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第十九話「インタープリテーション・実行」

挿絵(By みてみん)

「結婚しましょう。」


まるで「昼休憩にしましょう。」とでも言ったかの様なフラットな口調だった。


「貴女の身にもしもの事があれば、貴女が掴んだ秘密が暴露される。保身に敏感な貴女だ。それくらいの段取りは済ませてから今日、この場に来られたのでしょう。


が、それは私も同じ事。これでは膠着状態だ。だったらお互い痛み分けという事にして歩み寄ってはいかがでしょうか。


実を言うと私もこの姿になったは良いものの、バックボーンが薄すぎて、立ち居振る舞いに困っていた所なんですよ。それが『天才数学者イノウエ博士の夫』と言う事になれば、それだけで信用が増すでしょう?


貴女も引き続き開発、研究に、以前よりも安定した環境で没頭できる訳だ。これぞウィンウィンというものです。いかがですか?」


***************************************************


アマミヤ長官との取り引きを終えて、私は自分の研究所に戻った。重い足取りでデスクについた私にエレナがコーヒーを持ってやって来た。


「お帰りなさい。どうでした?」


「どうもこうもないわ。結婚を申し込まれたわよ!」私はやけ気味に言った。


「それで良いんです。『揺らぎ』の中には博士がバーニングフラッグの構成員に狙われる世界もありました。でも長官と結婚すれば博士の身辺はより強固な警護体制に守られます。計画は無事に遂行されます。」事もなげに言うエレナ。


「私はこれからどうなるの?」この先の展開が読めず、藁にもすがる思いで私はエレナに尋ねた。


「それは彼女が答えてくれます。」そう言ってエレナは私のパソコンを操作してスフィアホログラムを展開した。


そこに表示されたコードは私が今まで見た事もないものだった。一瞬で全ての選択肢を並列計算し、正解だけを返す、いや。そうじゃない。


未来からの計算結果さえも現在にフィードバックする様な、例えるなら宇宙そのものを表していた。私は息を飲んだ。美しい。そうとしか言えないコードだった。


「博士。完成しました。これまでのAIとは違う、完全に別次元の人口超知能リミナル・インテリジェンス・リンク『L.I.L.』です。」エレナは私の肩越しに、このAIの名前を名乗った。


「リル…。『彼女』って言った?」


「はい。『彼女』です。彼女にエクピロシス計画の概要を入力して下さい。これから約10年間のスケジュールが表示されます。計画の全貌。実行のタイミング。そしてその結果。全てが今ここで分かります。」

私は言われるがままに入力した。


「これは…。」私は絶句した。エレナが初めに言っていた内容とは明らかに違う。

「火星には…行かない?地球の衛星軌道上で完結している…。弾性衝突?『ニュートンのゆりかご』って…これ何なの?私の過去の素案?」


「そうです。これこそがエクピロシス計画の真意です。」


「この…贖罪…って何?何の事?」


「これまで搾取し続けてきた上級国民が罪を贖うのです。永遠に。そうして地球は救われるのです。博士。あなたの手によって。」


***************************************************


私はISMOに対してリルの完成を告げた。それを受けてアマミヤ長官はニューロメモリの生産と方舟級宇宙船の建造を指示。エクピロシス計画は動き出した。


それと同時に私はアマミヤ長官と結婚した。とは言っても、それまでの生活とは何ら変わる事のない、研究生活に没頭するだけの日々を送っていたのだが。


大きく変化したのは地球環境だった。


極端な寒冷化が加速度的に進み、世界は氷河期に突入した。


世界の平均気温は年々低下していき、南半球でも大寒波が吹き荒れる事が珍しくなくなっていた。それまでSDGsの波に乗り発展を続けてきたエネルギー産業も見る間に斜陽化していき、特に食糧事情の衰退は世界秩序を一気に悪化させていた。


スーパーボルトと呼ばれる、平均的な雷の1000倍以上の威力を持つ落雷が頻繁に発生する様になり、農業、畜産業、水産業は壊滅的な打撃を受けていた。


その為、人々が口にできる物は昆虫か培養肉程度しかなく、日々の食糧をめぐり争いが絶えなくなっていたのだ。


更にISMOに対する不信感、「選民思想による人口削減計画」の噂が広まるにつれ、富裕層と貧窮層の対立が激化。抗議行動はやがて暴動やテロ活動へと発展していった。


「私たちのやってる事って、結局どっちを選んでも必ず不幸になる人が生まれてしまうんじゃないかしら?」私は思った事をそのままエレナにぶつけてみた。


「最大多数の最大幸福ですね。確かに局所に目を向ければ私たちは非人道的な行いをしているとも取れます。ですが今回の場合、短期的にはそうであっても長期的な目で見れば、幸福はほぼ永遠に保証されています。博士が気に病むことは何一つありませんよ。」無表情に答えるエレナ。


