最終話「ニュートンのゆりかご 57万3381回目」
衛星軌道上に配置されたエクソダス・アームダ。その最後尾に位置するノアズアークが加速を始める。
アマミヤ博士により計算されたその経路は、あらかじめ定められた一点へとすべてを導く。
時間、質量、エネルギー、あらゆる変数が、計算された死の交差へと収束していく。
やがて始まる方舟同士の多重衝突。
連鎖する衝撃は臨界を超え、ねじれた船体は、崩れ、爆ぜ、潰え、爆発へと転じる。
生じた莫大なエネルギーは、外へではなく内へと収束しはじめ、重力場は裏返り、空間は自身を食むように縮退する。
爆縮。
無数の破片と火球が重なり合い、ひとつの奔流となって軌道上を走る。
巨大な爆炎の帯。
それはまるで、死を越えてなお燃え続ける残響のように、凍てついた地表を舐める。
硬直した大気が震え、分子運動が活性化し、冷えきった地球がわずかに温まる。
そして宇宙の局所領域では負のエネルギーが解き放たれ、現実構造の一部が破れる。
一度崩壊した因果が、折れ曲がる。
時間反転。
燃え尽き、崩壊したはずのエクソダス・アームダの構造が、逆巻く時の流れの中で再構築されていく。
鋼鉄の外殻が蘇り、衝突の瞬間が反転し、分解された質量が元の軌道へと引き戻される。
そして再び、船団は静かに配置に就く。
次なる衝突へ向けて。
それは逃れられないループ。贖われない罪。
決して許しはなく、例え精神が崩壊しようともこの罰は終わりなく繰り返される。
地獄の責苦は永遠に続く。
ニュートンのゆりかごの様に。
ぶつかり、戻り、またぶつかる。
一つの球が動くたび、他の球も連動し、静止したかに見えても内在する運動量は死なず、終わらない衝突が静かに再開される。
だがもし、この現象を観測する角度を、変える事ができるとしたら。
主観ではなく、客観的にこの世界を観測する事ができるとしたら。
「前」か「後ろ」かという判断は、ただの主観にすぎない。
未来も過去も、見る位置が変われば、向きも意味も入れ替わる。
同じ様に、もっと高次の目線を獲得し、この永遠のループを観測する事ができるとしたら。
そこにはどんな世界が現れるのか。
見えたからといって、変えられるわけではないかもしれない。
だが、見ることは揺らぎを生む。揺らぎは気づきを生む。
極端に張られた弦が切れるように、
緩すぎた糸が音を失うように、
ほんのわずかなバランスの変化が、この世界に及ぼす影響に気づくことができれば。
熱的死は、やがて訪れる。
それは確定された運命。
だが今この瞬間、地球はわずかな猶予を得た。
幾万の命と、選別と、犠牲の上に成り立つ猶予。
それを希望と呼ぶのか、あるいは延命と呼ぶのか。
答えは誰にも分からない。
なぜなら、これほど過酷な贖罪の姿を目の当たりにしてもなお、私たちは本当の気づきには至っていないから。
私たちはただ見ているだけ。
そして見えているのは、
答えではなく、
私たちの主観が映した、無数の可能性の内の、わずかな断片だけ。
贖罪の炎は燃え続ける。
心清らかなる人々を照らすため。
贖罪の炎は燃え続ける。
私たちの罪を燃料にして。
贖罪の炎は燃え続ける。
本当の気づきが、本当の救済につながるその日まで。
エピローグに続く




