2節~ほんの数秒のためらいに~ 15
飲み会が始まってだいぶ時間が経過したが、ヒロトたちの席は、いまだに盛り上がりの最中だった。
「いやいや、俺の学祭の女装はマジで伝説だったんだって!」
「はいはい、分かりました。次はどんな嘘を重ねるんですか? 後夜祭のバンド演奏とか?」
「ちょっ、しおりさん!? 今のは嘘じゃなくて、ちょっとした記憶の歪み……!」
「その言い訳をしてる時点で嘘でしかない……」
「お前の過去の武勇伝、全部実行委員が止めに入ったで終わるんだよな」
「……佐久間さん、地味にトドメ刺すのやめてもらっていいですかね」
笑いが連鎖し、グラスの氷がカランと響く。
そんな中、ヒロトの手元のスマホが、小さく震えた。
ちらと画面を見て、彼はすっと眉を動かすと、さりげなくスマホを持ち直す。
他人には見えないよう、角度をずらして画面を隠しながら、指を走らせた。
キリカは、なんとなくその様子を目で追ってしまっていた。
誰からだろう、なんの用だろう。
そんな好奇心よりも――もっと小さな、でも確かな感情が胸に引っかかっていた。
ヒロトはふと、その視線に気づいて顔を上げた。
「ああ、悪い。定期連絡みたいなもんだ」
ごまかすように笑うその声に、キリカは慌てて首を振る。
「い、いえ! 私こそ……ジロジロ見て……すみません……」
ぺこりと頭を下げる。
少し熱を持った頬が、グラスの照り返しに照らされていた。
ほんの数秒、ふたりの間に言葉が止まった。
周囲の喧騒が遠くに霞んで、そこだけ小さな静けさが生まれる。
ヒロトは、キリカが無言でこちらを見ているのを感じた。
何を考えているのかは分からない。だが、その視線の奥に、かすかな揺れのようなものを感じた。
けれど、それが続く間もなく――
「おい! 恋バナか!? 恋バナなのか!?」
倉本が唐突に身を乗り出してきた。
「なのか!? なのか!?」
ちひろも、目をキラキラさせて手を叩いて騒ぎ始める。
「おいおい、黙ってたけど、今そういう空気だったよなぁ!?」
「倉本さん、うるさい」
しおりが冷静に指を立てて止めに入る。
「まってくれ! 怒られるのは中町のほうだろ!? 浮気はダメだぞ、相棒」
「……誰が相棒だ」
ヒロトは肩をすくめながら笑った。
「ほんと、バカばっかだな……」
ヒロトが苦笑する。
「……ふふ」
キリカの笑みは、小さいけれど、さっきより自然だった。
少しだけ、視線を落として――キリカが言った。
「……彼女さん、いるんですね」
「ん?」
一拍置いて、ヒロトは頷く。
「あー……まぁ、一応な」
「あ、そ、そうなんですね……」
言いながら、グラスの氷が舌の上で冷たく転がる。
ほんの少しだけ、胸の奥がきゅうっとなった気がした。
でも、その感情を自分でもまだ言葉にできるほど整理できていなかった。
そのやり取りを聞いていた麻衣が、隣で「やれやれ」とため息をついた。
「言い方が卑怯なのよ、中町くん……」
「うっせ」
再び笑い声が弾け、今度は「じゃあ彼女さんってどんな人!?」とちひろが本格的に恋バナモードに入ろうとして――
すみれに即座に口を押えられた。
「はい。あんたの恋バナ好きは分かったから」
「ふごぉ……」
くぐもった声でちひろが悔しがる。
ヒロトとキリカは、そんな一連のやり取りを見ながら、自然と、また笑い合った。