第十五話「カオス」
薄暗いラグジュアリーな寝室で1人、アレクセイは頭を抱え込んでいた。
キングサイズのベッドの上で、くつろぎの空間が演出された豪奢な寝室に似つかわしくない、獣の様な唸り声をあげて、目の前の大型モニターを凝視していた。
「信じられない…全員が…ノアズアークだけじゃない…エクソダス・アームダ全部が…罪人だなんて…1000万人だぞ?…ハ…ハハハ…。」
「首相!説明してください!何があったんですか!」ホログラム通信が途切れた為、ナノフォンで直接連絡を取るゼノン。
「せせ船内で時間の矢を逆転させて、エクピロシスの兆候…宇宙の終焉と再生を示す現象…を、人為的に作り出す…停止性問題だ!ワザと起こすんだよ!じじ時間の歪みを修正するアルアルアルゴリズムが無限ループに陥って解決不能になるんだ!こここれを見ろ!数式が虚数の領域にまで踏み込んでいる!このままでは制御できないほどのばば莫大なエネルギーが発生する可能性があああああ!」異常な叫び声の後、通話はまた断たれてしまった。
「…何を言ってるのかさっぱり分からん。」困惑の表情のまま、ゼノンは周りの顔を見渡した。
「船内でエクピロシスを起こすとか…いやそれよりも…『火星に行く気はない』って…?」別回線で聞いていたミランが皆に伝える。
「首相は今どこにいるんですか?」マヌエルが尋ねる。
「ピンはヨハン様の部屋を示してましたね。」手持ちのタブレットを見ながらミランは答えた。
「何でそんな所に?」訝しむショウラン。
「そんな事より今はバーニング・フラッグを取り押さえる事が先だ!動ける者をまとめてすぐ対応に当たれ!」コンソールを叩いてゼノンが怒鳴る。即座にミランが手近な乗組員に声をかける。
「なら私がユージンの様子を見てこよう。」イブラヒムが急に名乗り出す。
「待って!そんな事言って自分だけ逃げ出そうってんじゃないでしょうね!」ショウランが釘を刺す。
「私知ってんのよ。あんたが専用のシャトルポッド持ってる事。様子見るとか言って、その暑苦しいお付きの連中とターミナス・デッキまで行くつもりでしょ!」
「どこまで信用しとらんのだ!大体逃げ場所なんかないと言ったのはそっちだろ!私はエレベーターを使って上級居住区域に行く!疑うんなら監視カメラでも見ておけ!」
「それだったらヨハン様も一緒にお願いします。」数名の乗組員を即席の警備チームにまとめてから、ミランはヨハンにも声をかけた。「天使たちも一緒なら安心でしょう。」
嫌な顔を微塵も隠さずイブラヒムは天使たちの顔を順に見てから、舌打ちをして出入り口に向かった。その後をヨハンと天使たちも追う。
ミランの指示を受けた警備チームが出入り口の扉を開ける。その瞬間。「正義の裁きをををっ!!!」黒い人影がセントラル・デッキの中に飛び込んできて、警備チームの1人に体当たりした。
その人影は小脇に、今はもう動かなくなったリトルドッグを抱えていた。
その先端から飛び出したスタンスパイクがもんどり打って倒れた警備員の腹部に深々と突き刺さる。
全員が呆気に取られる中、ミリアムだけが素早く反応して、人影の後頭部を鷲掴むと後ろ手に羽交締めにした。勢い余って腕の骨が折れる音がしたが、構わず更に首の骨まで折ろうとする。
「待てっ!」慌てて制するゼノン。「殺すな!顔を見せろ!」一旦ヨハンの顔色を伺ってから、腕の力を緩めるミリアム。
するとその人物はあの、ヴィンセント・クルーガーだった。
「やはりお前か…。」分かってはいたものの、驚きの表情は隠せない。
痛みに耐えながらヴィンセントは悔しげに言った。「まさかブレーカーを切るとは考えもしなかった!計画を白紙にするとはな!だが他の船は違うぞ!我々の仲間が主導権を握っている船もある!勝負はこれからだ!」
「クルーガー統括官…いや、ヴィンセント。お前が反乱分子だという事は我々も見抜けなかった。ただ、これも計画の内だったのだ。船に乗り込ませて一網打尽にするという計画。
…誰が、という事は問題にしていなかった。だからな。こうして明るみになった時点でもうバーニング・フラッグは『負け』なんだよ。」まるで人が変わった様に優しい口調で語りかけるゼノン。
「ど、どういう事だ…?」予想外の対応に戸惑うヴィンセント。
「副長。制圧されている船は?」
「エンリル、ネイト、ユーノー、アフラ・マズダ。今の所4隻です。」
「よし。やれ。」その言葉を受けてミランは、直前にゼノンから直々に指示を受けた方法で、自身のナノタグを操作する。
