第二十四話「ニュートンのゆりかご 2回目」
「第一段階、弾性衝突開始。」リルの無機質な声がセントラル・デッキに響き渡る。
途端に加速を始めるノアズアーク。
「推力増大…ノアズアークが…か、勝手に…。」操縦手は言葉に詰まった。つい先ほど、自分は同じ言葉を口にしていなかったか?
その疑問はセントラル・デッキにいる全ての乗組員が感じている事だった。
繰り返しゼノンの恫喝を映していた正面の巨大スクリーンが宇宙空間の映像に切り替わり、前方の方舟「パナケイア」との距離がみるみる縮まっていく様子を乗組員達に見せた。
「ぶつかる…。」力なく呟くゼノン。
皆、ただ茫然とその様子を見つめていただけだったので、衝突による凄まじい衝撃に、今回は全員が激しく揺さぶられ、倒れ伏した。
追突されたパナケイアも速力を増して前方の方舟に追突する。更にその船も前方へ。その先の船も。またその先の船も。多重衝突は遂に先導船スイユウにまで到達し、その衝撃で大爆発を起こすスイユウ。
「第二段階、エクソダス・アームダ。プライマリー・リアクター開放。」リルの無機質な声と共に、今度はその炎が後ろの船に誘爆し、更にその後ろの船も誘爆。またその後ろの船も。やがて爆発の炎は最後尾のノアズアークにまで至り、船内を焦熱地獄に変える。
ゼノン達は一瞬で酸素が奪われ、皮膚がただれ、筋肉が弾けた。目は潰れ、喉は焼け、叫ぶ声すら音にならなかった。しかし、意識だけはすぐには焼き切れなかった。
そしてこれが二度目である事を文字通り体感していた。神経が焼かれ、皮膚が剥がれ、関節が軋みながら崩れていく中で、乗組員達は自らの肉体が焼失していく過程を克明に感じ取った。
二度目という事もあって、激痛の中、前回よりも、この責苦の過程を克明に感じ取れた。
金属は溶け、床は崩れ、壁は燃え広がる業火と化す。
ノアズアークの心臓部、断熱圧縮重力炉に爆発の炎の衝撃が加わった瞬間、船体の中央部が不気味に歪んだ。
装甲が悲鳴を上げて内側へと折れ、ノアズアークから順番に、まるで見えない巨大な手で握り潰される様に圧縮されていく。
ひび割れた外殻が吸い込まれ、方舟は凝縮し、炎の輝きも消え失せ、宇宙は異常な静寂に包まれた。そして次の瞬間、閃光。
抑え込まれたエネルギーが一気に解放され、巨大な爆発が、地球の衛星軌道上に線を引く様に連続して発生した。その長さ、実に100km。
3000℃を超える熱量。莫大なエネルギーは、さながら怒れる龍の如くうねり、咆哮した。
「第三段階、停止性問題を確認。ループを開始します。」真空中に、リルの無機質な声が響く。
爆発により解放された負のエネルギーがカシミール効果を発生させ、「時間の矢」の反転が始まる。
一筋の爆炎の帯が徐々に寸断され、複数の炎の塊に変わる。
それらの炎はやがて中心に吸い込まれる様にして小さくなり、破壊された方舟の残骸が姿を現す。
その鉄の塊がまるで逆再生を見ているかの如く、船体の輪郭を形成していく中で、船内でもまた、乗組員達が焼き尽くされた灰の中から蘇り始めていた。
炭化した黒い塊に、血と脂を示す赤と白の模様が走り、崩れ落ちた肉塊が徐々に高さを取り戻す。
空間に蒸発していた水分が集まりだし、脳や目、舌を形作る。
声帯ができる頃には叫び声も蘇って、自分の体が再び元の位置に戻る事を、強烈な激痛と共に思い出す。
そうして、乗組員達が、エクソダス・アームダが、全てが起点に戻る。まるで何事もなかったかの様に。
セントラル・デッキの面々も皆、元の位置に戻っていた。違うところと言えば全員が息も絶え絶えに脂汗塗れになっている事だった。
「どうなってるんだ一体!」マヌエルが絶叫した。
「念の為聞くけど私だけじゃないわよね…。」ショウランはゼノンに尋ねたが、返事ができる様には見えず、却ってそれを返事とみなした。
「まさか…時間の矢って…この事か…。」自分に言い聞かせる様にしてミランが呟いた。そして弾かれた様にコンソールに向かうとデータのトレースを始めた。
