2節~ほんの数秒のためらいに~ 2
会場となったのは、繁華街にある広めの居酒屋だった。
貸し切りではないが、プロジェクトチーム数組で予約していたため、
奥の大テーブルがいくつか並んだ半個室のスペースがまるごと使えるようになっていた。
壁で完全に仕切られているわけではない。
それでも、テーブル同士に視線が届くのは立ち上がったときか、体を傾けたときくらい。
開放感のあるフロアなのに、不思議と死角が多い――そんな空間。
「お、明坂ちゃん!」
すでに到着していた井口が、店の入り口近くでキリカを見つけて声をかけた。
「もう来てたんですね」
「そっちも一人? 女子たち、もう来てるよ。こっちこっち」
案内されたテーブルには、キリカと前のチームで共に働いていた女子社員たちがすでに何人か座っていた。
にこやかに手を振ってくれる彼女たちに、キリカもほっと息を吐いた。
空いた席に腰を下ろし、ドリンクメニューを開いた瞬間。
周囲の笑い声が一気に耳に広がってくる。
隣では石井が無駄に元気よく乾杯の練習を始めていて、
女子たちはそれを「もう酔ってるの?」と笑い飛ばしている。
その輪の中で、キリカも、自然に笑った。
◆
その頃。
ヒロトは、プロジェクトの主力メンバーたちが集まる別のテーブルにいた。
麻衣、ちひろ、すみれ、しおり。
そして数人の男性陣。
あくまでプロジェクトの中心メンバー席という名目だったが、いつの間にかお馴染みのメンツのようになっていた。
「……あれ、明坂ちゃん、まだ来てない?」
しおりがテーブルを見渡しながら尋ねる。
「来てない、ってことはないと思うけど……」
すみれがスマホで時間を確認しながら答える。
「中町くん、見た?」
麻衣が問うと、ヒロトは眉をひそめながら周囲を見回した。
「……いや、俺も見てないな」
そのとき、ヒロトの視線が、少し離れたテーブルの端で誰かが笑っているのを捉えた。
茶色い髪をまとめた女子数人の間に、小柄な姿がひとつ。
笑っているのは、間違いなくキリカだった。
その隣には井口の姿。
「……いた」
ヒロトがぽつりと呟く。
麻衣もその視線をたどって、小さく目を見開いた。
「あら……そっちに行ってたんだ」
「……」
「ま、いいけどね。別にどこ座っても自由なんだし。……でも、ちょっと意外かも」
ヒロトは答えず、グラスを軽く持ち上げた。
自分の隣の席。
今もそこには、キリカのために空けておいたスペースがあった。
「それじゃあ、みなさーん、そろいましたかー!」
誰かの声が場内に響いた。
店員が乾杯用のグラスを配りはじめ、ぞろぞろとドリンクが並び始める。
「じゃあ、プロジェクト成功を願って――」
「かんぱーい!」
一斉にグラスが打ち合わされる音。
冷たい炭酸の泡が弾ける音。
笑い声と、ざわめき。
キリカはグラスを持ったまま、どこか遠いテーブルのほうを一瞬だけ見た。
そこに、自分の名前を待ってくれる人たちがいるのは――
ほんの少しだけ、分かっていた。
でも今は、それを見ないふりをした。
笑っている自分のほうが、居場所があるように見える気がしたから。
けれど、それはきっと――誰かの隣にいないことで手に入った、仮のぬくもりだった。