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第七話「マックス・ブレナン」

「エレナ?エレナ・ローウェル?」今度は面食らった様な顔をするゼノン。むしろ気まずい表情をしていた。


「そうです。アマミヤ博士の右腕とも呼ばれる助手。リルの共同開発者。そしてアマミヤ船長。あなたの愛人でもありますよね?」もう気を使う必要はなくなったとでもいう様にヴィンセントは本来持ち合わせている悪意を曝け出して言った。


「あなたとエレナ・ローウェルの関係は周知の事実です。今さら隠さなくても結構。しかし事実だからこそ、少々厄介な話になってるんですよ。」

「何だと…」またしても身を震わせるゼノン。


「私のインサイトには、アマミヤ博士とは逆に、エレナ・ローウェルに関する履歴が一切見つからないんです。いつ乗ったのか。何の為に乗ったのか。全く白紙なんです。ナノタグの反応すらない。


私のインサイトは絶対に不正を見逃さない。なりすまし、IDのハッキング、密航者等、何かしら不正をしていれば必ず引っかかる。


しかし彼女が確かにいたという証拠は監視カメラの映像記録。それだけなんですよ。それもアマミヤ博士の痕跡が消えた後。唐突に現れているのです。


そこで船長。あなたにまた伺いたい。エレナ・ローウェルの乗船権はあなたが準備したものですか?」まるで自分は答えを知っているとでもいう様な顔つき。


「何が言いたい?」


「誤解しないでください。この船の乗員は全員何かしら、幼児であっても、人手なしの手段を使ってこの船に乗っている。


いや分かってます!誰だって後ろめたい事の一つや二つあるもんですよ。そこを攻めてるんじゃあない。


よしんばエレナ・ローウェルがあなたの愛人だからと言ってあなたが手を回して座席を余分に確保していたとしても、この船内にいる人間だったら誰も文句は言わないでしょう。


ただ。問題は。アマミヤ博士の失踪と同時にID不明の人物が現れたって事なんです。


もし。エレナ・ローウェルも先程私が言った様な反乱分子だったとしたら。船長。あなたは非常に不味い立場に立たせられる事になるでしょう。」そう言ってヴィンセントはまた一息ついた。それからゼノンの顔を覗き込む。


意外な事にゼノンは苦笑いをしていた。


「なるほど。言いたいことはわかった。」そう言って深く椅子に座り直すと「その件なら心配ご無用。彼女は第一候補者だ。元々乗船権は持っていた。私とは何の関わりもない。


ナノタグが反応しないのは今そちらが言った様に故障の可能性もあるのかも知れない。反乱分子?だったとしても、それも私とは関係のない事だ。むしろヴィンセント保安統括官。その場合それは、今となってはあなたが対処すべき問題ではないのか?」


お互い腹の探り合いでもしているのか、沈黙が続く。

「…良いでしょう。時間がない。許可も頂いた事ですし私は上級居住区域を調査します。」先に口を開いたヴィンセントは軽く会釈するとそのままセントラル・デッキを出ていった。


彼が出ていった後、鼻を鳴らしてゼノンが言った。

「副長。」

「はい。」

「火星に着いたらな。」

「はい。」

「あいつを殺そう。」

「………。」


**************************************************


ヴィンセントはシャトルポッドの振動を感じながら、窓の外に広がるノアズアークの内部構造を見つめていた。


セントラル・デッキを出た後、手近な搭乗口から待たずしてポッドに乗り込み、10階下の上級居住区域「ハイ・ガーデン」を目指していた。


全長1000mにも及ぶこの宇宙船は、50層のフロアで構成され、都市と変わらぬ広大な空間が広がっている。低層は労働者やメンテナンス要員の居住区、中層は生産工場や農業プラント、そして最上層は操縦、指令系のデッキと特権階級のための豪奢な居住区域になっていた。


ポッドが減速し、セキュリティフロアに到着する。ここを通過しなければ、上級区画へは進めない。扉が開くと、無機質な白い空間が広がっていた。


壁には無数の監視カメラとスキャナーが埋め込まれ、床には細かなセンサーが張り巡らされている。入口に立つと、傍らのモニターからリルが呼びかけた。


「認証プロセス開始。身分証を提示してください」


無機質な声が響く。ヴィンセントは手の甲に埋め込まれたナノタグをリーダーにかざした。青い光が走り、リルが即座に彼のデータを照合する。


「ヴィンセント・クルーガー、認証完了。目的地を確認——ハイ・ガーデン、エグゼクティブラウンジ、アクセス承認。正常な体温です。」


彼の背後で、別の利用者が止められる音がした。「ID照合エラー。追加認証が必要です。」誰かが慌てて弁明している。ヴィンセントは視線を逸らし、そのまま前に進んだ。セキュリティゲートを抜けると、そこはまるで別世界だった。


挿絵(By みてみん)


