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第十四話「デコヒーレンス」

セントラル・デッキに戻ったゼノン達は、想像以上の混乱ぶりに言葉を失った。


スフィアホログラムに表示された各船団のステータス全てにアラートを示す赤いチェックが付いていた。そして次々に飛び込んでくる各船団の被害報告。


「プラズマエンジンルームが占拠されています!航行に支障が…」「一部回線が断たれています!フェイルセーフが無効に…」「隔壁で遮断された中にまだ逃げ遅れた人が!」


どの船も統制が取れていない。完全に虚をつかれてどこから手をつけて良いのか誰にも判断できない有様だった。


「リトルドッグが暴走!死人が…早く、強制停止を!」別の船からの絶叫が通信を切り裂く。それは先導船スイユウからのものだった。マヌエルは一瞬、言葉の意味を飲み込めず、呆然と立ち尽くした。「リトルドッグが…人を?」


「映像を出せ!」ミランがリルに鋭く命じる。

通信回線が軋むようなノイズの中、スイユウのハイ・ガーデンが画面に浮かんだ。映像はまるで乱れた水面のように揺れ、断続的に途切れていた。


そこにはシャトルポッドに乗ろうとしている多くの上級国民の姿が映っている。と、そこへポッド到着を知らせるベルが鳴り響く。搭乗口が開いた瞬間、中から大量のリトルドッグが溢れ出してきた。


黒い波は一瞬で人々の上に襲いかかる。機体の正面に備え付けられたスタンスパイクが突き出される。それは本来ただの電極部であり、電撃による攻撃で相手を怯ませる為の防衛装置だったはずだが、リトルドッグ達はそのまま突進してスタンスパイクそのもので人々の体を刺し貫いていた。


血飛沫が飛び、高価な衣服が血に染まる様子をカメラが捉える。搭乗口に密集していた人々は、今度は逃げ場所を求めて散り散りになっていた。それを追うリトルドッグの群れ。そしてその後に追随する、恐らくバーニング・フラッグの構成員と思われる暴徒たちの姿。スイユウのハイ・ガーデンは地獄の様相を呈していた。


「そんなバカな…リトルドッグの制御が完全に乗っ取られている…」マヌエルは我が目を疑った。どうやら他の船でも同じ事が起こっているらしく、この短時間で既に制圧されてしまった船があるのも、大量のリトルドッグによる反乱が原因だった。


「リル!全ドローンを強制停止させろ!」声を荒げるミラン。「認証コココード…アクセスでき…まセセせん。」リルの声はいつにも増して平板で、まるで壊れたレコードの様に途切れがちだった。


「どうなっているんだ!」ミランは手近なコンソールでシステムチェックを始める。


「これ…なんでこんなにラグがひどいの?」ショウランがポツリと漏らした。


確かに先ほどから映像や音声が途切れがちだった。人工超知能が管理するネットワークで遅延が起こるなど考えられない。サーバーの負荷やデバイスの性能不足も理論上起こらない様に設計されているはず。


「あるとすれば…いやしかし…」各項目を手動でチェックしながらミランは独り言を呟いていたが、突然その手が止まる。

「やられた!」

「何?どうしたの!」ショウランがモニターを覗き込む。そこには異常なデータフローが表示されていた。


「バックグラウンドで他のプログラムがリソースを消費している…これは…侵食だ!リルがハッキングされています!」


それは予想もしていなかった出来事だった。仮にノアズアークのサーバーがクラッシュしたとしても他の船によるバックアップで即座に自身の復旧ができる次世代AIが、抵抗する事も、警告を発する事すらなく、外敵の侵入を許してしまうとは。


それまで慌ただしく作業していた乗組員達も、ミランの叫びを聞いて、こちらを振り向いたまま凍りついている。


「何だこれは!どこから来たんだ!」相変わらず手動で侵食者の出所を調べるミラン。


「つまり我々は完全に敵の手に落ちたという事か。」イブラヒムが苦々しく吐き出す。


「ここも安全ではない様だな。私は別行動を取らせてもらう。」目を細め、出口を探す様に辺りを見回した。シャドウズと共にこの場を立ち去ろうとしている。


「待ってください!どこへ行くというんですか!」マヌエルが制止する。


「私の勝手だ。言う必要なかろう。」


「いやそうじゃなくて!もうフェイズロックが作動してるんですよ!隔壁が邪魔してどこへも行けないでしょう!」


「それにバーニングフラッグやリトルドッグがどこから出てくるか分かったもんじゃないわ。あんた名指しで一回暗殺されてたくらいの有名人なんだから、今は下手に動かない方が身の為じゃない?」ショウランも賛成する。


