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第八話「アレクセイ・ユージン」

挿絵(By みてみん)

セントラル・デッキは先ほどまでの喧騒がまるで嘘の様に閑散としていた。


サブスクリーンにスイングバイ終了までのカウントダウンが着々と刻まれていたが、もはや注意を向ける者は誰もいない。


それほど「アマミヤ博士失踪」の件はエクソダス・アームダにとって致命的な出来事になっていた。


いくらリルが最新の人工超知能だとしても、あくまでもその性能を引き出すのは人間の仕事、開発者であるアマミヤ博士の類まれな方向付けがあって初めて効果を発揮するものであって、今のエクソダス・アームダは頭を失った大蛇と同じ様なものに成り果てていた。


完全に路頭に迷ってしまった船団の責任者達は、この先、アマミヤ博士がどの様な展望を持っていたのかを調査する為、リルのプログラム解析に没頭していた。


各船団共にデータの解釈を討議したり、アマミヤ博士個人のプロファイルを検討したりしていたが、実の所は相手に出し抜かれない様に牽制し合っているのが実情であり、それは旗艦ノアズアークでも同じ様なものだった。


「それだけじゃありません。クルーガー保安統括官が言っていた事。反乱分子の存在はやはり無視出来ないと思われますが…」ミランが心配そうにゼノンに聞いた。


「分かっている。だが武器の所持や持ち込みは人間は原則禁止だ。軍関係の者であっても例外ではない。万一に備えて先導船に当たるスイユウには武器庫が完備されているが、これを使用するには全船団の7割の承認を得なければならない。


この船は戦艦ではないのだ。武器と呼べる物はせいぜいリトルドッグのスタンスパイクくらいだろう。だがあれで人は殺せん。暴動が起こっても空間的に封鎖するフェイズ・ロック機能もある。


そんな中で反乱や武装蜂起が果たして叶うものか。完全に不可能ではないにしろ私はそこまで心配はしていないよ。」事もなげに、鼻を鳴らしながらゼノンは言った。


「そうですか…」若干不満そうなミラン。


「しかし反乱分子が存在している事自体を無視する訳ではない。あいつに言われるまでもなくリルのリスクアセスメントには内紛に関する事柄も含まれている。


お前は知らなかっただろうが炙り出しも元々計画のうちだったんだ。実行する。それも早いうちに。」


「…ローウェル技師の件はどうされますか?」少し遠慮がちに尋ねるミラン。今度はやや顔をしかめたものの、ため息を吐いた後「今コア・デッキにいる。リルのメンテナンスをしているはずだ。」視線を逸らしながらゼノンはボソッと呟いた。


「メンテナンス?」ミランは怪訝な表情になった。


「リルは分散型のサーバーです。方舟ごとにメインサーバーを保有していて、仮にノアズアークのサーバーがダウンしても他の船でバックアップが取れる様になっています。


更に自律的な自己修復機能を備えているのでほとんどメンテナンスの必要がないんです。打ち上げ直後の今なんか尚更、する理由がないですよ?」

その言葉を聞いてゼノンは固まった。


「リル!ローウェル技師を呼び出してくれ!」ゼノンの反応を見て即座に命ずるミラン。


「応答がありません。」リルの無機質な返答。


「コア・デッキの映像を出せ!」ゼノンが怒鳴る。コンソールのサブスクリーンにコア・デッキ内のサーバールームの映像が映し出された。


サーバールームは、まるで無機質な氷の洞窟のように静まり返っていた。


天井から床まで、壁一面にびっしりと敷き詰められたCPUラックが幾何学的な秩序を保ち、冷却ファンの低いうなり声が微かに響く。薄く漂う冷却剤の匂いが画面を通して伝わり、まるでこの空間が機械だけの生態系であることを主張しているかのようだった。


純白の床は光を反射し、天井に埋め込まれた細長いLEDライトが、整然と並ぶ機器の影を長く引き伸ばしていた。サーバーのランプは不規則に明滅し、無数の電子の鼓動が可視化されたようにちらつく。青、緑、赤の光点が、不気味なリズムで部屋の白を侵食していく。


天井近くでは、黒い飛行型ドローン「リトルバード」が静かに滑るように移動し、監視カメラが彼らを追うようにゆっくりと首を巡らせていた。


リトルバードは一定間隔で通路を巡回しながら、細いアームを伸ばしてケーブルの接続を点検する。羽音ひとつ立てずに旋回するその様は、まるでこの船の神経系を流れる白血球のようだった。


