第十六話「インタープリテーション・入力」
私が交通事故に遭ったのは10歳の時だった。最後に見えたのは真正面から突っ込んでくるトラックのヘッドライト。
それから私は長い間、意識を失っていたと聞かされた。気がついた時、自分が病院のベッドに寝ている事が分かったが、それは匂いや音で判断した為であり、目で見て理解した訳ではなかった。目には包帯が巻かれているらしかった。
真っ暗で何も見えなかった。私の意識が戻った事に気がついた看護師が優しく声をかけてきた。
「トウコちゃん。聞こえる。聞こえたら軽く頷いて。」私は頷いた。
「どこか痛むところはある?」私は首を横に振った。
「そう。良かった。あなたは交通事故に遭ったのよ。とてもひどい怪我をしたの。でももう大丈夫。ゆっくり治していきましょうね。」
私は徐々に思い出していた。両親と妹と一緒に、車で家族旅行に出かけたのだった。真っ直ぐの道路を走っている時に突然、反対側からトラックが飛び出してきて正面衝突…。…ママ!パパ!ツギコ!皆んなどこ?!
「ママは…?」私は声を出したが思った以上に掠れていて自分でも聞き取れなかった。看護師は急に黙り込んでしまった。
それからの看護師とのやり取りはよく覚えていない。
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両親は即死だった。私は複数箇所の骨折と脳挫傷と診断されたが、重症ではあるもののいずれも回復の見込みがあるとされた。両目に刺さったガラス片の事を除けば。
砕け散ったガラス片が私の両目を貫き、視神経が断裂。私は失明していた。
めがみえない? いっしょう? そんなのいや! あのときあそこにいなければ じかんをまきもどす しゅんかんいどう だめ りかいできない いきができない かなしみときょうふ せかいとのつながりがたたれた もうなにもできない どんぞこにおちたかんじがする ぜつぼうかんにしはいされる…
たすけてママ!たすけてパパ!わたしこわい!
こわいこわいこわいこわいこわいこわい!!!
…気が狂いそうになっていた私を救ってくれたのは妹のツギコだった。
絶対安静が解かれた日、面会を許可された一番最初の見舞客が妹だった。
奇跡的な事にツギコはかすり傷一つ負っていなかった。打撲や脳震盪の心配もなかった。クラッシャブルゾーンにはまり込んでいた事が功を奏したらしい。元気いっぱいの妹は目に包帯をした私を見て、まだ5歳だというのに、既に全てを理解していた。
「私がお姉ちゃんの目になるからね!」最初に言った言葉がそれだった。
私は全身でツギコを抱きしめた。
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それからのツギコは片時も私の側から離れなかった。
入院生活はもちろん、リハビリの付き添い、面会客の対応、問診表や書類関係のチェックまでツギコはこなしていた。
事故を起こしたトラックを所有している運送会社は全面的に非を認め、私たち姉妹が成人するまで全ての面倒を見ると約束してくれた。
その為か、私の入院生活は割と贅沢なものだったらしい。リハビリにしても少しグレードの高い器具を使わせてもらっていた。
その中に「ニューロゴーグル」があった。これは従来のVRゴーグルとは違い、脳に直接映像の情報を送る事が出来た。つまり、視神経を介さなくても、目が見えなくても外の世界を認識できるというものだった。
この頃はまだ仮想空間の景色しか反映させる事が出来なかったが、私はこの不恰好なゴーグルのおかげで強烈なインスピレーションを得る事が出来た。事故のトラウマ。突然両親を失い、失明した絶望感。これらを克服する可能性を私は仮想空間に見出していたのだ。
この経験を元に将来「ニューロメモリ」を開発する事になるのだが、今の私は知る由もない。
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1年間のリハビリを終えて、私は日常生活に戻る事が出来た。両親は共に天涯孤独の身だったので、私たち姉妹は誰に頼ることもできず2人だけで生きていく事となった。
運送会社の社長は何かと面倒を見ようとしてくれたが、もとより私は妹と2人だけで生きていく決心をしていたので、金銭面に関するやり取り以外、こちらから連絡を取る事はしなかった。
私はそれまで通っていた小学校から盲学校に転校した。そちらの方がより専門的な知識や技術を習得できそうだと思ったからだった。
特に私を魅了した「ニューロゴーグル」。市販ではまだ手に入らなかった器具がここにはある。ここで新しい技術を発明しようと考えていた私は、バーチャル空間で健常者よりも高度な学習を受ける事が出来た。
定期的にカウンセラーが様子を見にきていたが私には全く必要なかった。仮想空間での私は早熟の異才だった。中学部の内にAI白杖「チャットケーン」を開発。
