第十二話「トウコ・アマミヤ」
「だだ騙したなっ!」それまで塞ぎ込んでいたヨハンが突然立ち上がり喚き立てた。
ゼノンの独白を聞いて自分が利用されていた事に初めて気付いたからだった。
瞬間、ヨハンの周りにいる5人の天使達も一斉に殺気立った。場の空気が一変する。
「ホホホロウシェル化は不幸な出来事だったって!せせ戦争が起こしたひひ悲劇だって!いい言ってたじゃないか!」ヨハンが喚けば喚く程、天使達の殺意も増していき他の4人に突き刺さる。しかしただ1人、ゼノンだけは慇懃な態度を崩さないまま言った。
「お座りください。ヨハン様。」天使達がゼノンににじり寄る。が、彼は構わず続けた。
「お話ししました様に我々は今、崇高な使命のもと『エルバートン計画』という壮大な大事業を取り行っております。ヨハン様はその中でも大変重要なポストを占めています。我々が描く壮大なシナリオの根幹をなすと言っても良いでしょう。
騙しただなんて!恐れ多い。事は全てシナリオ通りなのです。気に病む必要はありませんよ。」椅子に深く腰を落ち着けたまま、淀みなくゼノンは喋った。
真意を図りかねてヨハンは口ごもった。代わりに一番年嵩の天使、イリスが口を開いた。
「ヨハン様がそのロボットの様にただの客寄せパンダとして扱われないという保証はありますか?」歳を重ねてもなお艶やかな雰囲気を纏う優雅な顔立ちだが、ベールで顔の半分を覆っており、そこから覗く目は冷たい光を帯びている。
「客寄せパンダとは心外な!これは後々、我々が到達点の一つとして目指している姿なのですよ!」本当に心外だったらしく少し不愉快な顔をするゼノン。
「よろしい。試運転がてら、このトウコの完成度を皆さんに確認して頂きましょう。」そう言ってゼノンはポケットからニューロメモリを取り出してロボットの脊髄部に差し込んだ。
「これはトウコ・アマミヤ本人から譲り受けた外部記憶装置、ニューロメモリです。まあ私ではなく、受け取ったのはロドリゲス技師ですが。ともかくこれには彼女の全てが記録されています。言わば彼女のコピー…いや。オリジナルと言っても良いレベルのものです。
将来的にはリルと連携させるつもりですが、これ一体でも十分勤めを果たせる。それを今からご覧に入れましょう。」
ニューロメモリのランプが点灯したのを確認して自身のナノタグから起動コードを送信する。
軽く瞬きをして周りを見回すトウコ。相変わらず頭部の配線は剥き出しのままだったが、それでも生身の人間と見紛う程、その姿には生命力が溢れている様に感じとれた。
「ボディはロドリゲス技師、皮膚や髪の毛はワン博士の手によるもの。特にこの目は芸術品と言っても良い。人間そのものです。」自慢げに紹介するゼノン。
「何でも質問してください。彼女が答えてくれます。」その途端マヌエルが即座に手を挙げた。
「な…何故、船に乗らなかったのですか?」質問を受けてトウコは一瞬、眉間に皺を寄せた。質問の意味が分からない様な表情だったがしばらくして「いいえ。」静かに答えた。
「私は船に乗りました。」
今度は全員がトウコの答えに当惑する番だった。ゼノンに至っては笑顔が凍りついていた。
「どういう事?離婚して、船に乗らなかったんじゃないの?」ショウランが聞き直す。
「離婚はしましたが、船には乗りました。1ヶ月前のことです。」淡々と語るトウコ。
「黙っていましたが私も、皆さんと同じ様な使命を預かっていたんです。それは『贖罪』です。犯してきた罪を明らかにする時が来たのです。もっとも、この罪は決して贖われません。永遠に罰せられるのです。ただ、そうして永遠に罰を受ける事で、地球が救われるのです。
私達は皆、一様に罪人です。この船に乗る全ての人間。エクソダス・アームダが罪を背負い、地球を破滅の危機から救うのです。さあ。皆さん、罪を贖う時が来ました。」そう言って立ち上がるとヨハンの方を向いた。
瞬間。天使の1人、ミリアムが鋭い回し蹴りをトウコに喰らわせた。攻撃は頭部を直撃し、首がもげた。吹っ飛んだ頭はそのまま凄まじい勢いで壁に激突し、めり込んでしまった。
あまりの光景に、絹を裂く様な悲鳴が上がる。マヌエルだった。「な!なんて事を!」
「ヨハン様に害をなす者は、何人たりとも容赦しません。」涼しげな顔でミリアムは言った。
この予想外の展開には流石のゼノンも唖然としていた。完全に臨戦体制の天使達。
即座に主人を取り囲む体制になったシャドウズの隙間からイブラヒムが「どうする船長?」と、天使達から目を離さないまま聞いてきたが、いつもの様に即答ができない。
この状況もそうだが、それ以前に、ついさっき出た発言。トウコが言った「使命」とは?贖罪?我々が罪人だと?一体何の話をしようとしていたのか?いや!それよりも!
「…船に乗った?」あり得ない!何故ならトウコは私が…
誰か1人、僅かにでも動けばこの均衡が破れる、そんな緊張感の中に割って入ってきたのはけたたましいアラート音だった。スフィアホログラムが展開され、ミランの姿が映し出される。
「船長!今すぐセントラル・デッキまで戻ってきてください!」切迫した表情。
「な、何だ?」身動き一つせず答えるゼノン。
「懸念が当たりましたよ!反乱です!それも全船団内で!『バーニング・フラッグ』を名乗っています。各船に数十名乗り込んでいた模様で、全員リトルドッグを操っています!もう既に制圧された船が何隻かあります!」
「今の聞いた?ヨハン様!後ろの召使い引っ込めてくんない?緊急事態よ!」ショウランが説得を試みる。
「あんた達誤解してんのよ!私達は仲間よ!新世界の指導者なのよ!いがみ合いの時間なら後でいくらでも作ったげるから今はその馬鹿力で協力してちょうだい!」
「そうだ!もし本当に『バーニング・フラッグ』だと言うのなら、ここはいの一番に狙われるぞ!何しろ奴ら上級国民を目の敵にしているからな!」立ち上がりながらイブラヒムが言った。
「さあ!船長も…!」マヌエルもゼノンに声をかける。しかし彼はまるで心ここに在らずといった風で、完全に放心していた。
「船長!」ショウランに怒鳴られてやっと我にかえる。
「ヤ、ヤマム…ミラン…反乱分子は今どこにいる?」
「18階、デフコン・デッキです。格納されていたドローンを全てコントロールして…現在…上層階を目指している模様…」タイムラグが発生しているらしくホログラムが乱れる。
「18階か。どのくらいの規模かにもよるが、第一波は10分もあれば上級居住区域には到達するだろう。急いだ方がいいな。」言いながらヨハンの方を見て「ヨハン様もご一緒に。ここは危険です。」先程までの動揺を取り繕うかの様に、毅然とした態度で指示を出す。そして率先して部屋を出ていった。皆もその後に続く。
部屋にはトウコの首のない体が横たわっていた。脊髄部に刺さったニューロメモリのランプが緑から赤に切り替わったが、誰も、見向きもしていなかった。
第十三話に続く
*今回の引用元「エクス・マキナ」(2015年の映画)




