第四話「ワン・ショウラン」
「Tプラス10秒、エンジン出力正常、スラスター作動中です。」 「高度8キロメートル、速度時速500キロメートルに到達。」 乗組員の報告がセントラル・デッキ内で飛び交う。
「最大動圧域通過、機体への最大空気抵抗をクリアしました。」 「高度20キロメートル、ブースターロケット分離の準備に入ります。」 程なくしてブースターが切り離されたが、振動は全く感じられなかった。
そもそも初めから高速エレベーターが上昇する程度の浮遊感しかなく、船内はとても巨大宇宙船の打ち上げ中とは思えない静かさであった。
念の為、ハイガーデン・デッキのイブラヒムの様子もワイプ表示で中継されているが、変わらずシャドウズに囲まれて食事を続けているところを見ると彼も不具合を感じてはいなさそうである。
「高度80キロメートル、カーマンラインを通過しました。宇宙空間に突入です。」 「重力推進波エンジン始動、軌道投入に向けて加速中です。」
「スクリーン展開!」ゼノンが命じる。すると左右の壁が全面スクリーンに切り替わり、正面の映像と一続きになる。眼前には広大な宇宙空間が広がっていた。
ノアズアークは窓が全くない作りになっていたが、各デッキの壁はどこも任意でスクリーンに切り替えることができ、いつでも外の景色が眺められる様に作られていた。
知らない人が操作したら突然宇宙に放り出された様な感覚に陥るほどの臨場感だが、ほとんどが初めての宇宙飛行となる乗組員達は冷静に作業に没頭していた。
今、そのスクリーンにノアズアークと同じ方舟級の宇宙船が数隻映り込んでいた。各国でほぼ同時間帯に打ち上げられた船が、衛星軌道上で合流し始める。ノアズアークはその列の最後尾についた。
「エクソダスアームダ。チェックイン・レポートを開始。各船、プロトコル・デルタで応答せよ。」リルが船団に点呼を呼びかける。
エクソダスアームダとはこの船団の名前であり、この呼称が使用されると旗艦に当たるノアズアークを中心に船団内での最新情報の相互伝達が一斉に始まる。
セントラル・デッキの中央に表示されたスフィアホログラムに合計100隻の方舟の詳細なステータスが表示され、リルが倍速で読み上げる。
「アルカディア004、稼働率93%、人員異常なし、補給率78%」
「イシュタル021、稼働率100%、通信系統異常あり、補給率86%」
「エデン033、稼働率79%、船内騒擾発生、死者1名、補給率92%」
一直線の隊列を整えながら各宇宙船の現在の状態が報告される。
「エウクレイデス040、失敗。」
「イザナミ048、失敗。」
「プロメテウス056、失敗。」
「ヘカトンケイル064、失敗。」
「ガルガンチュア087、失敗。」
「オメガアポフィス002、自爆。」
「5隻が打ち上げ失敗ですか…」ミランが神妙な顔でデータを確認する。
「94%成功だろ?上出来だ。」鼻を鳴らすゼノン。
「すぐ合同会議だ。リル。資料をくれ。」
「はい。船長。」ゼノンのコンソール上にバーチャル会議用のホログラムディスプレイが展開した。と、その画面に血相を変えた人物が割り込んできた。
「食料の数が合わないっ!」劣化の如く怒り散らすその人物は生物学者のワン・ショウランだった。
40代。女性。恰幅の良い中国人。
クローンや人体強化技術の専門家であるが、彼女の活動のほとんどは富裕層に対する美容整形や延命治療等、金稼ぎの為にのみその才能を注力しているというのが実態で、しかもその技術研究の為に、非人道的な遺伝子操作や人体実験を繰り返していた為、生物学者と言うよりは倫理観の欠如したマッドサイエンティストとしてもっぱらの評判であった。
エクピロシス計画の際、富裕層の口利きで彼女も方舟に乗れる権利を得ていたが、さすがに上級者待遇を受ける事は出来ず、専門職として船内での役割を与えられていた。それが「食料リソース管理」である。
方舟にはそれぞれ「ハーベスト・デッキ」や「アグリカルチャー・デッキ」等、農業系のスペースが設けられており、ある程度の自給自足体制が整えられているが非常にタイトな設計の為、生産スケジュールや在庫管理は方舟そのものの航行管理よりも重要でシビアだった。
その責務を嫌々請け負った身としては、イレギュラーな事態は絶対に許されないものだったのだ。
「記録が改ざんされている!現物と数が合わない!初っ端からこれじゃ話にならないわ!」ショウランの顔面は紅潮して丸い顔が更に膨らんでいた。
「ワン博士。落ち着いてください。今から合同会議です。その件も議題に上げましょう。」またしても慇懃に対応するゼノン。
「どうせ特権階級区域の誰かでしょ!ここでもまだ自分だけは特別だと思える人間がいる事自体、この計画が破綻してる事の証拠だわ!先が思いやられるわね!」全く怒りが収まる気配を見せないショウラン。
「言っときますけどね!今回減った分は人間一人分のカロリーなのよ!分かる?文字通り人を!1人!無駄に消費したのよ!」
「博士、遺体リサイクルに関してのガイドラインはご存知でしょう。こう言った公の場では…」
「知ったこっちゃないわ!そんなキレイゴト!誰だって見ないフリしてるだけ!こんなカツカツの食料時給で火星まで保つ訳ないでしょうが!
