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好きの手前と、さよならの向こう  作者: 茶ノ畑おーど
〇序章【始まりと予感】
12/88

1節~初めまして、よろしくお願いします。~ 12

『……ふふっ』


電話の向こうで、ヒカリが柔らかく笑った。

その音が、ノイズまじりに耳の奥をくすぐる。


「……なんだよ」


『ううん。……ひろくんの声だ〜って思って』


「そりゃ……違ったら怖いだろ」


『だよねぇ。ふふふっ』


なんてことのない会話。

それだけなのに、やけに嬉しそうな声だった。


懐かしいやりとり。

柔らかい笑い声。


電話越しでも、彼女の顔が浮かんでくる。


声のトーン、呼吸の間合い、言葉の選び方――全部が変わっていない。


聞けば聞くほど、胸が詰まって、息がしづらくなる。

そう思うのに、電話を切る勇気は出なかった。


「……実はさ、最近、ちょっと困ってることがあって」


ヒロトがようやく口を開いた。


「部下のことで、イマイチうまくいってなくてさ。注意すれば反発されるし、何も言わなければ空気が重くなるし。

……なんか、俺のほうが気を遣いすぎてるのかなって気さえしてくるんだよ」


ヒカリは少しの沈黙のあと、穏やかに口を開く。


『うーん……。その子、すごく不器用な子なんじゃないかな』


「……そうかもな。悪気があるわけじゃないのは分かる。

仕事もできるし、筋はいい。でも、噛み合わないというか。俺の言葉が、全部届いてない気がしてさ」


『……そっか』


ヒカリは、ゆっくり言葉を噛んで続ける。


『ひろくんって、雑に見えてほんとはすごく真面目だよね。相手のこと、ちゃんと見ようとするし、うまくやろうって思ってる』


「……そうかもな」


『でも、自分から距離を詰めるのは、ちょっと苦手。……でしょ?』


「……ああ」


『だから多分、相手も戸惑ってるんだと思うよ。どこまで許されるのか、どこまで近づいていいのか。それが分からないから……変に強がるしかなくなっちゃうんだと思う』


少し間を置いてから、ヒロトはふっと息を漏らすように呟いた。


「なぁ……もしかしてさ。俺が『強がられてる側』って話じゃなくて──

実は、俺が『強がってる側』だって言いたいのか?」


『ふふ。さあ、どっちだと思う?』


ヒカリは笑って、曖昧に首を傾げた。

けれどその声には、確かに『答え』が滲んでいた。


ヒロトは黙ったまま、目を閉じた。

ヒカリの声が、楽し気な柔らかい笑い声が、静かに染み込んでくる。


「……今度、飲み会があってさ」


ヒロトがふと話題を変えるように言ったとき、ヒカリの声のトーンがほんの少しだけ変わった。


『……そうなんだ』

心配そうな、でもどこか遠慮の混じった反応。


『……飲み過ぎちゃだめだよ』


言葉に棘はなかった。

ただ、それが自分にはもう、言う資格のないことだと分かっているような――そんな声音だった。


「……ああ、気をつけるよ」

ヒロトの返事も、どこか苦笑を含んでいた。


ヒカリはそれ以上、何も言わなかった。

ただ、カップに指を添えたまま、目線を落とす。


その沈黙が、やけに長く感じられた。

距離が近すぎた頃には気づかなかった『間』が、今はあまりにも静かに、そこにある。




「助かったよ。悪かったな、こんなことで」



時刻は既に二十二時を回っていた。


そう言って、スマホの画面を見ながら、ヒロトは通話を切ろうとした。

けれど――その直前、ヒカリの声が重なる。


『ううん、全然! ……でも、ね。もうちょっとだけ……』


ヒロトの手が止まった。

画面に浮かぶ赤いボタンに、指が触れる直前だった。


『もうちょっとだけ、ひろくんとお話したいな』


甘えるような声だった。

でも、そこにはどこか、寂しさがにじんでいた。


それを聞いた瞬間、ヒロトは心臓がぎゅっと握られるような感覚に襲われた。


ずるいな、と思う。

それでも、無碍にできないのは、自分がまだ――


……いや。

考えかけて、ヒロトは静かに息を吐いた。


「……わかったよ。俺だけ頼み事っていうのも、フェアじゃないしな」

『ふふっ。やったぁ。ひろくん、優しいもんねっ』


――優しい。


その言葉が、今の自分にとって本当に当てはまるのか、ヒロトには分からなかった。


ただ、電話の向こうで、ヒカリの笑い声が静かに響いていた。

柔らかく、昔のままの響きで。


その夜は、いつもより少し長く、少し静かに――更けていった。



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