第五話「マヌエル・ロドリゲス」
全ての方舟が周回軌道に乗り、隊列を形成していた。
それはまるで1匹の巨大な蛇の様な姿に見えた。地球の周囲を這う大蛇。
これからこの船団「エクソダス・アームダ」は地球の重力を使ったスイングバイで火星への軌道に乗る事になる。
第一段階をクリアし、次のステップに進む為、旗艦「ノアズアーク」に乗船しているエクピロシス計画のリーダー、トウコ・アマミヤ博士を議長とする船団全体の合同会議が開催されようとしていた。
スイングバイ終了のタイミングやその後のスケジュール等を確認する予定になっていたのだが…
「アマミヤ博士がいない!?」副長のミラン・カシムが大声を上げた。
会議の進行役を務める方舟の設計者、マヌエル・ロドリゲスの報告内容に思わず同じ言葉をオウム返しに繰り返してしまった。
「どういう事ですか!具合が悪いとか?」
「いや、言葉通りです。見つからないんです…」青ざめた顔で答えるマヌエル。
「さっきリルに監視カメラ全ての映像を確認させましたが…どこにも…いないんです…呼び出しにも応じないし…」
マヌエル・ロドリゲス。30代。男性。スペイン人。
彼は方舟級宇宙船の設計の一切を任された航空宇宙技師である。材料の選定やモジュールの構成、推進システムの設計等を全て1人で賄っていた。
これほどの規模の宇宙船をたった1人で、いくら完全自動化された工場とは言えわずか10年で完成させたのには、ひとえに人工超知能「リル」の存在が欠かせなかった。
アマミヤ博士が開発した人工超知能「L.I.L」(リミナル・インテリジェンス・リンク)は従来の量子コンピュータを遥かに上回る処理能力を誇り、マヌエルの仕事といえばロボットに方向性を示す為のプロンプトを入力するだけで事足りていた。
それだけで良かったのだが、いわゆる「アマミヤフィーバー」で彼女の信者になっていたマヌエルは、より成果を上げようと、リルに宇宙船建造スケジュールの微調整を組み込んだ。
コストを安く見積もって予定日を意図的に短縮。足らなくなった物資は本来、飢えと寒さで苦しむ人々に与えられるべき所から流用し注ぎ込む事を繰り返していた。
驚異的な速さで建造が完了したのはこういった改ざんや横領を続けた結果だったのだが、その陰で、資源不足が加速し、虐げられた人々がいた事は無視されていた。
「見つからないって…そんな事…」と言いながらゼノンの顔色を伺うミラン。
「何だ。私は知らんぞ。あいつとはもう1ヶ月くらい顔も合わせておらん!」憮然とした表情で答える。
「1ヶ月ですか?」
「打ち上げの準備があると言って、あいつは先に乗船していたんだ。それっきり、今日に至るまで口も聞いていない。」
「そ、そういうもんですか…」二の句が告げないミラン。「…そうだ!ナノタグの反応は…」
ナノタグとは全人類が出生時または一定年齢で手に埋め込むことが義務化された個人認証チップの事であり、銀行口座、医療記録、移動履歴まで一括管理できる。
船内ではリルと連動しており、行動制限、アクセス権限の根拠にもなる。脱着・書き換えは不可能。無理に取り出そうとすれば自壊するシステムである。
ミランの問いかけに「時間です。」被せる様にしてリルの声がセントラル・デッキに響く。スフィア・ホログラムが拡大され大講義室の形に変形する。階段型に展開された机には、各方舟の船長やエクピロシス計画の責任者が総勢100名以上座っていた。
「始めよう。」鼻を鳴らしてゼノンが言った。
「アマミヤ博士の件は体調不良にしておけ。」相変わらず憮然とした表情。
マヌエルもそれを受けてホログラムを見渡した。
「定刻になりましたので、これより合同会議を始めます。その前にアマミヤ博士ですが…」
「ちょっと待ってくれ。先に言わねばならない事がある!」マヌエルの言葉を遮って1人のホログラムが発言した。
「我々の船は打ち上げの際に衝撃で船体全体に歪みが生じてしまった。このままでは火星までの航行が不可能になる。アマミヤ博士の見解を聞きたい!」
「あれは?」ゼノンの問いに「スヴァローグの船長、ミハイル・ディミトリです。」即答するミラン。「ああ、バイコヌールの。」
「はい。そのアマミヤ博士ですが…」
「航行不可能であれば、私どもも報告があります!」別のホログラムが立ち上がる。
「最終チェック時に明らかに燃料不足である事が発覚しました!データ改ざんの形跡も見つかっています!これは一体どういう事なのか!」
「あれは?」「ラートリーの技術顧問、シン・プロトンです。」「知らん。」
「燃料に関しましては実際の消費量は少なくなる計算になっております。方舟は全て『断熱圧縮重力航法』を採用しております。燃料を極限まで圧縮して重力場をブーストする技術です。
船の前で時空を歪めて重力の坂を作り、そこに滑り落ちていく様にして進みます。歪みのせいで船内の時間経過も遅くなります。ですから燃料が不足する事はございません。」