全員!この船に乗る時に!死んだら遺体は培養肉の素材として再利用される事に同意しているのよ!まさか死んだ後でも特別扱いを受けられるとか思ってるんじゃないでしょうね!」
唾を飛ばし金切り声で喚き立てるショウランにうんざりしたゼノンは「昔から面倒な女だった。」と吐き捨て、ミランの方を見て指を首の前で横に引いた。
「リル!カットしてくれ。」副長の声に即座に反応するリル。鬼の様な表情をしたショウランがディスプレイから消えた。
「全く…確かに先が思いやられるな。」ゼノンはぼやいた。
この時代では極端な寒冷化が進み、世界の食料事情は逼迫していた。自然の作物はほぼ全滅しており、人工的な食料も、それを作る為のエネルギーも枯渇していた為、人類は最後の手段、禁忌の法に手を染めていた。
亡くなった人間の肉体を、食料としてリサイクルしていたのである。
もちろん拒絶する人は多く、特に仏教圏の反発が大きかった。だが背に腹はかえられぬと、生存本能に忠実で、合理的として口にする者がいたのも確かであった。
若い肉体の血漿を取り込む事で、若返りの効果が認められるだとか、その人の肉体を取り込めば、その人の能力も引き継げる等、根拠のない情報も飛び交い、主に特権階級に属する人種で横行していた。
中には食料用としての人身売買まで行われていたが、機能不全に陥っていた政府としては止める術はなかった。
ただ人間性の最後の砦と言わんばかりに、公の場でこの件には触れない事をモラルとして形ばかりのガイドラインを引き、結果、見て見ぬフリをしているのが現状であった。
「お知らせ致します。本船はただいま周回軌道に入りました。固定ベルトを外して頂いて結構です。」リルのアナウンスが船内に流れ、非常灯から通常の人工太陽パネル灯に切り替わる。
それを合図にエレナは椅子から立ち上がり出口へ向かった。
「おい!どこへ行く!これから会議だぞ!」ゼノンが怒鳴る。
「コア・デッキです。リルのメンテナンスの準備をします。」少しだけ振り向いてそう言うとエレナは退出してしまった。
閉まった自動ドアをしばらく無言で見つめていたゼノンは、少し落胆した顔をしてから手元の資料に目を通し始めた。
少し離れた場所からタイミングを見計らって戻ってきたミランも2人分の再生水を机の上に置き、気まずそうに咳払いをして隣に着席する。
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「あの子の事を覚えている…」エレナは思った。
記憶は単なるログであり、感情に働きかける事などないと思っていたのに、今エレナの胸は熱く高鳴っていた。
「私の記憶の中にあの子がいる…」今度は声に出して言った。初めて出会った日。2人で見上げた夜空。思い出が目まぐるしく駆け巡る。
溢れ出る記憶に身を任せたまま、彼女が乗ったシャトルポッドは、コア・デッキのある46階を過ぎ、更に階下を目指して速度を上げていった。
第五話に続く
*今回の引用元「ソイレント・グリーン」(1973年の映画)