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好きの手前と、さよならの向こう  作者: 茶ノ畑おーど
〇序章【始まりと予感】
4/76

1節~初めまして、よろしくお願いします。~ 4

その日、ヒロトは昼休みにプロジェクトの進行資料を確認するため、会議室にノートPCを持ち込んでいた。


ドアのすぐ外で、誰かの足音が止まったのが聞こえる。

ノックの音とともに、ドアが少しだけ開いた。


「……中町先輩、ここにいらしたんですね」


振り向くと、そこに立っていたのは明坂だった。

休憩時間のはずなのに、ファイルを胸に抱えたまま立っている。


「ああ。どうした、何かあった?」


「いえ……昨日のミーティングで指摘されていた部分、少し修正してみたので、確認をお願いしたくて」


「……もう修正したのか。早いな」


ファイルを受け取り、目を通す。

要点が簡潔にまとまり、かつ構成も練られている。

技術資料としては、申し分ない仕上がりだった。


「……これ、相当詰めたろ。正直驚いた」


「……ありがとうございます」


そう返したキリカの声は、いつもより少しだけ柔らかかった。


「でも、昼休みはちゃんと休めよ」


「……それ、先輩が言うんですか」


「……確かに」返す言葉もない。しかし、キリカの声色は、初日よりも棘がない……ような気がした。


「……あれ」

ヒロトがふと視線をあげると――いつもきっちりと結われている彼女の髪が、今日に限って下ろされていることに気づく。


「明坂って、いつも髪結んでたよな?」

彼が自然に漏らすと、キリカは一瞬だけピクリと反応し、視線を逸らした。


「……今日は風が強かったので、結び直す時間がなくて……」


言い訳のような、どこか落ち着かない声音。

それでも、彼女の黒髪が肩にふわりと触れる仕草は、妙に印象に残った。



資料のフィードバックを伝えた後、キリカが部屋を出ようとしたとき。

ヒロトが「そういえば」と、気まぐれのように声をかけた。


「……なあ、明坂って、前のチームではどうだったんだ?」


立ち止まったキリカの背中が、わずかに揺れる。

「……仕事は、ちゃんとやってましたよ」


「そういう意味じゃなくて。ほら、周りとの連携とかさ。

正直、あそこのチーム、昼休みまで仕事するようなヤツいなかったろ」


数秒の沈黙。

そして、ぽつりと落ちた声。


「……あまり、話す相手はいませんでした。自分がそういうの、苦手なので」


ヒロトは何も言わなかった。

「ふぅん」と、息を吐くように漏らしただけ。

ただ、それを責めることも慰めることもせずに、ほんの一瞬だけ視線を落とした。


彼の中に、なにか説明できない感情がわずかに灯る。


(……どうしてだろうな)


不器用で、ちょっとトゲがあって、

それなのに――その言葉の奥に、寂しさのようなものが見える気がした。


キリカは、ドアに手をかけながら、ふと振り返る。

「……中町先輩が、今の私をどう思うかは、別に気にしていませんけど」


「そうかよ」


「……でも、前よりは……うまくやれるようになりたいです」


その一言を残して、彼女は小さく頭を下げて出ていった。

ヒロトはしばらくそのドアを見つめたまま、コーヒーを口に運んだ。


「ふぅん……」

小さく息を吐くように漏れた声に、自分でも気づいていなかった。

苦味だけが、やけに強く感じた。



その日の夜。

帰宅したヒロトは、スーツを脱いでソファに体を投げる。


「はぁ……」


スマートフォンを手に取り、画面を開くと――

朝にヒカリから来ていたメッセージが、そこに未読のまま残っていた。


『そろそろ暖かくなってきたね。覚えてる? 昔、一緒にお花見したよね』


一年前なら、手放しで喜んだはずの言葉。

今はどうしても、それが『戻りたい』というサインに見えてしまう。

もちろん、嬉しくないわけじゃない。

ただ、心の整理がつかなかった。


「…………」

ヒロトは、少し考えてからスマホをタップする。


『覚えてるよ。あの時、ヒカリが選んだ場所、すごく綺麗だった』


送ってしまってから、ため息とともにスマホを伏せて、天井を見上げた。


胸の奥で、何かがまた揺れていた。

誰かの声と、小さな背中が――そこに重なって、消えていく。

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