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好きの手前と、さよならの向こう  作者: 茶ノ畑おーど
〇序章【始まりと予感】
32/108

2節~ほんの数秒のためらいに~ 17

カラオケ店の廊下に、わいわいと賑やかな声が響いていた。


赤みがかった絨毯と、どこか油っぽい壁紙のせいで、空気そのものが少しこもっているように感じる。


「はいはい、こっちが女子チームね〜!」


しおりが先頭を切ってドアを押し開けると、暖色系の照明に包まれた個室が現れた。


木目調のテーブル、赤とベージュの合皮ソファ、壁には控えめな防音パネル。

いかにもな雰囲気の部屋に、ちひろが我先にと駆け込み、奥のソファへ飛び込む。


「わーい! この席ゲット!」


「……歌う前から騒がないでよ、もう」


すみれが飄々とした口調で突っ込みを入れながら、スマホの画面を指先でスクロールさせている。


そのとき、廊下の奥からひときわ大きな男の声が響いた。


「えー!? なんで男女別なの!? せっかくのカラオケで男だけ固まるとか拷問じゃん!」


廊下に残っていた倉本の叫びだ。すかさず、面倒そうな低い声が返る。


「お前の歌はただの騒音だからな。いいから黙ってこっち来い」


「うわっ、ちょ、……引きずるな  俺は自由だー!!」


扉の隙間から、佐久間が倉本の背中を押し込むようにして連れていく姿が一瞬だけ見えた。

声だけが、遠ざかりながらもなお響く。


「絶対あとで部屋シャッフルだからなー! 約束だからなー!!」


その様子に、しおりがソファで吹き出した。


「……あれ? なんか、うちらより男子のほうがテンション高くない?」


「ほんとほんと。倉本先輩って、生きてるだけで笑える」


すみれがいつもの無表情で、さらりと毒を吐く。

部屋に広がる笑い声。硬さのないその空気に、空調の音までやわらかく感じられた。


そんな輪のなかに、キリカもひと呼吸置いてから加わった。

すっと腰を下ろし、軽く背を丸めるようにソファに身を預ける。


さっきまでの緊張が、まるで嘘のようだった。

自然と、唇の端が緩む。


「佐原先輩って……歌、うまいんですか?」


「ふふん、聞いて驚け! 私、会社のカラオケ王なんだから!」


「なにそれ、勝手に称号つけてるだけじゃん」


「すみれひどい~!」


ちひろがわざとらしく肩をすくめて見せる。

くだらないやりとり。でも、だからこそ気楽に聞いていられる。

キリカはつい、声を漏らして笑ってしまった。


「あっ、いま笑った! こら、明坂ちゃん、笑ったなぁ~!」


ちひろが嬉しそうに叫ぶ。キリカは、はっとして口元を押さえた。


「あっ、すみません……! バカにしたつもりじゃ……っ」


慌てたように繕う声に、しおりがソファにもたれながら、ゆったりとした口調で応える。


「謝らなくていいよ〜。笑われるために王を名乗ってるんだから」


「そうそう。ちひろの熱唱聞いたら、嫌なことなんか全部吹っ飛ぶよ?」


「明坂ちゃんにもマイク回すから、安心してね」


ちひろが言いながら、リモコンを手に取り、まるで当然のように選曲画面をいじり始めた。

その様子を眺めながら、キリカはふと気づく。


今、自分の名前が会話の中にあたり前のように混ざっている。

それが、とても不思議だった。


誰かと話すたび、無意識に呼吸を整え、タイミングを測っていた自分が、ここではただ座っているだけで受け入れられている。


そう思った瞬間、胸の奥で何かがゆっくりと解けていく感覚があった。

小さな炎が灯るような、温かさだった。

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