「いや!待ってくれ!我々の船はそもそも強度が保たないと言ってるんだ!最初から火星に行く気なんてなかったんじゃないのかとさえ思える構造なんだぞ!」ミハイルが割り込む。
「火星到着予定は6ヶ月後です。今こちらでも確認いたしましたがリルの試算によればその期間内でなら問題はないとなっております。」
「そのリルが信用出来ないんだ!改ざんの形跡があると言っただろ!」シンが喚く。
「アマミヤ博士はどうしたんだ!」「結論が出なくても私たちは独自に火星を目指します!」「いやそもそもこんなので火星に行けるのか?!」「一旦地球に戻らないか?」堰を切った様に100人のホログラムが口々に意見を言い出した。
あまりの喧騒ぶりに慌てるマヌエル。
「お、落ち着いてください!リルの試算に問題はありません。アマミヤ博士は体調不良で欠席しておりますが、後ほど回答をまとめて送信いたします!」震える声を絞り出して皆をまとめようとする。
「後ほどっていつだ!スイングバイ終了は3時間後だろ!」
「私だけではお答えいたしかねる事柄もございます!」
「あんた何の為にそこにいるんだ!」
「うるさい!アマミヤ博士の頭の中にしかない事だってあるだろ!」
「だから何でお前はそこにいるんだって聞いてるんだっ!」
「つまみ食いした奴をここへ連れて来なさいっ!私が直々にフードプロセッサーの中に叩き込んでやるっ!」ショウランまで会議に乱入して来た。
混乱をまとめる事が出来ずマヌエルは大量の脂汗を流したまま押し黙ってしまった。
「ISMOの広報官がいただろ。あいつを連れてこい。口が上手い。」ゼノンがミランに耳打ちした。ミランがどう対処すれば良いのか逡巡している所へまた1人、デッキ内に入室して来た。
その人物はそのままゼノンのそばまで来ると小声で言った。「船長。お話があります。」
保安統括官のヴィンセント・クルーガーだった。
「次から次へと…今度は何だ!」イラついた様子を隠す事もなく一瞥するゼノンだったが「アマミヤ博士の事です。」と言われ途端に向き直る。
「何だ!」ヴィンセントは一瞬ミランの顔を見たものの、意を決して言った。
「亡くなっている可能性があります。」
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エレナは28階のクライオニクス・デッキまで降りてきていた。
ここは主に人体冷凍保存施設が備わった場所である。
扉の前に立つと側のモニター型リルが何の認証も行わず扉を開いた。そのまま中に入って行くエレナ。
クライオニクス・デッキは、冷たい静寂に包まれた広大な空間だった。視界の端まで続く無数の保存ポッドが整然と並び、青白い冷却ガスがわずかに漂っている。空気は乾燥し、鼻腔を刺すような鋭さがある。その中をノーマルスーツで進む。
天井は高く、冷却装置のパイプが無機質な銀色の光を反射しながら張り巡らされている。壁際には定期的に蒸気が吹き出す冷却ユニットが並び、機械音だけが微かに響く。
中心部には、上級国民の冷凍睡眠ポッドが列を成して並んでいる。透明な耐熱ガラス越しに、彼らの静かに眠る姿が見える。肌は氷のように青白く、かすかに霜が付着している者もいる。ポッドには名前や身分が記され、いくつかには「優先起動」のマークがついている。
一方、奥の区画にはクローン素体が保存されている。未完成の肉体が透明な培養液の中に浮かび、ぼんやりとしたシルエットを形成している。まだ意識を持たない彼らの体は機械的な生命維持装置と直結し、ゆっくりと成長を続けている。
さらに別のエリアには、培養肉の素材や各種種子が保存されているセクションがある。培養肉は一定の大きさごとに分割され、冷凍カプセルに収められている。種子は金属製のコンテナに密封され、火星移住後の農業計画に備えて分類・管理されている。
壁際にはメドベッドの設備が並び、万が一の解凍時に備えている。リルによるモニタリングが常に行われており、ポッド内の状態をリアルタイムで解析しながら、異常があれば即座に処置できるようになっている。エレナはとある装置の前で立ち止まった。
エシカライザー。人型を模した、棺桶の様な装置。彼女が手をかざすと本体が観音開きの様に開放され、中身が露出した。無数の回転刃が剥き出しになっている。
「血の匂いがする…」内部は完璧に洗浄されていたが、つい最近使用された事は間違いなかった。エレナは一瞬、自分もここに入りたい気持ちに襲われた。
「これも…記憶…?」額に手を当てて何事か思案している。
室温はマイナス51℃を指していた。
第六話に続く
*今回の引用元「インターステラー」(2014年の映画)
【後書き】
「ネット小説は初速が大事」と聞いたもんで、初投稿として続けて5話までアップしました。
今後は定期的に1話ずつ上げていく予定です。
もしもお気に召しましたら引き続きお付き合い頂きたく。
先読み考察、ネタバレ予想、大歓迎w
よろしくお願いいたしますm(_ _)m