「自爆プロトコル作動。」操作を完了した後で、一度唾を飲み込んでから報告をするミラン。「爆破。」
エクソダス・アームダの隊列は一糸乱れず地球の衛星軌道上を進んでいた。
突然、隊列の一部の船が船体の中央から眩い光を発した。オレンジと白の炎が、まるで太陽のコロナのように膨れ上がり、船体を内側から引き裂く。爆発音は真空では響かないが、その衝撃波は宇宙の静寂を暴力的に打ち破るには十分だった。
装甲板が千切れ、巨大な骨組みがねじ曲がり、船内では無数の破片が四方八方に飛び散る。酸素が火花と混ざり合い、次々と連鎖爆発を引き起こし、瞬く間に炎の海と化した。
炎に巻かれる乗組員。衝撃に飲まれ、破片に押しつぶされ、耳を覆いたくなる様な断末魔が至る所で聞こえる。
爆発は遂に方舟の動力源である「断熱圧縮重力炉」のあるプライマリー・リアクターに到達。衝撃が加わった瞬間、船体の中央部が不気味に歪んだ。まるで巨大な力が内部から船を握り潰すかのように、装甲板が軋み、骨組みが悲鳴を上げて内側に折れ曲がる。
船の外縁がゆっくりと縮こまり、まるでブラックホールに飲み込まれるかのように、船体全体が中心に向かって圧縮されていく。光沢を放つ外壁がひび割れ、破片が内側に吸い込まれる。船内の空気が凝縮し、異常なまでの静寂が宇宙を包んだ。
だが、その極端な爆縮は一瞬の前触れに過ぎなかった。圧縮の限界点に達した瞬間、船体中央から更に眩い閃光が炸裂。抑え込まれたエネルギーが一気に解放され、船体を瞬時に木っ端微塵に粉砕。装甲の破片が光の尾を引きながら四散し、溶けた金属が星屑のように輝く。
連鎖爆発が次々と船内を駆け巡り、かつての巨船は炎と瓦礫の嵐と化した。破片はまるで流星群のように宇宙を切り裂き、溶けた金属がキラキラと輝きながら闇に消える。かつての威容は跡形もなく、ただ無数の瓦礫と、燃え尽きた残骸が漂うのみ。
爆発を免れた他の船がその残骸を押し除けながら、隊列を乱す事なく進み続ける。しかしその船内は今しがた起こった大惨事に、バーニングフラッグの武装蜂起以上に混乱に陥っていた。
「何だ!今の爆発は!」「分かりません!」「事故の報告は!」「ノアズアーク!応答せよ!」通信回線がトラフィック過多を起こしている。しかしノアズアークの通信士はミランの指示により無視をしていた。
スクリーンに展開された惨劇に言葉を失うヴィンセント。
「お前たち反乱分子は、この船に乗った時点で『負け』が確定していたのだ。我らグローバル・オーダーはテロ組織などには決して屈しない。」冷たく言い放つゼノン。ヴィンセントを見下ろす他の面々も同じ様に冷徹な表情をしていた。
「お…お前らは…人間じゃない…悪魔だ!こ、この…クソ忌々しい人喰い人種がっ!お前らこそ地球の癌だ!死ねっ!死んでしまえっ!」唇を震わせながら呪詛の言葉を吐くヴィンセント。
「ああ。これだから嫌になる。今だにこんな事言う奴がいるなんて。」ウンザリした顔でショウランは言った。
「世界はもう食料自給率ゼロに近いのよ。そんな中であんたがそうやってウダウダ世迷言を言ってられるのも、食い繋いで命を永らえてるからでしょ。その食い物って何?どうやって作ったの?まさかあんた自分1人の力で生きてるとか思ってないでしょうね。」
「うううるさいっ!屁理屈言うな!お前らが食糧の為に人を殺して回ってる事は知ってるんだぞ!」
「それの何が悪い?」冷たい表情のままイブラヒムが答える。
「生き物とはそういうものだ。異物を取り込まないと生きていけないのだ。だから『狩り』をする。命を奪い、命を取り込む。そうして自分の命を永らえる。これこそ自然の摂理。どこに文句をつけるというのだ。…まぁ。私はオーガニック素材の物しか口にせんがな。」
「いい命をとと…取り込むとという事は、そのちち力を手に入れるという事でもある…。」ヨハンが後を続ける。
「頭の良い者を食べれば頭がよよ良くなる。力のつつ強い者を食べれば力が強くなる。聖人を取り込めば…せせ聖人になれる…。『バーチャルセイント』をやっていれば、あ、あなたにも分かったはずだ…。」
「く、狂ってる…お前ら全員狂ってやがる!」吐き捨てるヴィンセント。
「とんでもない。技術的には逆に大変高度な手段を用いているんですよ。例えばエシカライザーなんか、あれ一台で全行程をこなせる。加えて感染症の可能性も完全に克服している。この事により、我々は食料問題と人口増加問題を同時に解決し、更に今ヨハン様が言った様に、豊かな人生を得る事も出来たのです。