床から天井へと這い上がる無数のケーブルは、あたかも人工の血管のようにサーバー群を繋ぎ、室温管理されたこの空間の中で、ひそかに情報の血流を巡らせている。


この空間には、人間の痕跡が一切なかった。人の声も、足音も、息遣いもない。ただ機械だけが、機械としてそこに存在していた。まるで、人間が不要になった世界の縮図のように。  


「いない…様ですね。」目まぐるしく切り替わる映像を確認しながらミランが言った。

ゼノンのこめかみに汗が一雫流れた。「リル!エレナを出せっ!」コンソールを叩いてゼノンが吠える。「応答がありません。」同じ答えを繰り返すリル。


「探せっ!見つけ出すんだっ!」更に強く手の平をコンソールに叩きつけて繰り返し言った。

船内に設置された無数の監視カメラの映像が表示され、エレナの足取りを追った。


セントラル・デッキを出てからエレナはシャトルポッドに乗っていた。コア・デッキは46階に位置していたが、ポッドはそこを通り過ぎ、更に階下を目指す。


「どこへ向かっている?」ゼノンは食い入る様に画面を見つめていた。程なくして映像は28階で降りるエレナの姿を映し出した。


「ここは…」「28階。クライオニクス・デッキ。冷凍保存施設ですね。」ミランも眉をひそめて画面を見つめている。


エレナが向かった先は人体冷凍保存施設だった。方舟級宇宙船は全船、人体を冷凍保存する設備を設けており、遺体やクローン素体をそこに収めていた。


そして必要に応じて取り出し、必要に応じた「処理」をしていた。その後アグリカルチャー・デッキやバイオスフィア・デッキに必要に応じた部位を送り届ける役割を果たしている。


その施設内でエレナはとある装置の前で佇んでいた。一見、人型を模した棺桶の様な装置。炭素繊維強化プラスチック製の真っ白な筐体には顔に当たる部分に丸い窓が据え付けられている。170cmのエレナより上背のその装置の窓を見つめ続けていた。


「あれは…エシカライザーか?」ゼノンが聞いた。

「そうですね。起動している様です。」画面から目を離さずにミランが答える。


エシカライザーとは、主に遺体やクローンを解体する為に作られた全自動食肉加工処理機である。皮剥、カット、消毒、廃棄物処理等、全てをこれ一台で賄える。


衛生面での管理が重要な為、それ以上に感情的に受け入れ難い作業の為、特定の資格を持った作業員「生活必須職従事者」しか入れない、この施設に設置されている。


心理的距離を置き、この機械の事を公の場で話題にする事はタブーとされていたがほとんどの人は影で「フードプロセッサー」と呼んでいた。


「何をしているんだ?」

「扉を開けようとしています。」見るとエシカライザーの前面部が観音開きの様に開放されていた。様々な角度に取り付けられた回転刃が内部で鈍く光っている。


「何をしているんだ!」

「中に入ろうとしています!」2人の声が怯えた様に掠れ気味になった。「や、やめろ、エレナ!やめろっ!」ゼノンの叫びは1人の男の登場によってかき消された。


「オツカレサマデース!!!」勢いよくセントラル・デッキに入ってきたその人物は快活な挨拶を艦橋全体に響かせながらゼノンの方に颯爽と歩み寄ってきた。今感じている緊迫感とのあまりの落差にギョッとして振り返るゼノンとミラン。


近づいてくるのは長身痩躯の魅力的な中年男性だった。


アレクセイ・ユージン。ロシア人。50代。元ISMO長官。現エクソダス・アームダ福利厚生総監。全方舟間の調停役として、あらゆる課題や摩擦等、運用面でのトラブルを一手に引き受けている。そんな役割ではあるが、もともと彼は方舟に乗らない事を公言していた。


特に乗船権を獲得していた訳でもなかったが、地球に残り、虐げられた人々の為に自身の政治生命を捧げる事を声高に叫んでいた。


ところが、ISMO所属の上位候補者たちが戦死、病死、事故死と立て続けにキャンセルとなり、本人の意に反して順番が巡って来てしまい、乗らざるを得ない状況に陥ったのだった。乗船の際、彼は人目を憚らず号泣していたという。


