警戒しすぎていても精神が疲弊してしまう。

 ウィリアムは少しだけ心を落ち着かせようと思いながら、眠りについた。

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