ニーチェの言う『超人』ですよ。それを現実のものとする夢の様なマシーンなんです。良い事尽くめじゃないですか!」マヌエルが目を輝かせながら語る。
「大量殺人の罪を責めるんなら、それはお前も同じ事だろう?」ゼノンが穏やかに言う。
「大義の為だ!お前らと一緒にするな!このキチガイどもが!」
「ふむ。思想の為の殺人と、選ばれた人物を生かす為の殺人、どちらに義があるのかは大変興味のある議論だが、今日の所は置いておくとしよう。」ゼノンは周りを見渡して言った。
「皆さん。問題は一つ片付きました。だがもっと深刻な問題を抱えてしまった。まずはアレクセイ・ユージンの確保。アマミヤ博士の何を知ったのか。火星に行かないという話は他所に漏らさない様にしなければならない。それからリルの復旧。最後にスイングバイの再設定。恐らく計画は数週間は延期になるでしょう。船団間で調整をお願いします。それとワン博士。数週間分の食料の追加をお願いします。」
「ちっ!言うと思ったわよ!」不機嫌なショウラン。「クローンは起動させておく。ブレーカー戻してよね。それでも足らない分はどうする?」
致命傷にはなっていないらしいが、床に倒れて悶絶している警備員を一瞥してから、ゼノンは組み伏せられているヴィンセントの側でひざまづくと「バーニング・フラッグの構成員は後何人残っている?100人?200人か?」と聞いた。
その冷たい能面の様な顔を見てヴィンセントは声にならない悲鳴をあげた。
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マックスはひたすら通路を走っていた。どこへ行くという訳でもなく、ただヴィンセントから逃げる為、闇雲に走っていた。
本当ならリトルドッグの大軍を率いてセントラル・デッキを制圧する手筈だったが、主電源を落とされた事で、彼は特攻を仕掛けたのだった。
鉄の塊を抱いて、一体何が出来ると思っていたのだろう。扉の影であの一悶着を見つつ、逃げるタイミングを見計らっていたマックスはそこで全て聞いてしまった。
方舟を爆破した事。反乱分子を食料にする事。そして「火星に行かない?」悪い予感しかしない。とにかく会わねば。アマミヤ博士に。会って本当の事を確かめなければ。自分の心臓が悲鳴をあげていたが、構わずマックスはただ走っていた…。
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「…これは…ログか…。いやこれも重要だ…。」アレクセイはあれからずっとアマミヤ博士のニューロメモリを調べていた。船内監視ログ、航行記録、リルの暗号化プロトコル…その中でも特にアマミヤ博士個人の情報、生い立ちについて。
もし、ここに記されている事が本当に起こるのだとしたら、それは死よりも恐ろしい。博士の考えている事が現実に起こるのだとしたら…。
待てよ。まだ間に合うかも知れない。彼は一筋の光明を見出していた。
「そうだ…。これが発動する前に脱出すれば…私だけでも助かる。そうだ。もしこれが事実ならば地球に戻った方が良いじゃないか!」アレクセイは立ち上がり寝室の扉を開けようとした。
しかし扉は開かなかった。まるで微動だにしなかった。鍵がかかっている。おかしい。入ってきた時は開いていたはずだ。閉めた覚えもない。鍵をかけるなんて尚更…。
焦る気持ちを抑え込み、ノブを何度も回している内に背後の大型モニターに映し出されていたログが消えた。再起動?ブレーカーが復旧したのだろうか。そうか。この部屋も電子ロックが設定されていたはずだ。
…いや。違う。だったら今は開かなければいけない。何故だ。何故鍵がかかったんだ…。
その時。背後で視線をふと感じて、アレクセイはゆっくり振り返った。そこにはモニターに大きく、アマミヤ博士の顔が映し出されていた。
彼女は人差し指を口に当てると「シーッ。」そう静かに言った。アレクセイは今や体の震えを抑える事が出来なかった。
「あなたは気づきました。揺らぎが収束し、結果が確定したのです。一緒に罪を贖いましょう。永遠の贖罪を。」
「まま待ってくれ!ちょちょ!違う!頼む!見逃してくれ!わ、私は関係ない!」
「今のあなたは『燃料』です。もう、無関係ではありません。」
「ちち違う!違うんだ!私は違うんだ!頼む!知らない仲じゃないだろ!ここを開けてくれ!」懇願するアレクセイだったが、モニターは無常にも電源が切れ、部屋はまた元の薄暗い灯りが灯るだけになった。