「何か分かったのか!」ゼノンはすがる様な目をしていた。
「ユージン総監の言っていた言葉です。船内でエクピロシスを起こすという…。『時間の矢の逆転』『無限ループ』…あの時は意味が分からなかったが…。」額の汗を拭い、忙しく画面を手繰る。
「これは…循環参照?計算し続けている…リフレーム…終わりがない…違う!停止性問題に陥っているんだ!」誰にともなく叫ぶミラン。
「何が分かったんだ!」ゼノンの詰問はもはや、この恐ろしい現象から救い出して欲しいという懇願の域に達していた。
「私も全て理解した訳ではないのですが…。」ゼノンの目を見据えて答えるミラン。
「プライマリーリアクターが臨界点を突破した事で、圧縮されていた負のエネルギーが解放されたんです。船団の爆発のエネルギーが広がりきると、今度は負のエネルギーが…きょ、虚数空間を形成して…カシミール効果が発生した…。」
「要点だけ言え!」ゼノンが詰め寄る。
「あ、あり得ない事ですが…時間が逆転したんです…。」
「…な、何を言ってるんだ!」同じ言葉を繰り返すゼノン。
「分かってます!自分でも分かってます!しかし実際に起こった!現実の出来事なんです!」ミランも遂に頭を抱えた。
「でも2回起こったわよね?これはどういう事?あんた『無限ループ』って言わなかった?」震える足を押さえ込みながらショウランが聞く。
「そうです。そこなんです問題は。データ検証の結果、現在エクソダス・アームダは停止性問題に陥っています。計算が終わらない状態になっているんです。」
「何の計算だ!」ゼノンの声は掠れ始めていた。
「アルゴリズムの修正です。本来の時間軸から外れた為、計画の修正をしようとしているんです。ですが、答えが見つからない…。いや、答えがあるかどうかも分からなくなっているんです。」
「どうして…。リルくらいの人口超知能でも解けない計算だっていうの?」ショウランの問いに首を振るミラン。
「リルじゃないんです。計算しているのはインサイトなんです…。あの侵食騒ぎから今に至るまで、船団を制御しているのはインサイトなんです。」全員の目が拘束されているヴィンセントに向けられた。
「…お、俺は知らない!俺はずっとこの状態だったんだぞ!」縛られたまま悶えうつヴィンセントに対してゼノンが走り寄って掴みかかる。
「インサイトはお前が作ったんだろ!これをどうにかしろ!」
「だから俺は知らないって!こんな状況を誰が予測できるっていうんだ!」ゼノンは抵抗するヴィンセントを引きずってコンソールの側に立たせた。
「やれ!元に戻せ!」ゼノンの恫喝に抗議しようとして口を開きかけたが、画面に目を落としてヴィンセントは驚愕した。
「これ…ホントにインサイトか?」
「どういう事だ!」
「インサイトはここまで速くない。こんな…巨大なスプレッドシートの再計算を連続して行なっているなんて…。し、しかもこれはループしている!虚数領域じゃないか!こんな計算!インサイトに出来るはずがない!」
両手両足を縛られたまま襟首をゼノンに掴まれて、画面に顔を擦り付ける様にして、それでもヴィンセントは気がついた。
「リルだ…。リルの仕業だ。わざと乗っ取らせたんだ!自分より下位のAIに乗っ取らせる事で!処理できないと知ってて!停止性問題を呼び込んだんだ!複雑な計算を!答えの見つからない問題をインサイトに与えて!わざとループを起こしてるんだよ!」
「やめさせろ!」
「出来ない!既に停止性問題に陥っているんだ!この計算は止まらない!永遠に続く!誰にも止められない!」
「サーバーを壊せば!」ショウランが叫ぶ。
「それだ!誰かやれ!」ゼノンが周りを見回す。
「『揺らぎの収束』を確認しました。これよりエクピロシス計画を実行します。」無情に響くリルの声。
「またかよ…。」コンソールに押しつけられたままヴィンセントは呟いた。
「第一段階、弾性衝突開始。」
第二十五話に続く