これはボイスナビ内蔵の白杖で、道案内はもちろんの事、人だかりの中で個人の顔を見分ける「顔認識」機能も装備。どこで誰と会ったかが逐一記録できた。そしてお店などに行くと、その商品、値段などを読み上げ、使用者に伝える事も可能で買い物の効率化を図る。
更に飛び出してきた人や車に即座に反応して杖が地面に突き刺さるリアルタイム障害物検知機能「マルチマグネット」を装備。使用者の足を止めて事故を防ぐ役割も果たした。もし仮に障害物とぶつかったとしても、杖に内蔵されたゾーンボディ構造により、使用者には一切衝撃が加わらない仕組みになっている。
このアイデアはツギコが事故にあった際、全く無傷だった事からヒントを得た。この仕組みが、いわゆる「ニュートンのゆりかご」と呼ばれる弾性衝突の性質を応用したものだという事を知ったのは随分後になってからだったが。
プロトタイプは大変話題になり、クラウドファンディングも順調だったが、何しろたくさんの大人が関わる事に私は嫌気が刺してしまい、特許権は放棄した。というか興味が別の事に移ってしまっていた。
この杖のキモとなるAI。この開発に私はのめり込んでしまったのだ。もともと数学が得意で特別秀でた成績をおさめていた私にとって、AI開発は天職のように思えた。
仮想空間の中で私は様々な性格づけをしたAIたちをいくつも開発した。そしてこのAIたちと共同で論文を発表するまでに至る。タイトルは「ベルの不等式で探る量子テレポーテーションの可能性」。
高等部の頃に書いたこの論文が学会で認められ、それをきっかけとして私は飛び級でアメリカの大学に進学する事になる。妹と2人で過ごす海外生活。ホスピタリティ重視の日本と違って、障害があっても自立を求める風潮の強いアメリカの学習システムは私にとって、挑戦しがいのある環境になっていた。
ここで私にとって2つの転機が訪れる。
1つは「義眼」を入れた事。私の生育歴に興味を示したVR研究チームが、開発中の人工眼球を試用してほしいと連絡を入れてきたのだ。これはカメラを内蔵した次世代義眼で、脳に直接信号を送る事で、全盲者でもリアルタイムで風景の認識が出来る。あの不格好だったニューロゴーグルの究極の進化系ガジェットだった。
実際は人体実験の側面もあったが、私は二つ返事でこの申し出を受け入れた。私の生活は一変した。10数年ぶりに見た自分の顔、想像以上に女らしさのかけらもない、いや、女を捨てた顔には、自分でも驚くほどショックを受けてしまったが、これ以降私は、この義眼を通して自分の活動を逐一データベースに記録する事にした。
もう1つの転機は、国際宇宙移民機構「ISMO」に所属した事である。
私たち姉妹が渡米してから5年。地球は未曾有の危機に直面していた。それまで仮説の域を出ていなかった「宇宙の熱的死」が実際に観測されたのだ。
全宇宙が一切の活動を停止する現象。星々は燃え尽き、ブラックホールさえ蒸発する。そうなるまでには長い年月がかかるが、完全に停止する遥か手前で地球は確実に死の星となる。
この事実は即座に公表されなかった。パニックを防ぐ意味合いもあったが、この現象に利用価値を見出した組織が秘密の独占を図ったからだった。それが国際宇宙移民機構だった。
この組織は元々移民、難民問題を高圧的に処理する為に作られた組織だった。人口削減も兼ねて、月や火星での労働力としてこういった貧窮民を大量に送り込む為のシステムを構築する事を目的とされていたが、この度の「熱的死」問題を受け、本来の目的とは逆に、上級国民こそを地球外に脱出させる。そうする事で人口削減と選民思想を同時に果たす。新しい秩序を作り出す事を目指す組織に変化していた。
これらの指針を秘密裏の内に遂行し、選ばれた優勢種のみで新世界を築く超国家的組織「グローバル・オーダー」。それがISMOの実態になっていた。
私がこの計画に引き込まれたのはこの組織が誕生してから更に4年後、2129年の事だった。私が高等部の頃に書いた論文「ベルの不等式で探る量子テレポーテーションの可能性」。この、私が自分のトラウマを元に書き上げた論文に彼らは興味を示した。
彼らは瞬間移動の技術を欲していたのだ。大量の人材、物資を輸送するのに、私の理論を実現化したがっていた。
彼らは私のスポンサーとなり、私は私の為の研究所をあてがわれた。もちろんISMOの真意は極秘事項なので、この頃の私はISMOの実態を知っていた訳ではなく、噂だけ耳にする程度だったが、それでも妹にこの事を相談したりする事はなかった。ただ、突然裕福な生活になった事に妹は若干の不信感を抱いていた様だった。
エレナ・ローウェルと出会ったのはそんな時だった。
第十七話に続く
*今回の引用元「ダ・ヴィンチ・コード」(2006年の映画)




