第六話「ヴィンセント・クルーガー」
「トウコが…死んだだと?」初めて狼狽の色を見せるゼノン。それは、冷徹で傲慢な男が見せる嘘偽りのない表情だった。
「その可能性があると言ったんです。」対照的に無表情のまま答えるヴィンセント。
ヴィンセント・クルーガー。保安統括官。40代。白人男性。アメリカ人。
ノアズアークの保安システムの最終決定権を握る唯一の人間。
方舟の保安システムは基本的に全てロボットが担当している。防犯対策用としてビッグドッグの小型版リトルドッグ、それと救急、監視用として飛行ドローンのリトルバードがそれに当たる。
それらの運用、管理、メンテナンスは全てリルが担当しているのだが、実行に際しての承認を出すのはヴィンセント1人の裁量に任されていた。これは地球時代に就いていた彼の職務が影響している。
ヴィンセントは国家保安機関に所属し、大規模な監視ネットワーク「インサイト」を管理していた。犯罪者の取り締まりと称し、反社会的な人物を排除する仕事をしていたが、実際には政府や特権階級の意向に従い、敵対勢力や反政治団体を消していた。
性格はズル賢く、ルールを捻じ曲げることに長けている。買収、脅迫、証拠の改ざんを平然と行い、気に入らない者を冤罪に陥れることも厭わない。
方舟に乗ったのも、自分の立場を維持する為。選ばれた上級国民の一員というわけではなく、彼らの「用心棒」としての役割を自ら買って出た結果、乗船の権利を勝ち取っていたのだった。
更に、船内ではすべてが自動化されており、保安部門の人員は極端に少ない事を利用し、ロボットに命令を出すだけで、自分の意思が法になるという状況を作り上げていた。
「ロドリゲス技師の報告を受けて、私も独自に調べてみたんです。」そう言って持っていたタブレットをゼノンに見せた。
「インサイトのシステムをこっちでも引き継いだんですよ。ノアズアークの乗員10万人分のデータがあります。いつ乗ったのか。今どこにいるのか。
ナノタグが発する9G電波、監視カメラの映像、インサイトによる行動解析から全てがリアルタイムで把握できています。見える範囲では。」
「何だその『見える範囲』と言うのは?」
「監視カメラは個室やシャワールームには設置されていない。また、生体チップの電波も遮断されている区画があります。」
「上級居住区域ですね。」ミランが答える。
「そうです。ノアズアークの上層階は政治家、財界人、軍高官その他特別な権限を持った人物がいる区画です。もしそこにアマミヤ博士がいるんだったら、私の推測が間違っていたと言う事で済む。が、それはないと私は思っています。」
「何故だ。」
「理由がないからですよ。エクピロシス計画の中心人物が、その一大事業の真っ最中に、どうして雲隠れする理由があるんですか?それも1ヶ月前から。」
「1ヶ月前?!」ミランは目を向いて驚いた。
「まさか乗ってないとか…」ゼノンの様子を伺いながらヴィンセントに確かめる。
「いえ。それもありません。アマミヤ博士は確かに1ヶ月前、このノアズアークに乗りました。ナノタグの履歴と監視カメラの映像が残っています。間違いありません。博士は確実に船に乗った。そして、姿を消したんです。」
「だったら、亡くなったというのは…」ミランが尋ねる。
「乗った以上、必ずどこかに反応、もしくは痕跡が残るはずです。インサイトはリルとは別のサーバーで構築した独立したAIです。私が開発した。そのインサイトが見つけられないんです。上層階以外の場所で。
ナノタグの故障は無論考慮したとしても人1人が、いや、ただの人じゃない。地球の運命を左右する『あの』アマミヤ博士が誰の目にも止まらないというのは、この船内では、異常な事、です。」
