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好きの手前と、さよならの向こう  作者: 茶ノ畑おーど
〇1章【すれちがいと夜】
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4節~エピローグ~ 7

「そうだ、井口たちには、これな!」


倉本の突拍子もない声が、ざわめきを一気に攫った。


振り返った視線の先、彼は大げさに紙袋を抱え、ゴソゴソと中を漁っている。

井口たちは足を止め、不審げにその動きを見ていた。


「じゃーん! これをプレゼントだ。はい、着て反省してくださーい!」


ひらりと掲げられたのは、ド派手なビビッドカラーに、悪趣味なフォントで『部下に優しく★モテリーダー』とプリントされた、完全にネタ枠のTシャツ。


突き抜けたセンスに、あたりは一拍の沈黙――そして次の瞬間、ドッと爆笑が広がった。


「な、なにこれ……!」


「やば、めっちゃセンス終わってるんだけど……!」


女子たちの笑い声が一気に弾ける。

その爆笑が痛烈な皮肉のように響き、井口の口元がわずかに引きつった。

石井と杉山も居心地悪そうに視線を逸らす。


「……ふざけてんのか」


井口が低く唸るように言ったが、その声を打ち消すように、別の声が落ちた。


「ふざけてると言えば……お前らが提出した企画書、中身ボロボロだったって、先方が激怒してたぞ。こんなところで油売ってる暇あるのか?」


佐久間の言葉は淡々としていた。

けれど、その静けさは逆に冷たい刃のようで、井口たち三人の表情が瞬く間に青ざめる。

その視線が、静かにキリカへと移る。


「俺も軽く確認したが……徹夜で仕上げた後輩に負けてるようじゃ、まだまだだな」


その言葉は誰の耳にも痛いほど響き渡り、井口たちは目を泳がせた。


キリカは、佐久間の視線をまっすぐ受け止めていた。

そこにあったのは、怒りや同情ではない。ただの、信頼。


ふっと胸が熱くなる。

あの夜、泣きながら必死に立ち向かったことが、今こうして形を持って認められた。

それだけで、喉の奥がじんと熱くなった。


「や、やべぇ……資料、直しに……」


井口が言葉を濁し、石井と杉山も気まずそうに頷く。

三人はそそくさと踵を返し、自分たちの席へ逃げるように戻っていった。

その背中に注がれる周囲の視線は、もはや敵意ですらなく、ただ冷ややかな失望だった。



「おーい、中町! お前もそんなところでスカしてないで、こっち来てカロリー摂取していけよ!」


倉本の豪快な声が、再び場を明るく染める。

両腕を広げて紙袋を掲げる姿は、もはやちょっとしたヒーロー気取りだ。


ヒロトはやれやれと立ち上がり、歩き出す前に、ちらりとキリカを見た。

目が合った瞬間、彼女は小さく瞬きをした。

その顔にはまだ驚きと戸惑いの影が残っていたが、どこかほっと緩んだ色も見える。


素の彼女は、意外と感情が顔に出るんだなと思った。

仕事の時は冷静なのに、こういうときはまるで子どもみたいだ――ヒロトはそんなことを考えながら、口元を緩める。


「倉本、お前なぁ。いくら使ったんだよ。バカじゃないの」


「いやいや! これが俺らのチーム愛ってやつだろ? な、佐久間さん!」


「……気持ちは買うが、金は……多分誰も出さんぞ」


「えっ? ちょ……マジで?」


倉本の嘆き声に、また場が笑いに包まれる。

ちひろやしおりも手を伸ばし、嬉しそうに紙袋の中を物色している。

キリカも、どこか呆然としながら、その笑いに巻き込まれていた。


「多分……麻衣はこれだな。ちゃんと確保しておかないと後が怖いからな……」


ヒロトがひょいと箱を一つ持ち上げ、まるで供え物のようにデスク端へ避難させた。

「俺は……」と呟きながら、今度は並んだ菓子を吟味するように眺める。


「明坂ちゃん、どれにするの~?」


ちひろの軽い声が、横から空気をくすぐった。

キリカはおそるおそる菓子の箱へ手を伸ばす。

その瞬間、同じ箱に伸びた別の手が、そっと触れた。


「あっ……」


互いの指先が一瞬、重なる。

わずかに目が合い、そして同時に、少し照れたように視線を逸らす。


「お前ら……息ピッタリかよっ!!」


倉本の声が弾け、フィスの空気が一瞬にして軽くなる。


ヒロトもつい笑ってしまい、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

キリカは顔を赤く染め、口を尖らせながらも、どこか照れくさそうに微笑んでいる。


「……ね、ちょっといい感じじゃない?」


しおりがちひろの耳に囁く。


「だよね~!」


くすくすと笑い合う二人に、すみれが肩をすくめた。


「出たよ。恋愛脳」


ついこの間まで、声を潜めていた彼女が、今は自然に笑っている。

その笑顔を囲む輪は、もうどこにも冷たい風を通さなかった。


――嵐は去った。


そして訪れたのは、ほんの少しだけ温度を帯びた日常。

ヒロトの胸の奥で、張り詰めていた糸がふっと解ける。

それは音もなく、静かに溶けていく春の雪のようだった。


輪の中心に交じる笑い声とざわめきが、柔らかく空気を満たしていく。

そのぬくもりを確かめるように、ヒロトは小さく息を吐き、肩に積もっていた重さを、そっと手放した。



1章『すれ違いと夜』 完


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