1節~初めまして、よろしくお願いします。~ 7
「明坂ちゃん、ここ分かりづらかったら、あとで一緒に見ようか」
「うん、無理しないでね? 私たちも最初つまずいたとこだから」
「あんたは、未だにつまずいてるでしょうが」
「……はい。おっしゃる通りです」
昼休みを終え、作業を終えたしおりたち三人が、キリカの席に立ち寄って笑顔を向ける。
優しい口調。柔らかな空気。
キリカは小さく頷いて「ありがとうございます」と答える。
その声には、確かに感謝の色があった。
けれど同時に、どこか張り詰めた緊張も含まれていた。
しおりたちの親切は、悪意のないものだ。
むしろ、キリカを気にかけ、輪に入れようと努力してくれている。
……なのに、なぜか上手く馴染めない。
ヒロトは、そんなキリカの様子をデスク越しに見ながら、「きっと、あいつは気を遣われるのが一番苦手なタイプだろうな」と苦笑をこぼした。
◆
「ここは、明坂の修正を反映して……」
「……それ、まだ修正終わってませんけど」
「あ、そうなのか」
午後の打ち合わせ。
ヒロトは進行の合間、キリカの発言をうまく拾って場に溶け込ませようとする。
だが、キリカは一歩引いたように答え、無難に話を締めくくるだけだった。
見かねた麻衣が、資料を配るタイミングで小声で耳打ちする。
「……ねえ、ちょっと構えすぎてない?」
「うん。多分、こっちが気を遣いすぎてるのも伝わってるんだと思う」
「あー……あるある。私も新人のときにやられたら、逆にきついだろうなー」
そんな会話を交わしながら、麻衣はキリカのほうをちらりと見る。
彼女の背筋は、まっすぐすぎるほどに伸びていた。
◆
そんな状態のまま、数日が過ぎた。
ヒロトが、資料提出を終えてオフィスのフリースペースを通りかかると――
ふと聞こえてきた笑い声に、足が止まった。
ガラスを通した向こう側。
数人の社員が談笑するテーブルに、キリカの姿があった。
その顔には、珍しく自然な笑みが浮かんでいる。
卓を囲むのは、見覚えのある女性社員――確か、前のチームでキリカと一緒だったはずだ。
そして、隣にいたのは井口という名の男性社員。
その横には彼と同じチームの、石井と杉山の姿もあった。
「……あいつらか」ヒロトは脳内で毒づく。
その三人に関しては、正直、あまり関わらせたくない面子だった。
だけど、彼らの会話は妙に自然で、キリカの肩の力が抜けているようにも見えた。
井口が何か軽口を叩き、キリカが呆れたように眉をしかめ、でも口元には笑みを残している。
その姿を見て、ヒロトは無意識にスマホを取り出し、ロック画面を確認した。
何かを期待したわけではないけれど、やはり通知はなかった。
会社で誰と話そうが、もちろん自由だし、文句を言うつもりもない。
そう言い聞かせながら、ヒロトは踵を返す。
ただ、その背中には、何とも言えないもやのようなものがこびりついていた。
その晩。
麻衣がSlackに投げたメッセージがふと目に入った。
『来週金曜、プロジェクトメンバーで飲み会やるよー! 予定空けといてね!』
まだその話題は、ただの業務連絡でしかなかった。
けれどヒロトの心の中では、形容しがたい火種のようなものが、静かに燻り始めていた。