しかし今の彼は実に活力に満ちた様子で、スーツ姿が宇宙船内の無機質な照明の下でも一際異彩を放っている。濃紺の生地が肩にピタリと沿い、シワひとつない。


カフスから覗く白いシャツは清潔感を放ち、ネクタイの結び目はまるで計算された芸術品だ。その上に乗る顔には更に芸術的に完璧な笑顔が張り付いていた。


「おっと。すみません。お取り込み中でしたか。」笑顔のままアレクセイは言った。


ハッとしてゼノン達は画面に目を戻す。するとそこにはもうエレナの姿はなかった。

「巻き戻せ!」ミランがリルに命じたがゼノンがそれを制した。黙って首を振っている。それからアレクセイに声をかけた。


「これは首相。こんな所までご足労願わずとも、お声がけ頂ければこちらから出向きましたものを。」

「よして下さい。今の私は一介の交渉人です。その様なお気遣いはあまりに過分ですよ船長。」完璧な笑顔のままアレクセイは続けた。


「ただ、その交渉人としては少々気になる話を聞いたもので、出来れば船長のご意見を伺いたいと、こうして参った訳なのです。」


「…アマミヤ博士の件ですか。」


「その通り!話が早い!」完璧な笑顔のアレクセイ。


「この壮大な計画の発起人が行方不明という事は、今後のスケジュールに多大な影響を及ぼす。船団のリーダーとして、どの様なお考えをお持ちなのか。是非とも伺っておかねばと馳せ参じた次第なんですよ。」


「その件なら目下、全力で捜索中です。しかし計画や予定について何ら変更はございません。当初の目的通り、火星を目指します。」


「そうですか。なら結構。ただ…他の船の状況はいかがです?まとまっているのでしょうか?」


「確かに意見が割れているのも事実です。ですが首相のお手を煩わせるまでもありません。計画は粛々と進行中です。ご安心下さい。」


「素晴らしい!いや正直に打ち明けますと、実はよくない噂を耳にしたものですから、若干憂慮すべき事態になってはいないかと、差し出がましいのは重々承知なのですが具申申し上げようかと思っていた所なのですよ。」笑顔を全く崩さずアレクセイは言った。


「…よくない噂とは?」


「船団の中に、反乱分子が紛れているというものです。」


「それはどこでお聞きになったのでしょう?」


「いやそれはもうそこかしこで。上級居住区域などは皆その話しかしていません。特権階級にとって反乱分子とは言わば天敵です。生まれが良い、稼ぎが良いと言うだけで一体どれほどの優良無垢な人材が容易く命を奪われた事でしょう。この度の戦争は真に無益な戦争だった。

よろしいですか?


特権階級とはまさに現代社会におけるサステナブルなエコシステムの頂点に君臨する存在であり彼らのエシカルな影響力は我々のソーシャル・キャピタルを飛躍的に向上させるカタリストと言えるでしょう。彼らはインクルーシブなビジョンを具現化しサーキュラー・エコノミーの精神を体現することでリソースの最適化とレジリエンスの強化を同時に実現しています。そのトランスフォーマティブなリーダーシップは単なる物質的豊かさを超えウェルビーイングのパラダイムを再定義するのです。彼らのディスラプティブなイノベーションは凡庸な日常にパラダイムシフトをもたらしステークホルダー全体に対するホリスティックな価値創造を加速させます。まさにアジリティとインテグリティを兼ね備えた彼らこそが次世代のフューチャープルーフな社会をデザインするビジョナリーなのです。特権階級の存在はエンパワーメントの具現であり彼らが放つシナジーは我々下層のマインドセットをアップリフトしコレクティブ・インパクトを生み出す原動力となるでしょう。彼らなくして現代のイノベーティブでダイナミックな文明は成り立たないのです。」


「…なるほど。大変よくわかりました。」無表情のまま、心にもない事を言うゼノン。


「反乱分子につきましては我々も聞き及んでおりました。しかし確認が取れておらず不確定な情報で首相のお気を煩わせる事もあるまいと伏せておりましたが…いやはや。何もかもお見通しですな。」


「私でお役に立てる事があれば何なりと申しつけて下さい。」


「お気持ちだけで結構。首相に危険な真似はさせられない。ただ…。」


「ただ?」


「そうですね。それでは首相が特に信頼を置く人物には、用心する様触れて回って頂きますか。万が一にもあり得ない事ではありますが、用心に越した事はない。」


「分かりました。お言い付け通りに致しましょう。確かに、今はチャレンジングなフェーズですがコラボレーションのパワーでレジリエントにブレークスルーできるはず!私もコミットメントを持ってアクションアイテムがあればサポートしますよ。それでは!」そう言ってアレクセイは入って来た時と同じ様に颯爽とセントラル・デッキを出ていった。