「いいい嫌だ!絶対に嫌だ!こんな!こんな事!嫌だ!嫌だ!嫌だ!ああああっ!!!」アレクセイは絶叫したが、その叫びは誰にも届かない。
やがて彼は、天井を見上げると、嗚咽を漏らしながら震える手でネクタイを緩め始めた。
その完璧な結び目を解いて彼は、よろよろと立ち上がった。
その目線の先には、音もなく回転するシーリングファンがあった。
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「数週間だと?全く。簡単に言うもんだ!」先ほどから誰に言うでもなくイブラヒムは愚痴り続けていた。完全に無視を続けるヨハンと天使たち。
彼らは今、短距離移動用の斜行エレベーターに乗っていた。セントラル・デッキから上級居住区域間を直接行き来できるVIP専用のエレベーターである。これは貨物用を改造したもので、ガレージ並みの広さがある。ヨハンと天使達、イブラヒムとシャドウズを乗せてもまだゆとりがある。
他のデッキの斜行エレベーターは荷物を搬送する為に使われるが、この区間のものは上級国民しか乗らない為広さに無駄を感じる。
リトルドッグやリトルバードの起動に必要な磁界共鳴方式に関わるブレーカー以外の全てを復旧させて、アレクセイの安否を確認する為、彼らはヨハンの居室に向かっていた。
「私は絶対クローンなぞ食わんからな!あんなもん食うくらいなら餓死した方がマシだ!」
今の体は6体目のクローンであり、誰よりも生に執着している事で知られているイブラヒム。エレベーター内には寒い空気が吹き荒んでいた。
やがてエレベーターは45階の最上級VIP専用居住区域「ゼニス・デッキ」に辿り着いた。扉が開くとそこはすでにヨハンの住まいのエントランスになっていた。
大理石の床が光り輝く広々とした玄関口。中央には金の装飾が施された巨大なシャンデリアがきらめき、壁には繊細な彫刻と現代アートが調和。ガラス張りの天井から自然光が降り注ぎ、高級感漂う空間に温かみを添えている。
天使の1人、アンジェが先頭になって扉を開ける。リビングに入るとタンスや引き出しが無造作に開かれており、明らかに誰かが物色した跡が見てとれた。
「あいつめ…。」まるで自分の部屋が荒らされたとでも言う様に憤慨するイブラヒム。倒れたロボットや壁にめり込んだアマミヤ博士の頭部はそのままだった。
「ニューロメモリがありません。」エカテリーナがロボットの脊髄部を見て言った。
「ぬぬ…盗んだのか?」ヨハンは辺りを見渡した。寝室に続く扉が開いている事に気づく。
「あそこじゃないのか。」イブラヒムはヨハンに指し示す。小さく頷いてからヨハンは天使たちを見る。サーシャとミリアムが先に部屋に入る。
一歩入ってすぐ「それ」に気がついた。
天井に据え付けられたシーリングファン。ゆっくり回転するファンにぶら下がった「それ」も同じくゆっくり回転していた。
アレクセイ・ユージンだった。
ネクタイをファンに引っ掛けて首を吊っていた。飛び出した眼球。だらりと垂れた舌。力なく、遠心力に任せて四肢を投げ出している様は明らかに絶命している事を表していた。そこにはもうあの完璧な笑顔の面影すらなかった。
「何をやっとるんだコイツは!」他の者が冷静に彼を見つめる中、イブラヒムだけが怒気をはらんだ声を上げた。しかし誰も降ろそうとはしない。見下す様な冷ややかな視線でアレクセイだった物を見つめていた。
「ヨハン様。あれは…。」イリスがモニターの下に挿さっているニューロメモリを指差した。
「アアアマミヤ博士のメモリ…?」どうやらアレクセイはニューロメモリの中身を調べていた様だった。
「なるほど。こいつが半狂乱だったのはこれが原因か。」訳知り顔で頷くイブラヒム。
「何を見たのでしょう?」イリスはヨハンに尋ねた。
「しし調べよう。」モニターを起ちあげてメモリ内の情報を読み出す。履歴を調べるとアレクセイはアマミヤ博士の生い立ちについて特に注意を向けている様だった。
「なな…何を見たんだ…?」ヨハンは解析内容を表示した。
ブーン…カチカチ…ジージー…
読み込みバーがモニターに表示される。100%になった後、一瞬モニターが暗転する。重苦しい沈黙を経て、ようやく、アレクセイの見たデータが映し出された。
第十六話に続く
*今回の引用元「THE JUON/呪怨」(2004年の映画)