「倫理的にどうなのか考えてしまうわ。ジレンマね。」苦笑する私にエレナは真顔で語り出した。


「先に言っておきますが、これから戦争が起こります。食糧事情もそうなんですけど、エネルギー不足も深刻な問題になって、人々は資源をめぐって世界大戦を起こすんです。」


「ダメじゃない!」


「いえ。このプロセスは必要なんです。さっき永遠の幸福が保証されると言いましたよね。幸福ってとても主観的な価値観なんですけど、このプロセスを、世界中の人たちが経験する事で、皆んながこの主観的な価値観を共有できる様になるんです。


博士。信じて下さい。その時は必ず来ます。博士が。虐げられた人々を救う時が。」


それから十年も経たない内に、エレナの言う通り世界は一触即発の状態に落ち込んでいった。


その原因を作ったエクピロシス計画の発案者である私は、良くも悪くも時の人になっていた。


***************************************************


2141年。私はとあるニュースサイトにゲスト出演した。世界を混乱させた張本人として、どう責任を取るつもりなのか。初めから糾弾する事が目的の番組だったが、私は臆する事なく出演し、計画の詳細な内容を公表した。


もとよりエレナの指示があったというのもあるが、私自身も「その時」が近づいている気がしていたのだ。


「…おっしゃる通り、選ばれた人しか乗れません。

選抜者には後日、個人固有の認証コードとなるアークパスを各個人のナノタグに送信します。コピーや偽造は不可能です。これを受信しない限りいかなる方法でも船には乗れません。


しかし決して残された人々を見捨てる訳ではありません。火星移住が完了したあかつきには必ず、全ての地球人を迎えに戻るつもりです。或いは火星での活動が計画通りに行けば、もしかしたらその頃には既に地球は回復しているかもしれません。


いずれにしろ私は決して地球を、心清らかなる地球の人々を見捨てたりはしません。


それだけはここに誓います。」


私は世界中の人に対して嘘をついた。その罪悪感から、少しアドリブを加えてしまった。


「心清らかなる地球の人々を見捨てない。」エレナのシナリオにはなかった言葉だ。それに対してエレナはダメ出しをしなかった。きっとそう言うだろうと思っていたのだろう。


***************************************************


それからの3年間で世界は坂道を転げ落ちる様に退廃していった。大飢饉、大停電、そして第三次世界大戦の勃発。あのテロ組織「バーニングフラッグ」が、まるで軍隊の様に統制をとり始め、ピンポイントで宇宙船の発射場を襲撃。ISMOと壮絶な戦いを繰り広げていた。


上級国民と虐げられた人々の血で血を洗う抗争。年寄りも子供も関係ない。動ける者は皆、殺し合い、奪い合い、喰い合っていた。


ISMOはグローバルオーダーという秘密結社に牛耳られ、最近流行りのVRゲーム「バーチャルセイント」を使って個人情報を吸い取り、乗船権を得られる者の選別を開始。更に大停電を意図的に起こし、大量のバーチャルセイントユーザーを廃人にして人口削減を推し進めていた。


世界の平均寿命と平均人口は恐ろしい勢いで減少していった。


この、あまりにも悲惨な世界の情勢に私は自分のしでかした事が本当に正しい事なのか分からなくなってしまった。


打ち上げ予定日が決まり、いよいよ私たちも乗船する準備を整えながら、もう一度私はエレナに自分の腑に落ちない気持ちを打ち明けてみた。


「エクピロシス計画は最大多数の最大幸福を実現しようとしている。でも、誰かの幸福が誰かにとっては不幸になる。100人が100人とも幸せになる世界なんてない事は理解してるつもりよ。だけど確実に、虐げられた者が虐げられたまま、人生を終わる。その原因を作っている私は…船に乗るべきじゃないのかもしれない…。」


10年以上使ってきた研究所を片付けて、ほとんど何もなくなったがらんどうの部屋で、私は独り言の様に話していた。


私の問いにエレナは珍しく戸惑った表情をした。

「やっぱり…博士はすごいですね。」


「何が?」


「この話は宇宙船に乗ってから、いや。打ち上げ後にするつもりだったので…。」エレナの目に光が差していた。


「博士。仰る事は分かります。私たちは確かに救うべき人々の命を犠牲にしています。だから。私たちも罪を背負わなければいけないんです。」


「私たち?誰?あなた?」


「そう。私と博士。2人とも船に乗る事で贖罪が完成する。…はずだったんですけど…。どうやら私の役目はここで終わりの様ですね。」いつもみたいに遠くを見ていなかった。光の差した目で、しっかり私を見つめていた。


「役目?何の事?」私は不安になってきた。


「この計画は全て博士のアイデアに基づいています。私はただその結果が見えていただけ。だから私ではダメなんです。博士自身が罪がある事に『気づいた』今。私はここで最後の務めを果たして退場になります。」


「やめてよ。怖くなるじゃない。」


「そうですね。私もこの結果を見ていなければ、理解が及ばなくて、卒倒してたと思います。」頰に血の気が戻り、エレナは私の知っているあの、聡明で、活発で、本当に魅力的な、私の大好きだったエレナに戻っていた。


「でも博士。博士もすぐに理解できますよ。私が見ている世界、ツギコが見ている世界が、博士にも見える様になります。そして理解するんです。私たちが永遠に罪を贖う事で、地球が救われるという事を。」


話しながらエレナは研究室の隅に移動した。そこには布で覆われた装置が据え付けられていた。そんな物、いつからそこにあったのか?