「で、何なんだ!死んだという根拠はっ!」ゼノンが苛立ちを抑えきれず怒鳴り散らした。
「死んだ」という言葉に、それまで騒然としていた会議が一瞬にして静まり返った。マヌエルも、ショウランさえも目を見開いて、黙ってこちらを見ている。
周りの様子を改めてからヴィンセントは少し声を大きくしてゼノンに言った。
「初めに断っておきますが私はアマミヤ博士を支持しています。まぁアマミヤフィーバーからなんでニワカと呼ばれれば否定は出来ませんけどね。でも、信者と言っても良い。そこのロドリゲス技師の様に。」名前を呼ばれて顔を引きつらせるマヌエル。
「ところで船長。この上級居住区域にいる乗員は全員『一次候補者』ですか?」ヴィンセントの問いに、ゼノンは苛立ちが先に立ってしまって口を震わせる事しか出来ない。代わってミランが答える。
「一次候補者、つまり最初に選ばれた人かと言うのであれば、全員がそうではありません。中には辞退した方もいて、空いた席を埋める為に、言わば『繰り上げ当選』で乗っている方がいます。」
「その通り。選ばれた人しか乗れない船に選ばれていない人がいるんですよ。それは一体どんな人か?」
「さっさと結論を言えっ!」ゼノンの苛立ちは頂点に達していた。しかしまるで聞こえていないかの様に、探偵が推理を披露するが如くヴィンセントは続けた。
「アマミヤフィーバーは確かに凄かった。エクピロシス計画の発表後の世界を思い出してください。救世主の降臨、神の具現化、表現は様々でしたが正に熱狂でしたよ人類は。
だけど光ある所には必ず影が刺す。人々が熱狂すればするほど、反対派の行動も過激になっていった。
メディアジャック、暴動、自爆テロ。最終的には方舟もろとも上級国民は全滅すれば良いと、世界大戦まで引き起こした。事態を憂いて我が国の大統領は方舟に乗る事を辞退しましたが、その空いた席に誰が収まったと思います?
あのAWPのアンカー、マックス・ブレナンですよ!覚えてますか?2年前の彼と博士の対談、いやあれは公開処刑だった。彼の番組に招待された博士は、そこで彼にクソミソに罵倒されまくってた!嘘つきだの、詐欺師だの、散々言われてたが、博士もただでは終わらなかった。
初めて『方舟』の事について言及したんだ!それからですよ!世界が熱狂したのは!アマミヤフィーバーの始まりです!
一方!自分の番組で大恥をかかされたブレナンはどうなったか!大転落人生!
典型的なポピュリストだったはずが逆に自分が叩かれる側になり、番組は終了。降板。かつての仲間は手の平返しでガン無視。救いの手も差し伸べない。
妻に逃げられ子供達とも絶縁。全てを失った彼は路頭に迷う事となった。そうして行き着いた先が反政府団体『バーニング・フラッグ』です。
彼はそこで、表立っての発言こそしなかったが、確実に、非選抜者を煽動していった。その結果が『第三次世界大戦』です。」ついてきているか確認する様に一息入れるヴィンセント。
「そんなバカな…」愕然とするミラン。
「妨害工作をするなら打ち上げ前に破壊工作なり何なりすれば良い。しかし宇宙に出てもまだ名乗り出さないのは何故か、その意図は分かりません。
いずれにしろこの船にはアマミヤ博士に深い疑念と恨みを持つ人物、いや!複数の人物いや!もう反対勢力と言っても良いでしょう!エクピロシス計画の脅威となりうる存在がこの船に乗っているんです!確実に!
そして博士がいなくなった!これは何を意味するのか!誘拐!監禁!しかし何らかの声明、要求の類は事ここに至っても一切ない!つまりこれはもう殺害!死体は処分!それしかない!
恐ろしい!全くもって恐ろしい悪の組織!そんな恐ろしくも謎の計画を阻止する為にも!その悪事を暴く為にも!ブレナンには直に話を聞かなければならない!
