第8話:冷たさの理由と、孤独な誇り
「……邪魔者は行ったな」
秋人が去り、小屋の中に再び静寂が戻った。
冬真は、戸が閉まる音を聞くと、すぐに私から視線を逸らした。
「早く帰れ。あいつの言う通りだ。俺に構うな」「いいえ。看病を最後までやらせていただきます」
私はきっぱりと断り、薬箱から持ってきた消毒用の里の薬草と、清潔な布を取り出した。
「痛みますよ」
「構わん」
彼の深いクマの傷は、想像以上に凄まじかった。
巨大な獣の爪が、人間の脇腹を力任せに引き裂いた跡。
(これだけの怪我で、クマを威圧して追い払ったなんて……)
(彼がどれだけ強いのか。そして、どれだけ無理をしているのか、わかる)
恐る恐る、古い布を取り、新しい薬草を塗り込む。その度に、冬真の全身が微かに硬直する。
だが、彼は決して声を上げなかった。
「……都会の人間は、弱いくせに馴れ馴れしい」
冬真は突然、絞り出すような低い声で言った。
「俺に近づいた人間は、皆、怪我をするか、死ぬかだ。お前もそうなりたいのか?」
「……そんな風に、自分を呪わないでください」
私は手を止め、冬真の瞳をまっすぐに見つめた。
「クマとの戦いは、マタギの仕事ですよね? 命を懸けて里を守った。あなたが負ったのは、呪いではなく、誇りの傷です」
「黙れ」
冬真は顔を歪め、初めて怒りを露わにした。
「里の人間は知っている。俺が追っている『尺取りのゴン』は、ただのクマではない。あれは里に災いをもたらす獣だ。かつて、俺の……」
彼の言葉が途切れる。
その視線の先にあったのは、小さな木彫りの人形。
それは、女性の顔を模した、素朴な人形だった。
「……あれは、俺が守れなかった命だ」
冬真は静かに続けた。
「五年ほど前。俺はまだ未熟で、ゴンの最初の出現を食い止められなかった。その結果、里の娘が犠牲になった。その娘が、これを作ったんだ」
「……」
その瞬間、私の中にあった冬真への『攻略対象』という視点が消え、一人の『人間』として見ている自分に気づいた。
(なんだ。彼は、最強なんかじゃない)
(孤独で、過去の責任を背負い、誰にも弱みを見せられない、ただの不器用な青年だったんだ)
「だから、俺は誰も近づけたくない。特に、都会の、弱い女なんかな」
その言葉は、拒絶ではなく、優しさの裏返しだと、私には痛いほど理解できた。
「大丈夫です。私は、弱くありません」
私は優しく、しかし決意を込めて、冬真の荒れた手を握った。
「あなたのせいじゃありません。それに、私はあなたに命を救われた。次は、私があなたを守る番です」
冬真は、固く目を閉じた。
彼の瞼の裏で、過去の悲劇と、今の私の笑顔が重なったのだろうか。
「……勝手にしろ」
冬真の口から出たのは、諦めにも似た、拒否の言葉だった。
だが、私が握った手を振り払うことはなかった。
(……っ!受け入れられる一歩手前!!)
その夜、私は冬真の小屋で、静かに夜を明かした。
時折、うなされて汗をかく彼の額を拭い、里の薬草を煎じる。
外は深い山の闇。だが、この小屋の中だけは、確かな温もりに満ちていた。