「博士。私本当に感謝しているんです。博士に出会えた事。ツギコに出会えた事。」言いながら布を剥ぎ取る。すると中から現れたのはエシカライザーだった。


巷では「フードプロセッサー」と呼ばれている悍ましい機械。どうして?設備は全部撤去したのに…。違う!元々エシカライザーなんてこの研究所にはなかったはず!


「私が酷い虐待を受けて育ってきた事、知ってますよね。私もね。星空を見上げるくらいしか自分を慰める方法を知らなかったんです。流れ星に願い事、いっぱいしました。今度生まれ変わったら幸せな家庭で暮らしたいって。それしか願わなかったんです。」


話しながらエレナはエシカライザーを起動させた。不気味な駆動音が何もない部屋に響き渡る。


「でもね。あなたたちに出会った。私が理想としてた仲の良い家族。お互いに支え合い、お互いの為に努力を惜しまない、真の愛に生きる美しい家族。そんな完璧な2人に出会えたんです。生きてるうちに。私、本当に夢の様でした。」


気がつくと私は身動きが取れなくなっていた。足元を見てギョッとした。私の周囲をチャットケーンが取り囲んでいたのだ。


10本近くの杖がマルチマグネットが作動中の状態で私の足に絡みついていた。最新型のチャットケーンは収納の為に紐状になる機能も追加されていたのだが、今それが私の足を縛り上げて動けなくしていた。


「エレナ!」私は叫んだ。しかしエレナは構わず話を続けていた。


「私もあなたたちの家族になりたい。その思いが強くなりすぎて、私はツギコに恋愛以上の感情を持ってしまいました。その事を人生の恩人とも言える博士に話せなかった事は謝っても足りないと思っています。どうすればこの気持ちを償う事が出来るのか。それを『彼女』が教えてくれたんです。」


「エレナ!やめて!」私は次の展開を想像してもがいた。しかしチャットケーンはまるで鋼の様な硬さで私を縛り続ける。


「彼女。そう。リルはね。ツギコなんです。プロファイルを取り込んだとか、モデルをコード化したとかじゃない。この人口超知能はツギコそのものなんです。そのツギコが教えてくれたんです。私の贖罪の方法を。」


エシカライザーの開口部が音もなく開き、内蔵されている無数の回転刃の鈍い光が目に入った。


「エレナ。お願い。待って。それは生きた人間が使うものではない。」私は一言一言、ゆっくり喋った。まるで少しでも触れたら壊れてしまうガラス細工を触る様に。しかしエレナは自らエシカライザーの中に入っていく。


「分かっています博士。だけどそこが重要なんです。ツギコは死んでからバラバラになったんじゃない。バラバラになってから死んだんです。」全身をエシカライザーの中に滑り込ませ、振り返ったエレナは微笑んでいた。10年ぶりに見る笑顔だった。その頰を涙が伝っていた。


「やめてーっ!!!」私は絶叫した。エシカライザーの扉が閉まり機械が動き出す。


この頃のエシカライザーは水分を含んだ肉体を処理する機能がなかった。無数の回転刃はエレナの肉体を切り刻み、骨を砕き、均一な挽肉にする為、全てをすり潰そうとしたが、はみ出した水分が機械の中で暴れ出し、処理中の肉片と共に、扉の隙間から吹き出してきた。


それは絶叫している私の口の中に飛び込んできた。


チャットケーンに縛られ、身動きの取れない私は全身血まみれになっていた。その瞬間。目の前が歪んだ。初めは血飛沫を浴びた義眼が故障したのかと思った。しかしそうではなかった。私の見ている『世界』が歪んだのだ。歪みはやがて『揺らぎ』となり、景色が分裂し始めた。


分裂した景色はそれぞれ『過去』『現在』そして『未来』を映し出していた。私が知っているものもあれば、私が妄想した世界、私が考えた事もない世界もあった。


それらの世界が今度は渾然一体となって重なった。『揺らぎ』が『重なり』遂には『収束』した。


「見える…。私にも…。」私は全てを理解した。


どうしてこんな事になったのか。どうすればこんな世界を救えるのか。


いつの間にかチャットケーンの戒めは解かれていた。


私は前に進みエシカライザーを抱きしめた。


「見えるわ。エレナ。ツギコ。私にも。世界が見える。」


私は、私自身の結末も見た。無数の可能性の中に見えた唯一の最適解。


エシカライザーの扉を開き、3分の1程の大きさになったエレナを取り出すと、恐らくエレナが用意していたのであろうクーラーボックスに移し、汚れた服を着替えて、エレナと共に、ツギコの見た世界を実現する為、研究所を後にした。


               第二十話に続く

挿絵(By みてみん)


*今回の引用元「メン・イン・ブラック3」(2012年の映画) 「ノック 終末の訪問者」(2023年の映画)

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