2節~ほんの数秒のためらいに~ 5
「はいはい! 振ったとか振られたとか、飲み会で湿っぽい空気は厳禁!!」
場が落ち着きかけたその瞬間、倉本が立ち上がる勢いで声を上げた。
「ほら、中町! お前が悪い! 罰として飲め!」
「ふざけんな、お前が飲め」
「はい! 飲みます! すみませんでした!!」
威勢よく宣言すると、倉本は一気にグラスの中身を煽る。
喉を鳴らして飲み干す姿に、周囲からはどっと笑いが起きた。
「……なんだそのノリ」
「いやほんと、体育会系?」
「いやぁ、どっちかっていうと自爆系? でもちょっと笑っちゃったでしょ?」
ちひろが呆れながらも笑い、すみれは「空気読むのだけは得意だよね」と肩をすくめた。
「読んでるっていうか、濁してるっていうか……かき乱してるっていうか」
しおりの辛辣なひと言に、再び笑い声がテーブルを包む。
ほんの少しだけ沈みかけていた空気が、いつの間にか明るく戻っていた。
◆
「そういえば、進捗の件さ」
テーブルのテンションが落ち着いてきたころ。
その隙間を縫うように、ヒロトと麻衣の対面に座る佐久間が、ふと真面目なトーンに戻る。
「来週の提案、どこまで進んでるんだっけ?」
「構成は固まってます。ビジュアル案があと一段階必要ですかね」
ヒロトが答えると、しおりが記憶をたどるようにして確認する。
「……たしかに。プレゼン映えする構成にしたいなら、もう一手あると安心かもですね」
「ほ~ん。俺がやろうか? 中町の代わりに最終デザイン設計!」
「やめとけ。クライアントが絶対に不安になる」
「え〜!? 俺の『ゆるフワ地球くん』がダメだって言うんですか!?」
「当たり前だろ、商品が水処理システムなんだぞ」
「いやいや、水と地球って親和性高くない!?」
「倉本さんが言うと説得力ないです」
と、ちひろが吹き出す。
「でもまあ、真面目にやるなら、イラスト案もちゃんと詰めたいね」
すみれが落ち着いた声で続けると、麻衣がうんうんと頷いた。
「そのへんは後で調整するとして……あ、そうだ」
麻衣がヒロトのほうを向いて、少しだけ真面目な声になる。
「企画書、明坂ちゃんに任せていい? 本人もやる気だったし、勉強させたくて」
ヒロトは一瞬だけ眉を上げた。
「……量、多くないか?」
「まあね。量自体はあるけど、内容的には明坂ちゃんなら大丈夫かなと思って」
「そうか……」
手元のグラスをくるりと回しながら、ヒロトは少しだけ考える素振りを見せた。
けれど、その目にはすでに答えがあるようにも見える。
「ああ、いいんじゃないか? 今回のクライアントは馴染みのとこだし、よっぽどのことがなきゃ平気だろ」
「うん、そう思ってた。じゃあ、よっぽどのときは、助けてあげてね。……先輩?」
「……あいつが素直に頼ってきたらな」
麻衣が「ふふっ」と笑う。
ヒロトも、それに小さく笑い返す。
「おっ、中町! いまちょっといい空気出たよ!? このまま恋バナ展開いくか!?」
「いかねぇよ。飲んどけ」
「はーい! 飲みまーす! おかわりお願いしまーす!!」
すぐさま店員を呼び始める倉本に、今度は佐久間までが「調子いいな、こいつ」と笑って肩をすくめた。
にぎやかな笑い声のなか、ヒロトは再び、テーブルの奥――
あの空いている席に、最後のチームメンバーが座っている光景を想像した。
今は、別のテーブルで笑っているその子が、同じ輪にいてくれる日が来るのかどうか。
「……まあ、素直になってくれたらな」
口に出さず、もう一度だけ心のなかで繰り返した。
その夜の飲み会は、まだ始まったばかりだった。