「私たちは私たちの判断でヨハン様をお守りし、行動します。」ヨハンの天使、イリスが冷たい眼差しのまま言った。全く連携が取れていない。


「船長!何とか言ったらどうなの!」ここにきて一度も口を開いていないゼノンに苛立ちをぶつけるショウラン。


しかしゼノンは唇を固く結び、モニターの赤いアラートをじっと見つめていた。


いや、今の彼は何も見えていなかった。先ほどのトウコの言葉、それが頭の中を駆け巡り思考が停止していた。


「私は船に乗った。」そんな筈はない。何故なら彼女は1ヶ月以上前に既にこの世の人ではなくなっているからだ。私が…私が自ら手を下した。この手で…彼女をしめ殺した。そう。私はトウコを殺したのだ。間違いない。今でもこの手にはその感触が残っている。息の根が止まり、その体を引きずってエシカライザーの中に放り込んだ。スイッチを入れ、彼女が細切れになるのを確認した。処理完了のベルが鳴り、両開きの扉が開放され、完全に挽肉になったのをこの目で見たのだ。それなのに…


「アキラ!聞いてるの?!」ショウランの怒声にハッと我に返るゼノン。


「このままじゃグローバルオーダーは火星に着く前に空中分解よ!どうすんの!」全員の視線がゼノンに注がれている。


彼は鼻を鳴らしてから「…騒ぐな。これもまだ想定内だ。元々反乱分子はこの船内で一網打尽にする手筈だったのだから、向こうから名乗り出てきてくれて好都合というもの。リルのハッキングは由々しき事態だが…副長。影響範囲は?」


「エクソダス・アームダ全体です。汚染レベルは各船で差がある様ですが…これだ!」忙しく動かしていた指を止めてミランが声を上げる。


「…ネットワークに複数のバックドアか。ユーザー名を隠そうともしていない…ハッシュ値もか!…」1人頷きながらブツブツ呟くミラン。


「何なんだ!何が分かった!」堪えきれず画面を覗き込んだマヌエルも、その先の言葉を言い淀んでしまう。


「ヴィンセント…クルーガー…。インサイトか!」


「インサイト?!監視用のAIの?でもあれってサブプログラムじゃ…」ショウランも割り込んでくる。


「バッファオーバーフローですね…。リルに堂々と上がり込んできて書き換えを行なっている…。」ミランはまるで自分に言い聞かせる様に話していた。


「何をブツブツ言っとるんだ!クルーガーが犯人なのか!だったら奴を捕まえて元に戻させろ!」イブラヒムが苛立たしげに怒鳴る。そんな彼にミランは冷静に返す。


「事はそう簡単ではありません。リルを一旦隔離して、汚染状況を個別に確認しなければならない。この作業はどんなに早くても半日はかかります。それからオフサイト保管してあるバックアップを状況に応じてこれまた個別にインストールしていく。完全にクリーンだと判断されるまで少なくとも…1週間は必要です。」


「話にならん!」


「ヨハン様。なんか手はない?」ショウランが黙ったままのヨハンを話に引き込む。


「…いい、今しなければならないのは…リトルドッグをとと止める事…。」俯いたままか細く答えるヨハン。


「ええ。それで?」


「ブブ…ブラックアウトを起こせば…もももしかしたら…。」


「この船の中でか!何を言っとるんだこの若造は…」イブラヒムは文句を言ったが、天使たちに睨まれて口をつぐんだ。


「いや。良いかも知れない。基本的に方舟の制御は全てリル任せだが、電気システムだけはブラックアウト対策でアナログ操作にも対応している。本来の用途からするとあべこべになるが、その手はありですよ!」マヌエルが答える。


「リトルドッグはバッテリー駆動じゃない。ノアズアーク全体に設置されたソースコイルから飛ばされる電気を拾ってるんです。ブレーカーを切れば奴らは数分で動けなくなる!」


「手動で停電させる訳ですね。船長!よろしいですか!」ミランが許可を求める。


「…そ、そうだな…そうしてくれ。」


「何あんた、さっきからたよんないわね!」ショウランがゼノンの肩を叩く。2人のやりとりを無視してミランは22階、エナジー・リザーバーに連絡を取る。


「こちらセントラル・デッキ。ディーン統括官。応答願います。」スフィアホログラムが展開され、青白く細面の顔が映し出される。映像は乱れているが、焦りの表情が見て取れる。


