1節~初めまして、よろしくお願いします。~ 15
「……まただ……」
モニターを見つめるふりをしながら、キリカは自分の胸の奥が、じわじわと熱くなるのを感じていた。
先ほどの会話。
ヒロトが、わざとらしいほど雑談を振ってきたあの時間。
分かっている。
仕事とは関係ないって、分かってる。理由なんかない。あれはただの優しさだった。
「仕事に関係ありますか?」
吐き出した瞬間、自分でも分かった。
先輩社員に対して、失礼というレベルじゃない。仕事にだって支障をきたすほどの酷い態度。
ヒロトの顔が、ほんの少しだけ動いた気がした。
だけど何も言わず、彼は静かに引いていった。
「……バカみたい」
そう叫びたかった。
誰も自分を責めてないのに。
ちゃんと手を伸ばしてくれてるのに。
それをはね除けてばかりいるのは、自分のほうだ。
優しさが、怖い。
見透かされるのが怖い。
仕事に専念することしか、自分には誇れるものがない。
だから、誰かの前で甘えたり、弱音を吐いたりするのが、たまらなく下手だった。
遠くのテーブルから、笑い声が聞こえてきた。
ちひろ、すみれ、しおり――あの3人が、楽しげに話す輪の中心には、ヒロトがいた。
自分のことを話してるんだろうな、と、なんとなく分かった。
ヒロトの横顔。
すみれが静かに何かを言って、しおりが笑って。
ちひろがこっちをちらりと見て――
「……!」
とっさに顔をそらした。
ちひろの手が、おいでおいでと招いていたのが、視界の端に見えてしまったから。
……せっかく、きっかけをくれたのに。バカじゃないの?
自分の中のどうにもならない部分を、もう一人の自分が責める。
一度でも、素直に手を伸ばせば、きっとあの人たちは受け入れてくれる。
それくらい、分かってる。
でも、自分のなかの安い意地が、それを許してくれなかった。
期待されることに応える自信がない。
でも、期待されないのも、耐えられない。
ぐっと、奥歯を噛んだ。
「……はぁ」
自然と視線が、少し離れた席にいた井口たちのほうへ向く。
そこには、何もない。
期待も、気負いも、責任もない。
くだらない話。適当な相槌。ちょっとした冗談。中身のない雑談。
それだけで成り立つ、浅い関係。
本当は、心が温かくなることなんてひとつもない。
でも――その温度のなさが、いまは妙にちょうどいいように思えてしまった。
『そんなことしてても、意味ないし、いつかきっと後悔するよ』自分の中で自分が囁く。
『分かってる。黙ってて』強い言葉で、無理やりそれをかき消す。
ほんとうは、欲しいものがどこにあるのか分かってる。
でもそこに行くには、自分の中にあるものを壊さないといけない。
その覚悟が、まだ足りなかった。
明るい笑い声が、遠くから届いてくる。
その輪の中に、入りたいと思った瞬間を――
キリカは自分で、静かに打ち消した。
※夏休みなので、8/1~8/16までの間、【12:30】と【20:30】の1日2回更新になります。
(8/12はお休みです)