2節~ほんの数秒のためらいに~ 16
グラスの数が増え、話題も取り留めのない笑い話へと変わり始めた頃。
「さて……そろそろお開きかな」と、麻衣が腰を上げる。
「ん、もう帰るのか?」
ヒロトが声をかけると、
「うん、明日の午前、WEBミーティングでしょ? 中町くん寝坊するから、早めに帰って寝ないと」
麻衣が目を細めて言った。
「誰が寝坊だ。俺のが早起きだろ」
くだらない言い合いに、周囲が笑う。
その会話の横で、キリカの表情がわずかに揺れた。
「えっ……わ、私は……」と、声が漏れる。
その言葉にすぐ麻衣が気付き、笑顔を向けた。
「ああ、大丈夫だよ。中町くんとの軽いすり合わせだけだから。来週共有するし、明坂ちゃんは今日は楽しんでおいで」
「そうそう、たまには羽伸ばせよ」ヒロトも笑顔で言う。
それは、温かい気遣いだった。
それでもキリカの胸の奥には、ひやりと冷たいものが残る。
彼らの言葉に悪意がないことは、もちろん分かっている。
それでも、どこか自分だけが蚊帳の外に置かれたような寂しさを感じてしまう。
◆
店の外に出ると、自然と二次会組と帰宅組に分かれていった。
冷たい夜風が熱を奪い、街灯の明かりが少し眩しく感じる。
「じゃあ、また来週ねー! 気をつけてー!」
ちひろが手を振り、倉本が「おい、中町! 次は朝まで付き合わせるからな!」と叫ぶ。
ヒロトはあしらうように軽く手を振って背を向けた。
しおりたちもそれぞれ笑いながら、次の店へ向かう列に加わっていく。
その流れに、キリカも足を動かしかけて、ふと視線を横に向けた。
反対方向へと歩いていくヒロトと麻衣。
肩を並べて、楽しそうに話している。
いつものような、気心知れた同期同士のやりとり。
けれど今夜は、ほんの少しだけ距離が近い気がした。
肩が触れているように見えたのは、気のせいだっただろうか。
時折見せる笑顔も、なんだか優しすぎて、胸がぎゅっと締め付けられる。
わかってる。
あの人には彼女がいる。
麻衣とも長い付き合いだ。
自分とは、まだ一ヶ月も経っていないし、そもそもまともに話したのだって、今日が初めてで。
それでも、酔いのせいか、ほんの少しだけ、拗ねたような感情が芽生えてしまう。
「なんで帰っちゃうの……」
一緒にいてくれてもよかったのに。
最後まで、いてくれても。
そんな風に思ってしまう自分が、子どもみたいで恥ずかしい。
でも、気づけば視線は、歩き去るヒロトの背中をじっと追っていた。
「おーい、明坂ちゃーん!」
と。井口たちがこちらに手を振っているのに気づき、慌てて顔を逸らす。
ただ、視線のやり場がないまま、なんとなくしおりたちの後ろについて歩き出す。
「明坂ちゃん、行こー!」
ちひろが振り返って声をかける。
それに応えて、小さく頷く。
ほんの少しだけ足取りは重く、ほんの少しだけ、心がぐらついたまま。
二次会へ向かうキリカの中に、
さっきまでの『楽しい』だけじゃない、微かなざらつきが芽を出していた。