巨大なガラスドームの天井からは、人工的な青空が広がり、心地よい微風が吹き抜ける。芝生が張り巡らされた地面には小川が流れていた。


洒落たカフェのテラス席では、エレガントな服装の男女がくつろいでいる。道行く人々は皆、上級国民らしい余裕を漂わせ、急ぐ者はほとんどいない。彼らの衣服は仕立ての良いものばかりで、どこかしらに個人認証用のアクセサリーが光っていた。


ヴィンセントは、この区域の監視システムの仕組みを知っていた。表向きは厳重なセキュリティが敷かれているが、実際には特定の条件を満たせば監視の目をかいくぐることができる。


上級国民であれば、ある程度のプライバシーが保証されるのだ。その為か、道行く人、テラス席の人、皆口々に言いたい事を言い合っていた。


「アマミヤ博士が行方不明らしい。」

「殺された可能性がある。」

「反乱分子が乗り込んでいる。」

「エクソダス・アームダは統率がとれていない」


合同会議での一悶着はもう既に噂として広まっているらしい。

そんな人々を尻目にヴィンセントは真っ直ぐ目的の場所を目指した。

エグゼクティブラウンジは広場の奥にあった。


重々しい木製の扉を手で押し開けると、空間全体がまるで静かに鼓動しているかのような重厚な空気に包まれた部屋に入った。足元には、深いボルドー色のカーペット。絹と羊毛を織り交ぜたそれは、歩くたびに足裏を吸い込むような柔らかさを持ち、ほとんど無音である。


天井は低めに設計されており、間接照明の柔らかな光が、琥珀色の影を壁に揺らめかせている。シャンデリアなどの華美な装飾はない。代わりに、燻した真鍮のランプが各テーブルに配され、控えめに光を落としている。


バーカウンターは、黒檀で作られた一枚板の見事なものだ。手を触れれば、長い時間をかけて磨き上げられた木肌のなめらかさが指先に伝わる。その背後には、琥珀色、深紅、透明な液体が並ぶ。


ロマーノ・レヴィのグラッパ、マッカランの50年、ルイ13世のコニャック……どれも一見してその価値を理解できる者のために用意されたものばかりだ。バーテンダー型のロボットが無駄口を叩かず、客が何も言わなくとも最適な一杯を差し出す。


椅子はすべて一級のフルグレインレザーで仕立てられ、深く腰を沈めれば、そのまま身体が吸い込まれていきそうな座り心地。肘掛けは漆黒のローズウッドで、手に触れるたびに、どこか静かな威圧感すら覚える。


カーテンは分厚いベルベット製で、このラウンジには窓が一つも存在しないにもかかわらず、外界を完全に遮断するかのように壁の一部を覆っている。


この部屋にある唯一の「窓」と呼べるものは、一枚の絵画だ。


ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』。


静謐なラウンジの中で、本物だけが持つ異様な存在感を放つそれは、ほの暗い光に照らされ、今まさに肉片を噛みちぎる狂気の神の姿を浮かび上がらせている。


この部屋を訪れた者が誰であれ、必ずその視線は引き寄せられる。そして、しばしの間、目を背けることができなくなるのだ。


贅を尽くした内装に、ヴィンセントは内心吐き気を催していたが、無人のラウンジの奥のカウンターに目当ての人物を見つけると、そっと近づいていった。


「ブレナンさん。初めてお目にかかります。私はヴィンセント・クルーガー。ノアズアークの保安統括官を務めています。」


そう声をかけられて振り向いた人物は、とてもこの場に相応しいとは思えない、見窄らしい風体の老人であった。


マックス・ブレナン。60代。男性。アメリカ人。元アメリカン・ウェブ・ポストのニュースキャスター。かつて「アメリカの正義」と称えられた事もある典型的なポピュリストで、その攻撃的な弁舌は多くの保守派の支持を得ていた。


だが今、ヴィンセントの目の前にいる人物はまるで別人であった。くすんだ眼、無駄に伸びた無精髭、着古した時代遅れのスーツ。


一体いつから居るのか。身体中から酒の匂いを漂わせていた。完全に酩酊状態である。

「誰だ。」呂律の回らない口調でマックスは聞いた。


「ヴィンセント。クルーガー。保安統括官です。」もう一度、ゆっくり名乗るヴィンセント。「あなたにお聞きしたい事があるんですよ。」


断りもなく隣のスツールに腰を下ろすと、バーテンダーの注文をあしらってマックスの方へ身を乗り出した。途端にマックスは嫌悪感を露わにした。


「勘弁してくれ!こんな所に来てまで笑いものにする奴がいるだなんて!」席を立とうとするマックスを押し留めてヴィンセントは言った。


「待って下さい。私はあなたの信奉者です。いや信者と言っても良い。あなたの番組は私の指針だったんです。」


「それはすまなかったな!がっかりさせてしまって!」


「とんでもない。私はあなたの力になりたいんだ。あのアマミヤ博士の一件。あれは私も非常に悔しい思いをしているのです。」


アマミヤ博士と聞いてマックスは気色ばんだ。


「そうだな!結局彼女は正しかったんだ!彼女の言う通り宇宙は死に向かっていた!環境問題なんか関係なかったんだ!そもそも温暖化と寒冷化は自然のサイクルだって説もあるそうじゃないか!私の様な老害が古臭いプライドだけで何を語った所で所詮自然の摂理には敵わないんだよ!満足かっ!」


