3節~灯る想い~ 2
ドアが閉まると、外の喧騒が遠くに消えた。
明るい窓から差し込む光に、ミーティングテーブルが無機質な白さを帯びる。
普段なら、何気ない打ち合わせや雑談が交わされる場所だ。
けれど今日の空気は、薄い膜で包まれたように張り詰めていた。
キリカは麻衣に促され、静かに椅子へ腰を下ろした。
背筋はまっすぐだが、膝の上で組んだ両手が小さく震えている。
その指先の細かな動きまで、無理に繕おうとする気持ちが伝わった。
麻衣は向かいの椅子に座ると、ひとつ息を吐いた。
「……明坂ちゃん」
名前を呼ぶ声は、できるだけ柔らかくしたつもりだった。
けれど返事はなく、キリカはただ正面を見据えていた。
目元は赤く、乾いた唇が言葉を飲み込むように閉ざされている。
髪は一部ほつれ、ポニーテールが崩れかけていた。
そのすべてが、余裕を失っていることを雄弁に物語っていた。
麻衣は胸の奥がきゅうっと縮むのを感じた。
ヒロトのサポートもあったし、立ち直った様子を見て安心していた。
少し離れて見守るくらいがいいと、勝手に思い込んでいた。
けれど、目の前の姿はその油断を容赦なく突きつけてくる。
もし本当に平気なら、あの日あんな言葉――「チームを抜けたい」なんて吐き出すはずがない。
「進捗、見せてもらってもいい?」
穏やかに声をかけると、キリカは小さく頷き、手元のファイルを差し出した。
その指は微かに震え続けていた。
麻衣はページをめくる。
未完成のレイアウト、穴の空いた構成表。
見た目だけを整えようとした形跡が、むしろ空白を際立たせていた。
ここまで追い詰められるまで、どれだけ一人で抱え込んできたのか。
問いかけたい衝動が喉元に上がるが、彼女の姿を見ているとそれを口にすることが残酷に思えた。
「……まだ終わってません。間に合わせます」
沈黙を破ったのは、かすれたキリカの声だった。
「間に合うかは……わかりません。でも、やらなきゃいけないんです」
言い切ると、初めて麻衣をまっすぐ見た。
涙はなかった。
代わりに、硬い芯のような光が瞳に宿っていた。
胸の奥が強く締めつけられる。
自分は一体何をしてきたのか。
新人のころ、あの子と同じように不安でいっぱいだった日のことを、麻衣はふと思い出した。
誰も助けてくれなくて、自分で戦うしかなかったあの日の記憶。
だからこそ手を差し伸べたつもりだったのに、結局は何一つ守れていない。
『頼むよ、ほんとに……』
あの日、ヒロトに投げた言葉が、頭の中で何度もこだました。
自分こそが頼られる立場のはずなのに、彼にすべて押しつけていた。
麻衣はゆっくりとファイルを閉じた。
「……明坂ちゃん」
もう一度、名前を呼ぶ。
「間に合うかなんて、今は分からなくていい。……でも、明坂ちゃんの頑張りを、私は誰よりも信じてる」
その言葉に、キリカは何も返さなかった。
ただ、まっすぐ麻衣の目を見て、小さく、ほんの小さく頷いた。
その小さな頷きに、言葉よりも強い意志が宿っていた。