2節~ほんの数秒のためらいに~ 14
「じゃ、明坂ちゃんも合流したことだし――」
倉本が、いつになく張り切った声でグラスを掲げる。
「改めて乾杯いっときましょーかー!」
「はーい、倉本さん、音頭はちゃんとね~」
ちひろがにやにや笑いながら突っ込む。
「音頭っ……任せろ!」
「仕事はロクに任せられないのにな…」
佐久間が小声で突っ込み、すみれがコクンと頷く。
「ほんとですよ、リーダー適性ゼロですよ、倉本さん」
「えっ……今日は俺を貶す会なの?」
「今気づいたの?」
しおりまで笑いながら乗っかってきて、テーブルにはまたしても笑いが弾けた。
「じゃあ、改めて――プロジェクトの成功と、明坂ちゃんの加入を祝って、乾杯!」
「かんぱーい!!」
グラスが重なり、乾いた音が弾ける。
その音の中に、キリカはそっとグラスを差し出していた。
視線の端に、ヒロトと麻衣が何かを言い合っている姿が見える。
仕事の話かと思えば、ただのどうでもいい雑談だったようで、ふたりとも声を殺して笑っていた。
まるで親しい友人のようなやりとり。
佐久間の低い声がテーブルの空気を支え、すみれの皮肉が軽いスパイスのように効いてくる。
その隙間を、ちひろとしおりの明るい笑い声が埋めていく。
……不思議だ。
この空気は、どうしてこんなに温かいのだろう。
笑うことすら、こんなに心地いいものだったろうか。
楽しい。――心の底から楽しいと思えてしまう自分に、驚いた。
……私も、ここにいていいのかな?
そんなふうに思えたのは、今、この瞬間が初めてだったかもしれない。
「そういえば明坂ちゃんはさー」
ちひろの声に、キリカの背筋が反射的にぴんと伸びた。
一瞬、あの井口たちのやりとりが脳裏に蘇る。
けれど――
「倉本さんが次仕事でミスしたら、どんな罰ゲームがいいと思う?」
「へっ?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
「ちょ、ちょっと待って!? ミスすんの前提!? 罰ゲームも初耳なんだけど!?」
倉本が椅子を少し揺らしながらオーバーに反応し、テーブルには再び笑いが広がった。
「俺は、社員全員のキーボード掃除がいいな」
と、ヒロトがあっさり言う。
「なるほど。そりゃ社員全員から感謝されるし名案だな」
佐久間がグラスをくるくると回しながら、冷静に続ける。
「高森さんをさりげな〜く、名前で呼び捨てで呼んでみるとかは?」
すみれが言う高森とは、佐久間チームの紅一点の女子社員の名だった。
「えっ、それ業務に支障出ない!? 俺クビになるやつじゃん!?」
大げさにうなだれる倉本。
「高森さんは……確かに冗談じゃ済まなそうだよねぇ」
と、しおりが困ったように笑う。
そして、皆の視線が――自然に、キリカへと向いた。
「明坂ちゃんは?」
「え、私……?」
まさか、自分にも順番が来るとは思わなかった。
でも、逃げたくない。
この輪の中に、ちゃんと入っていたいと、必死に頭を回す。
「えっと……倉本さんには、次にミスしたら、えーと、毎朝玄関前で全社員に一発ギャグ……一ヶ月分……?」
「ちょっ……明坂ちゃんが一番鬼畜じゃん!! 俺のこと嫌いなの!?」
「えっ! そうですかね……? す、すみません……!」
オーバーに胸を押さえて倒れ込む倉本と、それを見て吹き出す一同。
「やるねぇ、明坂ちゃん」
すみれが、口元にだけ笑みを浮かべてニヤリとする。
「一発ギャグとは、まさかの攻め手だったね〜!」
「可愛い顔して意外と毒舌〜!? あはは、いいねいいね!」
「あ、いや、そういうつもりじゃ……」
笑いながら答えるキリカの表情は、どこかまだぎこちなさが残っていたけれど――
それでも、初めてこのチームで自然な笑顔を見せた瞬間だった。
その横顔を、ヒロトはふと見つめた。
いつもより少し柔らかく、でも少しだけ誇らしげに。
彼女が、自分の足で輪の中に歩いてきたことが、何よりも嬉しくて。
キリカの笑い声が、他の笑い声と混ざり合って、店内に、彼女にとっての新しい居場所が生まれていた。