「全く。相変わらずだな。」嘲笑する様に言った後「だが、あいつは使えるかもしれん。」ゼノンは呟いた。


「反乱分子の炙り出しですか?」


「そうだ。あいつは中立でクリーンな政治を売りにしていたがその実態は単なる日和見主義者だ。選抜者と非選抜者両方にいい顔してたろ。


それがどうだ!あれだけ方舟には乗らないと豪語してたのにあの変わり様!透明性もいき過ぎると二枚舌が透けて見えるもんだな。


だが。だからこそ利用価値がある。今からあいつは根回しに駆けずり回るぞ。リル。あいつが接触した人物を逐一報告しろ。」


「了解しました。」


「首相が接触した人物が、反乱分子の可能性があると?」ミランがまた聞いた。


「火星に着くまでの半年間があいつにとっての勝負だろう。反乱分子、アマミヤ信者、第三勢力、全ての派閥に唾をつけ、天秤にかける。さて、どんな最適解を導き出すのか見ものだな。」鼻を鳴らした後、少し弁解する様な口調でゼノンは言った。


「…エレナの事は私個人で処理する。すまんが預けてもらえないか?」


「…分かりました。何れにせよ2時間後には結論が出ます。各方舟の取りまとめは私にお任せください。」


「うむ。私は少し席を外す。1時間経って戻らなければ呼び出してくれ。」


「了解。」


ゼノンは出ていった。その寂しげな後ろ姿を見て、ふと「天秤にかける…か。」無意識にミランは呟いていた。


**************************************************


シャトルポッドの停車場は無人だった。

アレクセイは一旦周りを見回してから口元を手で覆ってこめかみに埋め込まれたナノフォンのスイッチを押した。


「私です。返事はいりません。そのままお聞きください。近いうちにバーニング・フラッグの構成員があなたに近づいてくるはずだ。何を言うか見当はつくと思いますが、全て受け入れてください。話に乗るのです。そうすればあなたが求めていたものに辿り着ける。今度はどこにも行かない様に。」そう言ってスイッチを切る。


完璧な笑顔はいつの間にか邪悪なうすら笑いに変わっていた。


**************************************************


12階、プライマリー・リアクター。

ノアズアークの奥深く、闇に包まれた下層部に位置する、方舟の心臓とも言える重力炉。それはまさに漆黒の聖域そのものだ。


周囲の壁、床、そして天井は、錆びついた黒い金属と強化コンクリートで覆われ、絶えず漂う薄明かりさえもその凛とした黒に溶け込んでいく。


このリアクターは、断熱圧縮重力炉として設計され、船内の推進力とエネルギー供給の源泉として機能している。内部は、無数の黒光りする配管やケーブルが絡み合い、まるで未知の生命体の神経回路のように蠢いている。


金属の表面には、長年の熱と圧力の跡が刻まれ、過去の激しいエネルギー放出の記憶が暗闇の中に浮かび上がる。


中央には、唯一際立つ光――青みがかった微光が、歪んだ鏡面のようなコア部を照らし出す。そこでは、断熱圧縮のプロセスにより、膨大な熱エネルギーが内包された状態となり、常に臨界寸前の緊張感が漂う。


まるで宿命の時が刻一刻と迫るかのように、周囲の温度と圧力が見えざる手によって引き締められ、爆発の一歩手前で静かに凍りつくかのようだ。


この闇の中で、仮にリアクターが暴走し、エネルギーの爆発が引き起こされれば、断熱圧縮重力炉の内部で発生した正のエネルギーに対し、カシミール効果によって局所的な負のエネルギーが生み出される。


その瞬間、黒く閉ざされた空間が一転して不気味な輝きを放ち、時空さえもねじ曲げるような破壊と再生のプロセスが幕を開ける。


エクピロシス計画の要となる場所までやって来たエレナだったが、心は別の事を考えていた。


「消える前に願い事言わなきゃなんないとかってズルくない?」あの子は言っていた。


「ずっとそこにあれば良いのにね。」私は答えた。


「そうだよ。叶えられるんなら叶えられるまでそこにいなくちゃ!」あの子は笑って言った。


握った手の温もりが感じられるほど、記憶がより鮮明になっていた。


「この場所のせい?」エレナは声に出して言った。そうして何か決意を固めた様な表情をするとその場を離れ、最後の目的地、46階「コア・デッキ」に向かった。


揺らぎが今、一つの線として繋がろうとしている。


                   第九話に続く


*今回の引用元「ルー語大変換」(2007年の語録集)

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