ヴァロ・ディーン蓄電統括官。リトアニア人。40代後半。彼の考えたエネルギー最適化プログラムが採用され、その事で彼と彼の家族は乗船権を得ていた。


しかしそのプログラムを考案したのは彼の同僚であり、ヴァロは彼のアイデアを横取りしたどころか、乗船権まで奪っていた。その事実は誰にも知られる事なく、この先も永久に秘密にしておくつもりだったが、振ってわいたこの騒ぎに自身の罪の様なものを感じ始めていた所だった。


「こちらエナジー・リザーバーです。バッテリー及び蓄電施設は全て通常の半分以下の稼働率になっています。アクセス制限されていて復旧が出来ません。」震える声で答える。


「いや。リルは使わないで下さい。手動で、ブレーカーを全て落として欲しいんです。」ミランは意識的にゆっくり伝えた。


「何ですって!そんな事したらスイングバイのタイミングがリセットされてしまう!」意図が理解できないヴァロ。それに対してミランは辛抱強く同じ言葉を繰り返す。


「緊急事態なんです。リトルドッグが暴走しています。それを止める為、敢えてブラックアウトを起こさせるんです。そうしないと人々の命が危険なんです。」


「わ、私の権限ではそこまでの行為は許されていないはず!とても出来ません!そりゃ家族ともどもこの船に乗せてもらった事には感謝している!しかし私に負える責任にもある一定の…」


「いいからブレーカーを切れっ!」ゼノンが怒鳴る。


画面に突如現れたノアズアーク船長の顔に慄いたヴァロは言葉にならない返事をしてからその場を離れた。


誰もいないエナジー・リザーバーのコンソールだけが揺らいだ画面に映っており、遠くの方でヴァロの指示を出す声だけが聞こえている。


やがて、低い地鳴りの様な音が断続的に鳴り響き、スフィアホログラムに表示されていたアラートサインが順番に消え始めた。


「やったぞ!成功だ!」ミランが手を叩く。

各デッキに溢れ出していたリトルドッグの動きがみるみる鈍っていくのが見てとれる。


「よし!この方法を他の船にも伝えるんだ!スイングバイは一旦リセットする事も併せて連絡しろ!リルはネットワーク隔離する!リトルドッグを沈黙させれば後はバーニングフラッグの構成員だけだ!数はたかが知れて…」指示を出していたゼノンのこめかみでナノフォンの呼び出し音が鳴った。


スフィアホログラムに繋げると、相手はエクソダス・アームダ福利厚生総監のアレクセイ・ユージンだった。しかし様子がおかしい。


あの完璧だった笑顔が消えていた。明らかに動揺している。目が泳いでいて落ち着きがない。吹き出した汗が前髪を額に張り付かせている。普段の彼からするとあり得ない様相になっていた。


「ででで電源を落としてはいけないっ!!!はやはや早くふふふ復旧をっ!!!」あの颯爽としたイメージからすると完全に別人であった。


「落ち着いて下さい。何があったんです?」ゼノンまで胸騒ぎに支配される。


「ダメだっ!そんな事をしてはっ!…いや…そういう問題じゃないな…我々は…とっくにフフフ…終わってる…思い違いをしていたんだ!我々は!フへへ…正に選ばれていたんだよヘッヘッヘ…船に乗る前から!」支離滅裂な言葉を羅列している。


「何の事を言ってるんですか首相!」


「我々は特別な存在だと思っていた。助かったと思っていた。だが違った。助かったんじゃない。嵌められたんだ!火星になんか!ハナから行く気なんてなかったんだっ!私は気づいてしまった。それこそが狙いだったんだ!ああっ!そうだっ!気づいてはいけない!皆んな!観測結果が確定する!揺らぎを!揺らぎを収束させてはならないいい!」頭を掻きむしり、涎を垂らしている。もはや精神に異常をきたしている事は明白であった。


「我々は!我々は皆!罪人なのだ!贖罪を!決して贖われない罰ををを!!!罪を贖う時が来たのだあああ!!!」


鈍い音がセントラル・デッキに響き渡り、スフィアホログラムが消える。いや、艦橋全体が真っ暗になる。ヴァロがセントラル・デッキのブレーカーを落としたのだ。


すぐに非常電源が作動し、薄暗い非常灯が灯る。全員の顔が青ざめていた。それは非常灯のせいだけではなかった。


「今…何と言った?」ゼノンの声は震えていた。

「私たちが皆んな…罪人…?」ショウランの声もか細くなっていた。


それはつい先刻、あのアマミヤ博士が口にした言葉だった。何故、アレクセイがその言葉を。


アレクセイは一体何を見たのか。


気づいてはいけない事とは。


揺らぎとは。


セントラル・デッキは今、不気味な静けさに包まれていた。


               第十五話に続く

*今回の引用元「ダイ・ハード」(1988年の映画)

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