第二十話「コヒーレンス」
「トウコ。今日はまた突然どうした。計画は全て予定通り、何も問題はないぞ。」
横柄な態度で答えるゼノン・アマミヤ。ISMO長官。方舟級宇宙船ノアズアークの船長。そして、私の夫。
アポイントを取らずにオフィスを訪れた私に不機嫌な態度を隠そうともしていない。
実際、打ち上げ日も確定して忙しいというのはあるのだろう。
「まあいい。こっちも話があったんだ。手短に済ませよう。そっちから話せ。」私をソファに座らせて、自分は立ったまま書類をチェックしながら彼は言った。
「私の話とあなたの話は同じ内容です。」
「ん?何だと?」
「あなたの決断についてです。『私を船に乗せない』事について。」虚をつかれて彼は固まった。
「誰から聞いた?」
「誰もこの話はしていません。あえて言えばリルの『予測』です。」
「…なるほど。見事…と言うべきか…。」書類を置くと彼は私の顔をじっくりと見た。
「では率直に言おう。リルの予測は正しい。お前には計画から外れてもらう。今までご苦労だったな。」言葉とは裏腹に何の労いも感じられなかった。
「今後、エクピロシス計画のプロジェクトリーダーはエレナ・ローウェルに任せる事にした。まだ正式に発表してはいないが、決定事項だ。エレナには私から直接伝えるつもりだからお前は自分の荷物をまとめておいてくれ。」少し早口だった。若干の気不味さを感じた。それを受けて私は口を開いた。
「あなたがエレナに傾倒している事は最早周知の事実です。ですが、周りは誤解している様ですが、あなたが男女の感情を抜きにして彼女にのめり込んでいるという事を私は理解しているつもりです。」
「何の事だ?」
「あなたも全身整形を受けた事で、自我の存在が曖昧になったんですね。肉体に意味はあるのか。心はどこにあるのか。その感覚に陥ったあなただからこそ、エレナが特別な存在に見える様になったんですね。分かります。私もそうだったから。
ですが。仮初にも夫婦だった者として一つだけ忠告させてください。どうなろうとも、永遠に、エレナはあなたのものにはなりません。」彼は無言だった。ただ、こめかみが痙攣していた。
「特に今、私を切り捨てようとするのは周りからすると『焦り』…いや『恐れ』と取られるかもしれない。逆効果です。元々お互い利害関係の上で仮初の夫婦を演じてきた訳ですし、別れるにしてももう少しスマートに演出した方があなたの為になると思うんです。」
彼は何か言いたそうだったが、言葉が見つからないのか唇を震わせているだけだった。
「繰り返しますがエレナはあなたのものにはならない。彼女は誰のものでもない。エレナは最初から手の届かない所にいたんです。」私は側のクーラーボックスに手を置いた。
「仮初にも夫婦だった者として忠告させてください。エレナはあなたのものにはならない。あなたは何も手にしていない。何も生み出していない。世の中に既にあるものから搾取して、それを自分の手柄として周りにひけらかしている。
自分の能力によって自分の思い通りに動かしているつもりですが実際はそうじゃない。奪い取ったものを自分のものとして主張しているだけなんです。
エクピロシス計画は非常に困難を伴うプロジェクトです。あなたの判断一つで結果が大きく左右されるのです。執着から脱却してください。エレナはあなたのものにはならない。自分自身に対しての恐れや欲望に対しての自己欺瞞の嘘は危険です。特にあなたの様な承認欲求の塊…。」言い終わらないうちに私は激しい痛みを喉に覚えた。
彼が私の首を締め上げていた。
「ききき貴様に何がわかる!言いたい放題言いやがって!何も手にしていないだと!おおお俺は能無しなんかじゃない!能無しのフリをしてるだけなんだ!そうやって本物の能無し共を束ねてるんだよ!分かるか!この高度に政治的な駆け引きが!お前にわかるのか!言ってみろ!え?どうだ!偉そうにほざきやがって!焦り?恐れ?違う!不満だ!俺が不満なんだよ!大問題だろ!この問題を解消するには能無し共を粛清するしかないんだよ!地球に置き去りにする奴らはもちろん、船に乗った奴らだって対象にしてるんだ!火星到着までに更に半数は減らすつもりだからな!そうやって真に選ばれた者だけが!新世界の住人となるのだ!それを!俺が!決めてるんだ!もっと敬意を払え!お前みたいな!身の安全を図る事しか能のない奴が!偉そうな口を聞ける分際か!だから捨てるんだ!お前みたいな奴が!エレナを同列に語るな!おおおお前みたいな奴が!お前とは!離婚だ!!!」
彼の握力は尋常ではなかった。私はとっくに気を失っていた。いや。窒息死していたが、構わず締め上げ続け、最終的には首の骨を折っていた。その感触で初めて我に返った彼は、私から飛び退くとまるで汚いものでも触っていたかの様にズボンで手を擦っていた。
「お…お前のせいだ…お前が悪いんだ!私を怒らせた…お前が悪いんだぞ!わかってるのか!」彼はひとしきり罵り、周りの物に当たり散らしてから、息を整えると私が持って来たクーラーボックスに目を止めて、蓋を開いた。
中には30kg近くありそうな肉塊があった。彼は一瞬怪訝な顔をしたが、構わず私を抱き抱えるとその中に押し込んだ。そして蓋を閉めるとクーラーボックスを引きずってオフィスを出た。
行き先は分かっている。マヌエル・ロドリゲスの工場だ。そこにあるエシカライザーに私を放り込むつもりなのだ。全てリルが組み立てたシナリオ通り。いや。これも私の考えた事になるのだろうか。
寒気さえ覚える。何故なら私は既に死んでいるのに、その先の事まで予測して、観測して、確認できるのだから。この義眼を通して。
私は私が死ぬ事を予測していた。分かっていてここに来たのだった。
ワザと彼を怒らせる様な事を言って、彼の暴力性を発露させ、私を殺す様に仕向けたのだ。
だから死ぬと同時に私の意識を私専用のニューロメモリに転送する様に予めプログラムしておいた。
そのニューロメモリはロドリゲス技師の手元にある。いつかロドリゲス技師のもとを彼が尋ねるから、その時直接手渡す様に指示を既に出しておいた。
この時、ロドリゲス技師は一言も理由を尋ねなかった。ただ、盲目的に私の指示に従っていたので、このやり取りの真の目的には、その瞬間まで気づく事はないだろう。
そして、ゼノンも同じ。
彼は私を殺してしまった事を誰にも言わない。そんな事をしたら彼自身、破滅してしまう。密かに私を処理して、受け取ったニューロメモリをロボット化した私に使うだろう。
それがどんな結果をもたらすか、想像もしないまま。
全ては計画の内。リルの演算による、敷かれたレールの上の出来事。
そしてその先は…。エレナ。ツギコ。あなたたちの願いがいよいよ叶えられる。
その時が来る。エクピロシス計画の真の目的が、全ての乗組員に明かされる。
大切なのはその結果を収束させるタイミング。それさえ間違えなければ願いは必ず叶えられる。
第二十一話に続く
*今回の引用元「ローズ家の戦争」(1989年の映画)