だから船長!上級居住区域の調査をする許可を頂きたい!」
一方的に捲し立てるヴィンセントに対し、怒りと混乱が収まらず身を震わせるしか出来ないでいるゼノン。代わりにミランが答える。
「い、いやちょっと一旦リルのチェックリストを確認させて下さい。いくら何でもそんな物騒な連中、リルが見過ごす筈がない!」
そう言ってコンソールに向き直ろうとしたが「待ってください!」ヴィンセントに制止される。
「先程の会議でも言われていた様に、リルは信用できない。何らかの改ざん、もしくは隠蔽行為を行なっています。これも間違いない。」
「いい加減にしろ!全部アンタの推測じゃないか!」ミランまで激昂する。
「推測、確かにそうです。しかしもう私1人の推測では済まなくなっていますよ?」そう言ってスフィア・ホログラムを指差す。
振り返るとさっきまで展開していた会議場が消えていた。全員退席していたのだ。
今までのやり取りは全て聞かれていた。聞こえなかった部分も巻き戻して唇の動きを読ませていた。そして会話の真偽を検証をする為、それぞれの船でのファクトチェックが始まっていた。
「スイングバイ終了まで後3時間。それまでに解決しないと船団は個々に決断してバラバラの行動をとりますよ。」相変わらず無表情のヴィンセントであったが底知れない悪意は感じ取れた。
「アマミヤ博士が…殺された…?」茫然とするミラン。
「待て。まだそうと決まったわけじゃない。」
冷静さを取り戻してゼノンが言った。「だがクルーガー保安統括官の話も無視できない。」
「ヴィンセントで結構。」
「………クルーガー保安統括官の要望を受け入れよう。上級居住区域の調査を許可する。但しあまりにも時間がなさすぎる。彼の言う通り後3時間しかない。そんな短時間で事態が好転するとも思えんが少なくとも白黒ははっきりするだろう。
この船内に反乱分子がいるかいないか。調査の目的はそこだけに絞ってもらう。アマミヤ博士の居場所に関してはこの際後回しだ。分かったな。」有無を言わさぬ調子でゼノンは一息で喋った。
「もう一つあるんですがね。」サラッと言うヴィンセント。
「まだあるのかっ!!!」ゼノンとミランが同時に言った。
「インサイトに引っかからない人物がもう1人いるんですよ。」
「誰だそれは!」ゼノンがうんざりして聞く。
「リルの開発技術顧問、エレナ・ローウェルです。」
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エレナは14階のリソース・リザーブまで降りてきていた。ここは水、酸素、食料等を貯蔵する倉庫である。
リソース・リザーブは、ノアズアークの中核を担う物資貯蔵エリアであり、完全に無人の空間だった。ワン・ショウラン博士の指示のもと、リルが一括管理しているが、物資の運搬はリトルドッグによって自律的に行われている。
エリア全体は広大な倉庫のような構造を持ち、床から天井までびっしりと積み上げられたコンテナが整然と並ぶ。
各コンテナには識別コードが刻まれ、物資の種類ごとに分けられていた。食料、医療品、修理用パーツ、酸素ボンベ、水のリサイクルフィルター等、生命維持に不可欠なリソースのすべてがここに蓄えられている。
室内は冷たく静まり返っており、人工照明が機械的な白い光を投げかける。天井のセンサーが動きを感知すると、必要なエリアのライトだけが点灯し、使用されていない区域は闇の中に沈む。
壁面にはデジタルパネルが埋め込まれており、リルがリアルタイムで物資の状況をモニタリングしている。
天井のレールに沿って、リトルドッグ が滑るように移動する。赤いライトが明滅し、物資の積み下ろしを行うたびに短い電子音が響く。
リトルドッグ同士が干渉しないように、リルが緻密に動線を計算しているため、すべての動きが流れるようにスムーズだった。
ただし、リソース・リザーブには人間が立ち入ることを想定した設備はない。酸素濃度は最低限に抑えられ、温度も極端に低い。物資を長期保存するための環境が最優先され、人の快適性は考慮されていなかった。
出入口は厳重なロックで守られ、リルの認可なしに開くことはない。万が一、無許可のアクセスが検知されれば、警告が発せられ、リトルドッグが即座に排除モードへと移行する。
しかしここもまたエレナはチェックをスルーして入室していた。リソース・リザーブの中枢を司るメインモニターに話しかける。
「準備は?」
「完了しております。既にノアズアーク全体に行き渡りました。」無機質な声でリルが答える。
返事を聞いてエレナは部屋を出ていった。室内の酸素濃度は6%を示している。
第七話に続く
*今回の引用元「エリジウム」(2003年の映画)