「ごもっともですブレナンさん。あなたの憤りは我が事の様に受け止められます。しかし何故、あなたはこの船に乗ったのですか?」そう聞かれて途端にマックスは口をつぐんだ。


「それは…」


「いえ。結構。仰らなくても察しはつきます。あなたはあなたの人生を狂わせたアマミヤ博士に対して強い恨みを抱いている。違いますか?」


「いや…私は…」


「結っ構っ!ここは上級居住区域だ。何を話しても構いませんよ。現に今、ここは、いや、ここだけじゃない。エクソダス・アームダ全体がアマミヤ博士失踪の話題で持ちきりなんですよ!」


「何…アマミヤ博士が…?」


「ご存知なかったですか。そう!この壮大なエクピロシス計画の中心人物、あのアマミヤ博士が消えてしまったんです!」更に身を乗り出すヴィンセント。


「実はね。これは誰にも言ってない事なんですが、アマミヤ博士がどこで消えたかはわかってるんですよ。28階のクライオニクス・デッキです。そこでナノタグの反応が消えている。1ヶ月前の話です。それ以降誰もアマミヤ博士と会ったという人物が現れていない。


これが何を意味するか分かりますか?これはね。チャンスなんです!あなたが!あなたのプライドを取り戻す!またとない!絶好のチャンスなんですよ!」ヴィンセントの眼が異様な光を帯びてくる。


「何を言ってるんだ…」


「先程も申し上げた様に私はあなたの信者だ。ひょっとするとあなた以上にあなたの事を知っているかも知れない。第三次世界大戦の火付け役となったあなたの活躍ぶり!忘れもしませんよ!『国民よ立て!』あなたの番組であなたが言った言葉!」ヴィンセントの勢いに飲まれ、マックスの酔いはすっかり覚めていた。


「計画は動き出している。今さら止められない。それはアマミヤ博士が居ようと居まいと関係ない。


まぁ足並みが揃うかどうかは甚だ疑問になりつつありますが、いずれにしろ何隻かは火星に辿り着くでしょう。リルの導きによって。


いいですか?ここがポイントです。」大きく息を吸い、先を続けるヴィンセント。


「リルの導き。アマミヤ博士抜きでも計画は遂行されるのです。あのAIによって。分かりますか?我々人類の未来は。AIに委ねられたのです!あの!単なる計算機に!許されますかそんな事!」言いながらヴィンセントは自分のタブレットを取り出して振りかざした。


マックスは今や恐ろしささえ感じていた。この狂人は何を言おうとしているのか。


「アマミヤ博士は死んだとも噂されています。正直、その噂を流したのは私なんですけどねここだけの話。ハッハッハッ!


それはともかく実際生きてても死んでてもどっちでも良い。『今ここにいない』!これこそが天啓なのです!」目はマックスを凝視したまま、タブレットを操作し始めるヴィンセント。


「いくら優秀な計算機でも!入力する者がいなければただのガラクタだ!方向性を示す者がいて初めて!正しい答えを出力するのです!


ブレナンさん!それをあなたにお願いしたい!今一度!正しい道を!正しい人類の在り方を!あの人工超知能を使って!我々に示して頂きたい!」


「な、何を言ってるんだあんた…」


「乗っ取るんですよノアズアークを。いや!エクピロシス計画そのものを!そして真に正しい人間だけを!火星へと誘うのです!


…実はね。他の船にも私のシンパがいます。あなたの決断を待っています。さあ!我々と共に!立ち上がりましょう!あの頃の様に!」


目をぎらつかせ、唾を飛ばし、操作を完了したタブレットの画面をマックスに突きつける。そこにはノアズアークに配備されているリトルドッグ全ての制御を掌握した事を示す「コンプリート」の文字があり、その下には「エグゼキューション」のボタンが赤く点滅していた。これはつまり「処刑」を意味していた。


「…あ、あんた…何者なんだ…」


誰もいないのにわざとらしく周りを見渡してから「待ってましたよ。そう聞かれるのを。」囁く様にヴィンセントは言った。


「私はね。『バーニング・フラッグ』の構成員なんです。」


**************************************************


ポッドに乗って移動している最中、エレナは口の中に血の味が広がるのを感じた。いや、それは記憶が呼び起こされただけだったのだが、それを引き金として過去の記憶が鮮明に蘇ってきた。


機動隊と群衆の衝突。そこへ突っ込んでくる車。激しい銃撃戦。人混みを突っ切る一台のバイク。燃える日本国旗。そして…


胸が締め付けられる様な感覚に陥り息が乱れる。

「これが…私の記憶…」汗ばんだ額を拭い、湿った手を少し不思議そうに見つめるエレナ。

シャトルポッドは更に下層を目指していた。

               

                第八話に続く

*今回の引用元「スノーピアサー」(2013年の映画)

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